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じぶんのDNA

こどもの頃に、「絶対に自分のDNAは残さない」と自分に誓って、それは守られた。55歳のわたしは独身で、子供もいない。

世の中を見渡せば、わたしと同い年で孫がいる人は少なくはないので、たまに不思議な気持ちになる。その不思議な気持ちが、どこからくるのかと言えば、やっぱり自分の過去を探っていくしかないのだなぁ、と思う。

わたしは父親から虐待を受けていた。わたしの生みの母は「鬼」だったらしく、よく「鬼の子」と言われていた。「手が痛いから」という理由で、棒状の物で殴られたり、包丁を突きつけられたりしたけれど、包丁の時はさすがに、継母が「こんな子のために、お父さんがそんな事する事も無いわよ」、と割って入ってくれたので、刺されずに済んだ。殴られすぎると記憶が無くなるようで、実際わたしがどんな悪い事をしたのか、あまり覚えていないのだけど、親から「頼むから死んでくれ」と言われるのは、殴られるよりも身体から魂が抜けるような気がした事は覚えている。しかし、殴る父親と知らぬ顔をする母親は「躾」だと言っていたけれど、思えば確かにわたしは躾けられているなぁと、改めて感じる。

母親が鬼だとして、その子供も「鬼」とは限らないし、鬼は処女懐胎で子を産むのかもわからない。順当に考えれば、鬼の形相で無抵抗のこどものわたしに、殴る蹴るの暴力行為を繰り返す男は、わたしの親だ。だとしたら、「自分の汚らわしい血を全部入れ替えたい。自分の血を残すなんてことは、絶対にしてはいけない」と、いつの日からか思うようになっていた。自分から死ぬのは怖いので、「なんとなく偶然に死ねないかなぁ」などと常々思っていたし、父親に「殺してくれ」とお願いしたこともあった。

ちなみに、現在のわたしは死にたいと強く思うこともないし、ひねくれてはいるけれど、暗くはない。

今更何十年も前の、家族の重たい過去を掘り起こして人前に晒そうと思ったのには、それを語らないとわたしの今に繋がらないので、ボソボソと時間を掛けて書いていこうと思っている。

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