母の一周忌

父は予定より一日遅れで退院しました。その日は月曜で仕事がある弟は本来迎えが無理な状況でした。しかし、父は身体のだるさもあり夕方まで病床にいたため、弟が仕事帰りに迎えに行くことができたことを聞いてひとまず安心しました。

父は疲れているからか、電話では家内と会話したのみでした。
翌日の夕方に私から電話すると、お腹が痛いようで声に力がなく、負担をかけたくないと思って手短かに切り上げました。

父が退院した日の週末に母の一周忌が控えておりました。そこで木曜の午後から実家に向かい、翌金曜に父が通っている病院内にあるがん相談支援センターを訪問することにしました。コロナ騒動が起きる直前でもあり、対面会話が可能だったのは幸いでした。

抗がん剤で父はやつれてはいないかと思いましたが、顔を見る限りではそれほど変化がなかった印象でした。それでも本人曰く、胃が痛くて少ししか食べれないこともあり、体重は以前に比べて7Kg落ちたとのこと。
その日は家内がうどんすきを用意してくれました。後にうどんすきはいろいろな記憶ポイントで登場しますが、このタイミングでうどんすきを食べていたとは、その時の写真を振り返るまで記憶にありませんでした。

翌日、がん相談支援センターを訪問しました。父は女性の相談員に胃の痛みを主治医がなかなか解消してくれないことを告げましたが、彼女も医者ではないので対応に困っていた様子でした。
彼女は、3週間おきの抗がん剤治療のスケジュール以外は何も情報を得ていない状況でした。そこで、主治医に今後の治療に関する情報を教えてくれるよう彼女にお願いしました。

翌日、母の一周忌を迎えました。まさかの胃がん治療で父の参加が微妙な状態でしたが、無事に執り行われました。
帰る時、お寺で無料配布していた「真宗の生活」という小冊子を持ち帰りました。その小冊子の中で心が動いたフレーズがありましたので以下に紹介します。

人間は、「わかって」救われるものではなく、「わからん」と言って救われていくものです。この「わからん」にも二通りあって、「不満のわからん」と「満足のわからん」です。「不満のわからん」は、自己判断の「わからん」ですが、「満足のわからん」は阿弥陀さんからの応答の「わからん」です。大悲の応答に満たされて、一生、ワクワクと「わからん」を生きるのです。(「なぜ?からはじまる歎異抄」(東本願寺出版)より)

人生は自己判断の積み重ねだと考えております。いまの状況は過去の自分が複数の選択肢から判断した結果であると。このフレーズを読んだ当時、自己判断はわからないという不満を常に抱えて行われるものだと思いました。
満足する自己判断とは、完全に自分の運命を天に任せて抗うこともしない、別の表現をするならば樹木希林さんのような自然に委ねる生き方を貫くことではないかと考えます。

生まれた理由は凡人にはわかりません。ならば「わからん」状態を不満とせず、何事も満足して生きる、すなわち「感謝の生活」が大事ということをこの小冊子では言いたかったのかもしれません。

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