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野口智博の水泳よもやま話;コースロープ(レーンロープ)編 その1

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皆様、これ見たことありますか?
わりと有名な写真です。一人だけクラウチングの姿勢を取っている選手がいて、陸上競技における「イノベーション」としても話題になりましたね。第1回アテネオリンピックの時の陸上競技の様子です。

ここで見たいのはそこではなく、「レーンがロープで区切られている」ところです。
陸上では、今はレーンを白線で区切っていますが、昔はこのように、ロープが張られていたんですね。他のレーンを走っちゃう人がいたのでしょうか?(笑)不思議な感じがしますが…。

今回は、水泳競技にいつからコースロープ(今はレーンロープと言います)が入ってきて、そのロープは時代とともにどのように変化していったかを探ってみたいと思います。

動画は1920年ごろの水泳競技会の様子です。
船が伴走しながら、選手が泳いでいる様子がみて取れます。
競泳は、そもそもプールで行われていたのではなく、海や川で行われていました。
初期のオリンピックの競泳レースのリザルトを見ると、大会ごとに距離が微妙に違ってたりします。
https://en.wikipedia.org/wiki/Swimming_at_the_1896_Summer_Olympics

第1回アテネオリンピックでは、アテネのBay of Zea という湾が会場でした。
第2回のパリオリンピックは、なんと、会場がセーヌ川!
https://en.wikipedia.org/wiki/Swimming_at_the_1900_Summer_Olympics

今となっては、「セーヌ川でレースかあ。なんかそれはそれで趣があっていいなあ」…と思えたりしますが、この大会、川の流れの速さなど結構変化が激しく、泳者にとっては大変だった…みたいなエピソードを聞いたことがあります。そのような会場ですので、当然距離の設定などはかなり困難ですよね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Swimming_at_the_1904_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_100_yard_freestyle

1904年セントルイスオリンピックは、オリンピック史上唯一、距離を「ヤード」で設定しての開催でした。頑固に「ヤード」を譲らないところが、アメリカらしい(笑)。会場は「フォレスト・パーク」となっていますが、Wikiの地図や写真を見ると、どうやら池のボート乗り場か何かに、無理矢理スタート地点を作ってやっている感じが見受けられます。上野の不忍池のスワンボート(足漕ぎボート)乗り場みたいな感じのロケーションで、オリンピックの競泳やってたなんて、なんか面白いですよね。
当時は、水泳専用のプールがそれほどありませんでした。古橋廣之進先生の著書などでも、幼少の頃、浜名湾を何かで区切って、囲いを作ってプールとして練習されたエピソードが出てきますが、世界的にもそういう感じだったのでしょう。

私の研究室で保管している中で最も古い水泳の技術書(1950年)にも、海岸を区切ってのプールの作り方などが書いてありました。

この動画は、1940年ごろまでの水泳大会の様子が記録されたもののようですが、動画の前半にはロープはなく、泳者が進行方向を確認するためヘッドアップクロールで泳いでいる様子がみて取れます。動画の後半あたりで、ようやくレーンロープがみられるようになります。

ということは、おそらく1930年から40年にかけて、「レーンを区切る」という考え方が、陸上競技あたりから導入されたのではないかと推測されますね。

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(上記写真及び以下の資料写真:月刊とびうお1970年代より)
日本の初期のレーンロープは、おそらくこの型なのではないかと思われます。私たちは「ウインナー」と呼んでいました(笑)が、まさに、ウインナーソーセージにような形をしたブイ(浮き具)が、縦に連なっている形のものです。

ブイの溝は斜めにくり抜いてあり、波が経つとくり抜いた部分が回転して、波を消していくような作りになっています。当時これを「波消しブイ」という名称で販売していた記憶があります。
日本では1960年代あたりから、実はウインナーよりも前に、漁港でよくみられる、釣具の「浮き」を並べたような、そろばんみたいなレーンロープが先に普及しました。単にワイヤーを通して直列にブイが浮いて並んでいるだけなので、「ブイ」という名称で広まりました。この頃は、本当にレーンを仕切っているだけで、「波を消す」という効果はありませんでした。強いて言えば、ワイヤーが徐々に緩むと、ブイとブイの間に隙間ができるので、それをぎゅーっと片方に詰めて、インターバル練習が1本終わるごとに、そろばんのようにブイをバックル(壁とロープを繋いでいる金具)に5本終了まで寄せて、6本目からまたブイを戻して、本数をカウントする道具に使用していましたね(笑)。当時は50mを180本…みたいな練習が多かったので、この「レーンロープそろばん」は、かなり重宝しました。

一方で、こんなエピソードもありました。

レース中の波の影響で、息継ぎの際に水を飲んでしまい、レースを棄権せざるを得なかった選手のストーリーです。実際に、私が小学生の頃島根で泳いでいるときに、一つ上の先輩が、何度かレースを途中棄権されましたが、まさにこれです。今では信じられないかと思いますが、当時はレース中の波が、かなりパフォーマンスに影響を及ぼしたことがわかるストーリーですね。

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しばらくすると、単にブイを並べただけのものではなく、このように水車のような形をした、波消し効果を追求したものがアメリカから世に出てきます。
アメリカでは、このようなブイが1970年台からすでに発売されていました。直径が105mmですから、この当時では割と大きめですね。ウインナーの直径はおそらく100mmはなかったと記憶していますので。

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一方、日本では、先に挙げたアメリカのような水車状のブイがつくのはもっと後になります。ウインナーの次(あるいはほぼ同時期?)には、このようなレーンロープが出回ります。ブイの中が網の目になっていて、浮力はあまりないものの、波を消す効果がウインナーよりやや高くなったかな…という感じのレーンロープですね。ただ、あまり浮かないので、中を通っているワイヤーの負担はかなり高いのかなと推察されます。

この頃のオリンピックの映像を見ると、波がなかなか鎮まらない様子が見て取れます。

これは、1964年東京オリンピックの動画で、ドン・ショランダー選手が金メダルを取るシーンですが、100m51秒の泳ぎで、レース後もずっと波が消えません。
当時の代々木オリンピックプールは、スタート、ターンサイドが確か水深1m50cmくらい、プール中央が180cmくらいだったかと記憶していますが、それにしても、レーンロープがウインナーだったもんですから、レース後しばらくの間、このように波が収まらなかったわけです。

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ウインナーの後に出てきたのは、この真ん中にある形ですね。
この水車のない形から、水車状のブイがある形に移行する(左・右側にあるもの)のには、それほど時間を要しませんでした。おそらく、アメリカモデルのものが国際的に普及し始めたため、国内のレーンロープも「波消し重視」型にシフトしてきたからではないかと思われます。

ただ、先の広告資料を見れば分かりますが、アメリカ型のは性能は素晴らしかったのですが、当時1本9万円近くかかっていたので、当時国内で主流だった8〜9レーンのプールになると、10本程度のロープが必要になります。ワイヤが切れた時のスペアなども考慮すると、単純計算で、当時の金額で100万円はかかります。かなり破格ですよね(笑)。消費者物価指数をもとにGDP基準で今の値段に換算すると、1本が30万円程度になり、レーンロープで総額300万円もかかる計算になります。
日本にアメリカ型のロープを輸入するのがどれだけ困難だったのかが、窺い知ることができますね。

しかし、先ほど1964年の動画に出てきた代々木のプール。80年代には例の新型レーンロープがやってきました。その後、このプールで数多くの新記録がつくられました。この記事にもあるように、ジャネット・エバンスが20年破られなかった800の世界新を出したのもここでしたね。私自身、初めて1500mで16分を切って日本選手権で優勝したのがこのプールでしたし、400で初めて4分を切ったのもここ。今思えば、代々木は割と浅いプールなのに、多くのハイパフォーマンスを支えてきました。
このレーンロープの貢献度を、客観的に示すものではないかと思います。

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さて、時代が戻りますが、1964東京オリンピック以降、日本では屋内プールの普及とともに、このようにブイとしての浮力を保ちつつ、「波消し」効果の高い水車状のレーンロープが普及し始めます。
本学文理学部のプールに、開設当初からあったものも、この型だったかと記憶しています。
直径は100mmに達しないものの、浮力と波消し効果を両立させたロープで、尚且つ、水車の形状が丸味を帯びてできているので、指を挟んでも裂傷になりにくい形に仕上がっています。
ちょうど日本国内に屋内プールが相次いで作られた頃と、これらのレーンロープの開発が時期的に重なりますので、国内の割と多くのプールに、この型のロープが普及したのではないかと記憶しています。

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これらは、近年使用されているレーンロープですが、水車の中身がかなり変化してきているのが見て取れます。どれも、水が当たった時の形状抵抗をある程度増やしながら、大きな波を小さく分断し、水車が回ることで水が平らにならされていくような形に進化しています。

ちなみに、2004年のアテネ五輪。先の1964年の動画と同じ種目の100m自由形で比べてみてください。ここは外気温も高く、屋外であったことなどから、近年のオリンピックでは比較的プールコンディションが良好ではない印象を受けたプールですが、1964年に比べると、レース後に割と早く波が治まっているのが見て取れますね。ホーヘンバンドがガッツポーズで水飛沫を立てているのが目立つくらい(笑)、レースで生じた波が治まっています。

アメリカでは、1980年代の全米学生選手権あたりから、レーンロープを2本並べる大会が見られるようになりました。アメリカは、各地の学校のプールの水深がそもそも深かったのですが、おそらく、特に短距離でレベルが高い選手がどんどん出てくる過程で、「波消し問題」(プールによって記録レベルが異なる)が浮上したのではないかと推察しています。そこで、NCAAの大会から、このような2本ロープで、徹底的に波を制圧する姿勢を明確にしたのです。

また、波消しの効果だけでなく、ビジュアルでレーンナンバーが区別できるような工夫もされてきました。オリンピックではシドニー大会から、3レーン、4レーンがすぐ見分けがつくように、レーンロープの色使いが変わっています。今でも、センターレーンの2つのレーンは、ロープの色使いが変わっていて、見てすぐに「レースの主役」が目に飛び込むようになっています。

http://xn--tckm4gvd7cc.com/

先のリンク(コースロープ.com )を見ると、近年のレーンロープの直径は150mmのようで、直径が明らかに以前より大きくなっています。また、水の抜けを考慮した作りになっていることから、水車と水車の間の隙間もあり、波消しの効果はかなり強くなっている一方で、背泳ぎなどで指をロープの間に引っ掛ける確率も、以前より高くなっていると考えられます。従って、特に背泳ぎを泳ぐ場合で、手のかきが比較的浅い方は、会場で使われているレーンロープをチェックして、あまりロープ際に寄らないように泳ぐスキルが求められます。

このように、ただ「レーンを区切る」だけだったレーンロープは、「波消し」という機能のレベルを徐々に上げながら、スイマーたちのパフォーマンスアップに貢献しつつ、今は「見る人のため」にも役立つエクイプメントに進化し続けています。今後は、ロープにカメラやセンサーが備え付けられ、ブラインド(視覚障害)スイマーに音声で距離をガイダンスする装置や、15の潜水距離制限を自動でジャッジするものなどが出てきそうですが、果たして、私が生きているうちにそんなイノベーションを目にすることができるのでしょうか?(笑)
その2では、このロープを使った練習法(あるんかそんなの?)や、ロープの使用上の注意などを、記しておきたいと思います。 


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