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山手線沿線膝栗毛 初編:品川~大崎の巻 2018.10.20

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まず、最初のスタート駅をどこにするかでちょっと迷う。
当初は駅番号01だし東京駅かなと思っていたんだけど、調べてみたら山手線で最初に出来たのが品川駅なんだって。
だから起点も品川駅らしいし、東海道の最初の宿場町だしってことで品川駅からスタートすることに決めた。そこから時計回りに。

品川へ行く車中、工事中の新駅の駅舎を見る。外観の骨格はすでに出来上がっているよう。早くて2020年に開業するみたいだ。
でもホームが山手線の線路と離れすぎている気がするんだけど…?
さすがに2020年までには一周しているだろうけど、どうなるかみてみよう。

僕は品川駅で降りるのは初めて。Y氏は仕事で何度か来ている模様。
まず降りて思ったのは、駅の天井が高い。でかくて広い。
新宿や渋谷はゴチャゴチャして窮屈なんだけど、品川は天井が高いってのもあって息苦しさみたいなのはない。場所の表示もわかりやすそうだしで好印象。

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まずは旧東海道の入り口へ行くために東口へ出る。ここから山手線沿線膝栗毛スタートだ。

駅の出口は高架上の二階部分。人も少なそうなので地上へ降りずにそのまま高架上を歩く。
いくつかのビルを抜け、居住区をかわして地上へ。そのまま道なりに歩いていくと大通りが見えてきた。
でも旧東海道はどこ?とうろつくけど、なかなか見つからない。
Y氏がグーグルマップで見てみるも、要領を得ない。
しかしここでY氏がはじめてグーグルマップのナビ機能を使う。
ケンイチがよく使っているし、膝栗毛では遅すぎる登場でもっと早く使えと思ったが、それでなんとか目的地へたどり着くことが出来たのでよしとしよう。

品川駅周辺は高層ビルに囲まれているんだけど、ちょっと離れただけで景色が一変する。駅からすぐなのに古い団地があるし。
特に山手線と並行して走っている京急本線の昔ながら感がすごい。北品川駅のちんまりした感じとか。

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踏切渡ってすぐに東海道八ツ山口を見つける。
この細い道が東海道すか。
すぐ左手がかつて海だったんだけど、確かに道が少し左に傾いていて海岸線の名残がある。
ここをスタート地点にしたのは正解だった。テンション上がるぜ。

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旧東海道を左折すると思ったより傾斜がある下り坂になっていた。

旧東海道と並行している八ツ山通りに出て、目の前にある橋が天王洲運河へ通じる品川浦の船溜まり。
結構な数の屋形船が係留している。
橋を渡った先の区画がホームベース型にぐるっと囲っているんだけど、これがまさに江戸時代のお台場の地形そのままになっている。
今では埋め立てられてそれ以上の面積はあるんだけど、道がそのまま島の周辺になっているのは珍しいんじゃないかなと。
前回の膝栗毛で行ったお台場の台場跡は品川第三台場という名称。
今回のところは御殿山下台場と言ったらしい。左手は海だけど、右手は御殿山という山でそこから土を持ってきたみたいだ。
こっちの台場跡は全然知らなくて地図を見てたまたま見つけた。

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台場の外周を突っ切って旧湾岸通りに出ると、天王洲運河に架かる、ふれあい橋が見える。
歩道専用で小さくなかなか面白いトラス橋だ。ドラマやCMでも使われているみたい。
でもそこまで行くのは面倒なので、ちょっと離れたところから眺めるだけ。
後日Y氏が発見したが、水曜どうでしょうのサイコロ3のとき、この橋でスタートきっていた。
僕も確認したが、確かにここだ。何故この橋の前で…
行く前に知っていたら、橋の前まで行ってたなぁ。

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旧湾岸通りにはテレビ東京の天王洲スタジオもある。

来た道へ戻って、台場跡区画歩きのつづき。
台場小学校というまんまな名前の小学校をぐるっと行って、路地裏のような細い道を行く。
古い家や、もうボロボロの廃屋なんかがあったりする。
利田(かがた)神社がここの鎮守っぽいんで行ってみた。
看板見ると南房総にある洲崎神社から祀られてきているようだ。更に調べてみたら、勧請に沢庵和尚がからんでいた。ほう。
規模は小さいんだけど、狛犬がそれぞれ子を2匹連れてなかなか立派。
狛犬の豪華さってのはその地域の羽振りの良さも表しているんじゃないかなと、このときふと思った。

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ここには鯨の供養碑もある。
なんでも江戸の時代に鯨が打ち上がって、そのデカさから時の将軍までも見学(浜離宮庭園で)したとか。
解体した鯨は最後にここの神社に祀られたそうな。
その碑が隠されるように置いてあったのは謎だが、近くの公園の遊具が全て鯨モチーフだったのは面白かった。
Y氏はその鯨遊具を撮りたかったんだけど、少女が遊んでいたので倫理上断念。

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Y氏的に、最初に行った屋形船の係留場の撮影が納得いっていないようでリベンジのためにもう一度寄る。
これでこの台場跡一周したけど、距離は思ったよりもなかった。
Y氏、それでもあまり満足した写真撮れなかったようだが、先を急ぐ。

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旧東海道に戻り、再び弥次喜多気分で南下。

すると看築(とっさに思いついた看板建築の略)発見!
金物屋のようで今も営業中。ここらへんって空襲の被害は少なかったのかな。
更に行くと、TVでこの街道をロケすると必ず寄る履物屋さんがある。
なんかどっちも営業中のお店で人がいるから写真や動画撮るのはばかれるのよね…もうちょっとがっつり撮りたいけど、遠慮がちに撮る弥次喜多。

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成田山の提灯を掲げている一心寺なんかは江戸三十三観音霊場のひとつでもあり、東海道七福神の寿老人もある。
江戸三十三観音霊場は調べてみたら結構まわれそうな所が多かったけど、さすがに全部は行けないし、話がややこしくなるので気にしないことにした。

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歩いていくと、目黒川に出る。初目黒川です。
江戸時代からここを境に北品川と南品川に分かれる。

目黒川沿いを歩き、荏原神社へイン。
東海道七福神の恵比寿さんがお出迎え。
ここは結構古く由緒があるそう。
ここもまた狛犬が2匹の子付き。作っていることが同じなのかな。

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目黒川をまたいで建っている新馬場駅の下を通り、山手通を渡って北上。この通りは最初の踏切の前の大通り、新八ツ山通りだ。方向音痴なのでリアルタイムでは気づいていない。
それとは知らずにしばらく歩くと今日のクライマックス、品川神社に到着。Y氏が珍しく最初からここへ行く気満々だったな。
それほど有名な神社で、鳥居がでかい。柱に神龍のような龍の彫刻が施されて重厚感パない。
入り口で他の神社とは格が違うぞっつーのがわかる。
ここでは大黒天がお出迎え。
この神社も洲崎神社から勧請されたよう。
時期はこちらのほうが500年も古い。でもこれだけ品川に愛された洲崎神社って凄くね?と思えてくる。

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階段の傾斜が物凄い急だ…
階段の途中に富士塚への参道があるのでそちらへ行ってみる。
こっちも階段で登っていくと景色が見渡せるとこに出る。
まだ品川神社の中腹なのに結構な高台。手前に京急本線が走っていて、その先は旧東海道なんだけど、ビル群で見えるわけもない。
江戸時代は海を一望できたんだろうな。確か房総半島が見えたんじゃなかったっけか。
今現在の景色はぶっちゃけたいしたものじゃないんだけど、歴史に馳せて見るとまた味わい深い。
富士塚の頂上は更にもう一段上がってやっとたどり着く。
そこにはカップルと、カメラを抱えたおっちゃんがいた。佇まいからおっちゃんはこの富士塚の常連ではないかと。
頂上からの景色は見晴らしいいんだけど、さっきちょっと下でほぼ同じ景色見ちゃったからね。ここに来た達成感はあるけど、新鮮さはないね。
でもここの富士塚はやはり有名なだけあって中々のものですよ。
膝栗毛的にも上位にランクするね。

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富士塚を下山し、神社境内へ。
ここは狛犬が3組もいた。
角があったり、焼き物っぽい造りの狛犬があったり、やっぱり2匹の子付きいたりとどれもクオリティ高い。
紹介が遅れたけど、ここ品川神社は東京十社のうちのひとつ。伊達じゃないね。なにげに膝栗毛で十社のうち4つ制覇している。
境内をウロウロしていたら、裏手に板垣退助のお墓があった。
有名な名言の『板垣死すとも自由は死せず』の碑がある。でもちょっと周りが荒れていて寂しいところに追いやられているようだったな。

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Y氏もとりあえず満足したようだし、お次も墓参り。沢庵和尚のお墓が近くにある。そしてあの大物歌手のお墓も…

山手通りを道なりに歩く。
山手通りって山手線と関係あるのかと思ったけど、ないようだ。

沢庵和尚のお墓は山手通りに案内板がでとる。これがないと通り過ぎているくらいわかりずらいとこを入って行く道だったんで助かる。
案内板通りに行くと墓地がある。裏手に東海道本線が走っていて、墓地の規模はそんなに大きくない。でも都内ってことを考えると大きいのかしら。
沢庵和尚のお墓は入り口付近に大仰に鎮座していたが、柵に囲まれてお参りできず…
沢庵和尚って遺言で「葬式をするな、墓をつくるな、香典はもらうな、死骸は焼かずに山に埋めて二度と詣るな、法事をするな」だったらしいのよね。
なのにこの祀られかたは…まあ、これも人徳が成す縁ってことだろうけども。
因みに宮本武蔵との関係は吉川英治のフィクションだそうだ…これはちょっとショック。

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何日か前にテレビで品川散歩やっていて見ていたら、ここに島倉千代子のお墓もあると紹介していた。
だもんでそちらもお参りしようと探すも見つからない…二手に分かれて捜索し、やっと島倉家の墓を発見。
島倉千代子の名も刻んであるのでこれで間違いない。
僕はここで島倉千代子の名曲『愛のさざなみ』を熱唱(小声だったけど)しお参り。
でもY氏は愛のさざなみを知らないようだし、そもそも島倉千代子に興味がない。東海道本線を走る電車の方に興味がいっていた。
だからY氏はここでの写真は撮っておらず…(僕はiPad miniで動画撮影)

この後の飲み会でY氏が調べたら、島倉千代子専用?の豪華なお墓があったようだ。なぜ2人がかりで探したのに一番目立つそれを見つけられないんだ!
でもいわれてみれば、テレビでお参りしていたのはそっちだったなあと後々思う。

愛のさざなみを口ずさみながら再び山手通りを歩く。
今回の行程は常に線路がついて回っていて、僕は話しているのに電車が通るたびにガタゴトうるせーなーと思っていたんだけど、何気に電車というか、新幹線に興味のあるY氏はこの地域は電車好きにはたまらんねとまんざらでもないよう。
興味のない僕はどれが新幹線なのかもわからない…

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そんな調子で道なりに歩いているといつの間にか北上してしていて完全に僕の磁石が狂う。
居木橋が急に現れて驚くし、二手に分かれている道が連続して出てくるもんだから、当然のように選択を間違え道に迷う。
『通り抜けできません』と書いてある道だけど、戻るのメンドイし、ワンチャンあるんじゃないかと先に進み案の定行き止まり。
でもちょっと戻って階段を上がってマンションの横を通るとなんとか修正できた。
ここらへんは御殿山と呼ばれている地域。結構な坂を覚悟していたんだけど、思ったよりではなかったかも。
でもミャンマーとセルビアの大使館があったりとハイソな住宅街でちょっとびびる。
びびりすぎて道灌通りを道灌”坂”と勘違いしたり、一本行き過ぎたり、吉川英治邸の前まで行ったのにスルーしたりと完全に浮足立つ。

山手線沿線膝栗毛 品川~大崎編_181021_0006

そして八ツ山通りに出て御殿山城跡を目指し歩いていると、道が段々下っている。
城の跡って普通頂上にあるのが普通なのに何故?と思いながら下っていくと、三叉路に出てそこが御殿山城跡。
でも城跡があるところが思いっきり工事中。なんかでかいビルが建ちそうな感じ。
だもんで城跡が果たしてこのあたりだったのかもよくわからないまま、調査断念。

山手線沿線膝栗毛 品川~大崎編_181021_0002

今シリーズの膝栗毛はかなり迷子になることを予感させるスタートになった…

<本日の行程9km也 疲労が少なかったのは気候のおかげ>

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