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教育にできること、それは環境を整えること


のはLaboです。

「教育」について書いてみました。

教育とは全く関係のないレポートを
読んでいるときに気づいたことです。




あなたは学校の先生と聞いて、
どのような人をイメージしますか?


そして、

あなたは学校の先生は好きですか?


今回の記事では、

あなたが誰かに何かを伝えるとき
あなたが教える立場になったとき

意識できるといいな、
ということが伝わると嬉しいです。

教育する側に関わり始めて20年弱、
やっと見え始めたかもしれません。

見え始めたところで、
どんどん難しくなりますけどね、、、。

それでは見ていきましょう。


この記事があなたの「学びの種」に
なりますように。

結論:
「教育は環境づくり」



教育への無力感

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教育への無力感を感じてみると
見え方が変わります。

なぜ無力感かというと、


誰かが馬を水辺に連れて行っても、
馬にその意志がなければ絶対に
馬は水を飲みません。

たとえそれで死ぬとしても。


同様に、
どんなに最高の教育者がいたとしても

いろいろ決めるのは本人です。


しかも、
現状からの変化を促すことは、
人間にとっては本能に逆らうこと
につながる場合もあります。

だからなかなか難しい


そこをなんとかするのが教育者の仕事でしょ

そうなんですが、

そこに無力感を感じることがありました。


教育への疑問

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「無理やり変化させようとしてないか?」
という疑問をずっと感じていました。

どうしてそうするのかはわかりませんが、
先生と呼ばれる人の多くが、
そんな教育を受けてきたからか。

先生たちの言葉を聞いていると、
「生徒をなんとかしなければ」
「自分がなんとかしてみせる」
という想いが透けて見えます。

とても素晴らしいと思うのですが、
正直わたしはそう思えませんでした。

いやいや、学校で先生がなんとかしてよ、、、

わかりますが、できるのか?


伝えることが変わる

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無力感や疑問を感じていたら、
伝えることが変わっていました。

かなり昔の話ですが、
中学生(女の子)に本気で
叩かれたことがあります^^;

「分かってもらいたい」
「変わって欲しい」

いや、
「変われよ」
という想いだったのでしょう。

叩かれたときに、
「そうだよな、、、」と
改めて私は感じたのですが、

その後の対応で周囲の先生との
ギャップが生まれました。

「そんな生徒は大問題」(周囲)

VS
「そりゃそうなるよね」(私)

こんな感じでした。



自分で決められる環境づくりを

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相手が大人であろうと、子どもであろうと、
自分で決められる環境づくりが
大切だと思います。

「その人の人生はその人のもの」だから

中学生や高校生などの子どもであっても、
その子の人生の主人公はその子

「目を覚ませー」と伝えても
「叩き起こし」ても

起き上がって歩き出すのは
本人です

そういえば、
私にとって偉大な人も、

「受講生に本気を出させることが一番難しい」

と言っていました。

*ちなみにその人は学校の先生ではないです

環境づくりには、
・物理的な環境
・正しい質問
・正しいフィードバック
・正しい背中押し

などがあるでしょうか。

まだまだたくさんあるとは思いますが、
これから増やしていきたいです。


最後に

教育する側に関わり始めて20年弱、
教育において私にできることは、
今のところ「環境づくり」を全力で。

子どもだけでなく、
どちらかというと大人に向けて
やっていきたいですね。

今回の記事を書くことで、

「自分の結果は自分が全てを引き受ける」

という学習者としての意識も変わりました。

水を飲むのも、歩き出すのも
結局は自分ですからね。


何かのお役に立てると幸いです。

今日もありがとうございました。


〜あなたがあなたである意味を知ろう〜
〜人生は実験だ〜

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