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あにの 恥ずかしい小話

 シン・ウルトラマンおもしろかったですね(あいさつ)

 小2の次男がポップコーンを食べ忘れるくらい集中して見入っていたのが印象的でした。みなさまこんにちは。ふたりののはなしの理屈っぽい方、あにです。

 さて、みなさまはこんな川柳をご存知でしょうか。


釣り針のような”かしく”で客を釣り

 落語の「たちきり」というはなしに出てくるのですが、江戸時代、遊女が馴染みの客に出す手紙を書く時、文末の「かしく」の「く」を上に跳ね上げていたことを読んだ句で、今で言うところの

「キャバ嬢の営業LINEってスタンプ連打で終わるよねー」

のようなあるあるネタ的なものだったのでしょうか。キャバ嬢の営業LINEとかしらんけど。

 Wikipediaによるとこの「たちきり」というはなし、今では関東でも演じられておりますが、元々は上方落語だったものを、あの文豪夏目漱石をして「彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである」と言わしめた三代目柳家小さんが関東に持ってきたとも言われているそうです。

 つまりこの「かしく」の「く」を跳ね上げるというあるあるネタは江戸吉原ではなく、大阪や京都の花柳界での流行だったのかもしれませんね。



 さて先日、今年の秋で閉館してしまうという日野の土方歳三資料館を十数年ぶりに訪問いたしました。
 以前訪れたのは大学生のときだったのですが、当時はまだいかにも民家の一室といった趣の部屋に品物が並べられ、初代館長が色々なお話をしてくださり、有志の方々がまとめた新選組関連の史跡をまとめた同人誌を販売していたりしたのですが、今では門をくぐるとまずは立派な銅像がお迎えしてくれて(あまり似ていないと評判)美しいショーケースに数々の遺品が並べられており、大河以降昨今の新選組の人気度合いが感じられとても嬉しいものでした。
 収蔵品の図録も販売しており、あの有名な豊玉発句集を自宅で楽しめるようになりました。もちろん一部購入です。

 そんな図録の中に、京都時代に歳三から義兄の佐藤彦五郎へ送られた手紙が載っているのですが、この手紙が「かしく」で締められています。
 それがこちら。

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 行書や草書ですらない古文書の文字でかなりギリギリ読めない感じなのですが「かしく」と綴られているそうです。
 となるとこのうにょうにょの一番末尾が「く」であり、とても上に跳ね上げられているのがわかりますね。

 今では「かしこ」「かしく」は女性が手紙を書く際の締めの言葉とされておりますが、当時はどうだったんでしょうか。
 手紙自体は故郷の人たちに自分たちの功績と出世の報告をする、ごくごくプライベートなお手紙なので、京都の遊郭ではモテモテだったらしい歳三が仲の良い義兄に出す手紙に、遊女たちの書き癖だった「跳ね上げるかしく」を使うという茶目っ気を見せたのではないかなというのがあにの自説です。
 あいつ遊女にもらった手紙の山を故郷に送ったりもしてるので、当たらずも遠からずなのではないでしょうか。

 なんにせよ鬼の副長が故郷に送った手紙が、150年後にこうやって世界中の人に読まれてしまうの。新選組という功績があってこそとはいえ、ちょっと恥ずかしいですよね。

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