「自分に点数をつけるのを辞めた」話 (Part1)

忘れ物や失くしものの多い子供だった。教科書やランドセルだけじゃない。家の鍵から保険証まで、何度も落としたり失くしたりした。整理整頓も苦手。通知表には必ず忘れ物の多さが記されていた。

「気をつけなさい」

何度も何度も聞いた言葉。自分なりに気をつけるけど、やっぱりまたものを失くす。それがADHDの特性だったと気がつくまで30年近くかかったわけだけど、それまでは自分の「努力不足」なんだと思ってきたし、多分周りもそう思っていたんじゃないかな。
勉強はできた。なのに。みんなが当たり前にできることを、努力しても努力しても出来るようにならない。。そんな自分が本当に本当に本っ当ーーに大嫌いだった。
自分なんていなくなればいいのに。そのほうが人間一人分の二酸化炭素は減るし地球温暖化の防止に貢献できるじゃん…って、毎日思ってた。

大嫌いな自分。いなくなりたくて、いなくなりたくて。とってもとっても、悲しかった。

(※今は思ってないよ!)
(※ADHDは、注意欠陥・多動性障害のことだよ!)

自分が許せなかったからこそ、なんとか他者に認められるように努力してた。
受験とか、大学の研究とか、仕事とか、、、
いま思えば、そのモチベーションの多くは自分の劣等感だったと思う。
元々持っていたASDの傾向が、周りを見ずに努力するという行動に拍車をかけたけど、学生時代はそれがたまたま歯車が噛み合ってたから結構良かった。
(杓子定規に規律を守るASDの特性は、学校的には「優等生」に見えるしね)

ところが、社会人になってから状況は一変。
いわゆる社会人的に必要不可欠なものとされる「空気を読む」能力とか、「周りを見る」能力とか、「気を利かせる」能力が圧倒的に欠落していたことに気付かされ愕然とした。ASDの人は、同じように社会に出てから急に苦労した人多いんじゃないかな。

(※ASDは、自閉症スペクトラムのことだよ!)

しかもそれらって、社会人の基本の「キ」というか、1年目から求められる、出来て当たり前の能力だったりする。ここで「自分は、当たり前のことすらまともに出来ない、クソ出来の悪い人間なんだ」という価値観と対峙することになった。

。。努力した。。

えっと。いまでも大して空気は読めないし、気も利かない方だと思う!迷惑かけてる!まじごめん!でも、偏差値43くらいにはなったと思う!平均よりちょっと下くらいには!

だけどその「平均より下」に到達するまでに、あまりにも時間と労力を費やしすぎた。疲れてしまった。そこに過労やら他者の評価やら、いろんな要因が重なって、不安障害、適応障害、そしてうつ病を経験することになった。

つ づ く !

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