涙雨

通夜当日の午前中に市役所での手続きを済ませ、父と私たちは家に近いうどん屋に入りました。その時の父の落胆した姿が目に焼き付いています。愛する配偶者を亡くした悲しさを目の当たりにしました。
夫婦である以上、いずれこの悲しさを経験することは分かっていますが、こんなことは経験したくないと深く思いました。
夕方、葬儀場へ向かうべく、ベッドで横たわっている母を棺に入れました。葬儀場から来た2名の方を中心に、父と私も一緒になった作業でした。
そして、実際に持ち上げると思ったよりも重さを感じました。

日本国内共通かどうか分かりませんが、棺を4名で抱えながら家を囲んでいる庭を一回りしました。きっと母に家の周囲も含めて見させてあげることなのかと。この一回りで母の身体は二度と家に戻ってくることがないと思うと、とても悲しい切なさを感じました。
葬儀場に入り棺を設置した後は、翌朝の告別式を迎えるまで待機する部屋で泊まりとなります。母の生前の写真は、脳梗塞で倒れる3ヶ月前の年末に撮ったカラオケでマイクを持っている写真を引き伸ばしました。
あの頃は後期高齢者になる前で五体満足だったのですが、その3ヶ月後に脳梗塞で左半身が不自由になり、それから2年も経たずに亡くなるとは。

親が健在である方は、その状態がずっと持続しないと心の片隅に留めてください。そして、何かしてあげたいことがあれば、後回しにせず早めにやってあげてください。それから、実家が遠方にある方はこまめに電話をして声を聞いてあげてください。

夕方から通夜。
一般的な大きな葬儀場ではなく、家族葬を中心とした場所にしました。せいぜい50名程度しか入れないのでこじんまりとしております。
家族葬のため、両親の親戚一同を呼ぶこともなく、私も会社からの弔問は辞退しました。弔問に来られたのは父の仕事仲間、母がリハビリでお世話になったリハビリサロンの社長や従業員の方のみとなりました。
父の仕事仲間が懸命に父を励ましたところ、父は「こんなに辛いとは思わなかった」と言っていたことが頭に残りました。

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