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山手線沿線膝栗毛 八編:曙橋~目白の巻 2019.5.25

今日のスタートは新大久保からではなく、都営新宿線の曙橋駅から。
永井荷風の旧家、断腸亭があった場所が近くにあるので荷風フリークとしてはおさえておきたいところ。

曙橋から早速反対方向へ歩き出してしまう。
すぐに気づいたので良かったが、幸先の悪いスタートだ。
しかもこの日は季節外れの暑さだし…

1kmくらいある長くて軽い傾斜の台町坂を歩く。
余丁町に入ってすぐくらいのマンションに断腸亭跡の看板発見。
気にしてないとスルーしてしまうほどで断腸亭の遺構や面影はまったくなし。
当時は坂の傾斜はこれよりも急だったのかしら…と無理矢理当時に思いを馳せる。

坂を登りきったところに厳島神社抜弁天がある。
弁天様が祀ってあるんだけど、お堂は閉められている。七福神系はこんなん多いな。
弁財天てことで小さいながらも池があり、金魚がいてほっこり。

西向天神社は隣に大聖院というお寺もあり、神仏習合だ。
神仏習合はテンション上がる。逆に廃仏毀釈の名残を見るとテンション下がる。
神社は坂を下ったところにあって、社殿は階段を登ったところ。
アップダウンは暑いしこたえるが、構図的には絵になる。

奥の方が公園になっていて、東大久保富士といわれている富士塚がある。
ベンチの横に謎のオブジェ。
何かの遺構なのかしばし考えるも結論が出ずに先へ急ぐ。

職安通りを歩いていると、明らかに女装したおっさんに遭遇。
Y氏はああいう女の人だというが、カツラだしちょっと挙動不審なのでおっさんだと思うんだけどなぁ…

軍艦マンションと呼ばれている面白建築物がこの通りにあるんだけど、探す前にすぐ見つかった。
確かに軍艦のような形状で色味的にも明らかにまわりと浮いている。

稲荷鬼王神社にも富士塚があった。
そしてなぜか昔の映画のポスターが貼られている『鎮守の杜まちかど博物館』なる掲示板が。
ここ鬼王神社は鬼の王様の名を持つ全国で唯一つのお宮だそうだ。
ここに限らず神社のご祭神は色々調べているんだけど、名前がややこしいのでイマイチ覚えが悪い。
水琴窟があったり、変わった狛犬(山犬=狼だそう)があったり、逆に稲荷なのに狐いなかったり、ひと通りチェックしたと思いきや、山手七福神の恵比寿と新宿区指定有形文化財の水鉢をスルーしてしまったのが悔やまれる。

歌舞伎町エリアから職安通りを渡って大久保エリアへ入ると一気にコリアンタウンぽくなる。
歩いていると、光線研究所なる施設が。日々何をするのかああだこうだと言っていたら目的地の小泉八雲終焉の地の碑がこの研究所の対面にあってスルーしてしまっていた。通りすぎた後に気づき引き返す羽目に。
今は小学校になっているので案内板だけ。
ちょっと行くと小泉八雲記念公園があって、八雲さんがギリシャ出身なのでギリシャ風の門と柱。コリント式だ。
ここで休憩をとったが、日差しが強く、座っていると首の後ろが日に焼ける…だもんで休憩もそこそこに歩き出す。

お次は今日の個人的なメイン、僕の生まれた病院。
小泉八雲さんからわりと近くにある、かわかた医院で僕が生まれた…らしい。
建物は当時から変わっているが、場所は一緒。
当然記憶にないので実感もない。でもここで生まれたのは事実なので、その前に立つと不思議なものだ。
断腸亭跡や終焉の地跡の碑を見るのと同じような感覚。
ここらへんは住宅街で古い建物もあるので当時とあまり変わっていなんじゃないかな。

戸山公園を突っ切って、田植地蔵堂へ。
ここはたまたまネットで見つけたところ。
庚申塔やお地蔵さんを一箇所に集めて山のようになっている画像を見たんで行ってみた。
…んだけど、その山のような地蔵群がない。
それらしきものがあるにはあるが思ってたんと違う…僕の思い違いかと思ってその場を後にしたが、あとで調べてみたら一箇所に集めてあるところに今は何もない。
どうやらお地蔵さんと庚申塔とジャンル分けして分散させたようだ。
なかったときには僕は一体何を見たのだろうと自分を疑ったんでちょっと安堵。

隣の玄国寺もちょっと見てみたけど、入りづらかったのでチラ見で通り過ぎ、同じ通り沿いにある新宿諏訪神社へ。
入り口からもう立派。
諏訪神社ということで、Y氏は御柱を見たかったようだが無いようだ。残念。
ここにも庚申塔がある。新宿区は庚申塔多め。

住宅地の狭い道を歩いて(何気にこういった道を歩くのが楽しい)坂を下りると、ビッグボックスの裏に出て高田馬場駅をチェック。

そのまま神田川へ出て川沿いを東へ進路変更。
いくつかの橋を通り過ぎて面影橋へ。

でも渡る前にいい感じに疲れてきたので、甘泉園公園で休憩。
ここは東西線膝栗毛の時に来た、水稲荷神社の裏手にあたるところ。
大名屋敷跡の静かな庭園。池の畔でY氏持参のハチミツ飴をほおばり休憩する。
でも暖かくなってきたので蚊に刺される弥次喜多。

痒みをこらえて歩き出す。

面影橋を渡り、太田道灌ゆかりの山吹の里の碑へ。

にわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄った。娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。後でこの話を家臣にしたところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間(やまあい)の茅葺き(かやぶき)の家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励み、歌人としても名高くなったという。

wikiより

この逸話は好きで、知らないY氏に説明しようとしても和歌が暗唱できないので、ふんわりしてしまい伝わりきらず。
wiki見ても覚えられそうにない…

境内撮影禁止な神社を外から眺めたりしながら目白不動尊のある金乗院へ。
元々目白不動尊は文京区にあったそうだが、戦災でこの金乗院のあるところへお引越ししたそう。
だからか目白不動尊のお堂は隅っこのほうにあった。
ここらへんは住宅地だけど、お寺が他にもいくつかある。

富士見坂はかなりの長さと勾配。雪積もったら登れないくらいの傾斜だ。
今まででも1、2を争う急傾斜なんじゃないかな。
それを登り切ると、隣の日無坂と合流する坂道のY字路がある。なかなかのビュースポット。膝栗毛百選に認定。
日無坂は文字通り、あまり日の当たらないような坂だ。
こちらは階段状になっている。

坂の上は目白通りでそのまま目白駅へ。
目白は学習院があるからか、落ち着いた街の雰囲気。
高田馬場も学生街なのに随分と違うな。

<本日の行程9.4km也>




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