アカデミックと社会のはざま

10年前の回顧録。
アカデミックの世界から現実社会に放り出されてすごく苦労した話。

どんなにDE&Iが進んでいると言われる会社でも、学問の世界で掲げるそれとは比べ物にならないと思う。
もう10年前か。学問として人種とジェンダーを学んできたけど、社会に出てみて、現実社会は100年、いや200年分くらいおくれてる、と感じた。
ちなみにわたしの学んだマイノリティ論は10年も前のものだけど、10年という年月をもってしても、いまの現実社会のほうがはるかにBehindだと思う。

※弊社がどうだとか、そういう話ではない。

逆の視点から言えば、学問の世界が現実とかけ離れすぎている?現実に即してない?のかな。そこらへんはわたしにはよくわからない。
フェミニズムって言葉が一人歩きして、本来「アタリマエ」に疑問符を投げかける手段であるにもかかわらず、反射的に石を投げてしまうひとが多いのは、きっと今でも同じなんだろうな(だからわたしはDE&IでWomenを語らないようにしている)。

机上の空論、って、苦い思い出のある言葉なんだけれど。
机上、、、というかむしろ、机とか天井通り越して成層圏のかなた上くらいのことを語っている、そんな世界に自分がいたことを思い知らされた。
それまで、そのふわふわした成層圏の考え方を「普通」と思っていたからこそ、いっこいっこ妥協して地に足がつくようになるまでに何年もかかった。それまで幾度となく葛藤を重ねた。
地に足がついたのが良いことなのか悪いことなのかは、わたしには分からない。
確実につまらない人間になったなとは思うけど、生きやすさは格段に増した。笑顔も増えたと思う。大好きだけど、文学批評理論なんて知らないほうが幸せだったのかなあ…って、今でも時々思ってしまうことはある。

もうアカデミックな考え方は大半忘れてしまった。だけど苦しさだけは覚えているもので、とりあえず思い出そうとすると、やり場のない哀しみを肺の奥底に感じる。
ただ、多分わたしが今でもあの感覚を持ち続けたら、いまわたしが好きで見ているコンテンツ…例えばアニメとか…は、楽しく観られなかっただろう。

でも、たまーーーーにアカデミックなあの世界に戻りたくなる瞬間があることくらいは、仕方ないよね?どっちが自分にとって心地良いのかは、未だに分からないんだけどさ。

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