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卒業~僕の大学生活5年間~

この度、5年間通った早稲田大学を卒業しました。

この5年間、本当にたくさんの友人、仲間、先生、大人の皆さまに出会い、お世話になりました。本当にありがとうございます。

今、私たちはコロナウイルスの影響で世界的なパニックの中にあります。
世界の大都市がロックダウンとなり、人の行き来がなくなりました。
東京オリンピックは延期になりました。

いま、世界が当たり前が当たり前じゃないということを突きつけられています。

世の中の転換期なのかもしれません。

こんな中、尊敬するゼミの先生から卒業生に向けられた言葉は

「こうした中での卒業は、これから社会人として何に価値を置きどのように生きていくかを改めて考えるよき機会になる、卒業式に相応しい出来事であろうと思います。羅針盤を研ぎ澄ませ勇気をもって航路を切り開いて下さい。

でした。

たしかに、卒業式がなくなり、送別会もなくなり悲しい気持ちもあります。
しかし、こんな世界が変わろうとしているとても大きなタイミングを、当事者として迎えられることはある意味チャンスなのかもしれません。

形式的な節目=卒業式はありませんが、自分の中での節目=卒業を言葉にするため、自分にとってこの卒業がどんな意味を持ち、これからどんな人生を歩みたいのか考えるため、改めて自分の学生生活を振り返ろうと、この記事を書こうと決めました。

あこがれの早稲田への入学

2015年4月。兵庫県の公立校から僕は早稲田大学文化構想学部へ進学しました。

早稲田大学を目指したきっかけは、高1のころに参加した高校の東京研修というプログラムで早稲田大学を見学したことでした。
思えば8年近くも前のことです。

そのころの僕は陸上部長距離で活動していましたが、ちょうど怪我をして走れない時期でした。そんな時に担任の先生から誘ってもらった東京研修。プログラムの中には箱根常勝校である早稲田大学の見学がありました。練習もできず、少し拗ねていた自分は気分転換に参加することを決めました。

しかし、いざ参加してみると、その立派なキャンパスと、いきいきと大学を案内してくれる先輩の姿がかっこよく、

自分もここで学びたい

と感じ、それから早稲田大学進学を目指すようになりました。

当時の僕は、法と政治を学び、発言力と実行力を持った大人になりたいと考えていたため、早稲田の法学部を第一志望に頑張っていましたが、あと0.6点届かず落ちてしまいました。しかし、併願していた文化構想学部に合格し、なんとかあこがれの早稲田に進学することができました。

理想と現実のギャップを感じた大学1年

無事にあこがれの早稲田に進学。地方から上京してきた身としては、

早稲田には全国各地から変わった人が集まり、切磋琢磨高め合っている

というイメージがありました。
そんな環境に自分も飛び込み、学びたい。そう感じていました。

しかし、実際に僕を待ち受けていたのはそんな理想とのギャップ。
うきうき上京してきた僕が見た早稲田は、多くの学生は首都圏出身、いたって平凡な大学生、授業をさぼって遊ぶなんてよくあること、そんな雰囲気でした。

思ってたのと違ったな~
と、けっこうショックを受けたことを覚えています。

しかし、入学当初がっかりしていたそんな僕を受け入れてくれたのが、早稲田のトライアスロンサークル Northwest(ノース)でした。

先にも書きましたが、僕は高校時代、陸上部で長距離選手として活動していました。長い距離を走ることが得意で、近畿大会でも結果を残すなど、部活は本気で頑張っていました。しかし、高3の夏は最悪な結果で、後味の悪い終わり方をしていました。

長距離をやっていた者としては、早稲田のユニフォームを来て、箱根路を走ることへのあこがれはとても大きなものでしたが、当時の僕は走ることから一度距離を置きたいと弱気になっていました。
しかし、やっぱり走ることは続けたくて、陸上系のサークルをぶらぶら回っていましたが、あまりピンとくるものがなく、たまたま出逢ったのがノースでした。

トライアスロンというと、スイム・バイク・ランの3種目が必要です。僕は走ることは得意でも、泳ぐことは本当に苦手で、25メートル泳ぐので精一杯でした。できることなら泳ぎたくない人でした。それが、1500メートルも泳がなければいけないトライアスロンを始めるなんて。。。今でも、当時の自分は何を血迷ったのだろうかと思います。笑

けれど、一人ひとり目標を持って、堅実に練習をこなしながら、お互いを認め、尊敬しあっているノースの雰囲気が、高校時代の部活の雰囲気にどこか似ていて、「ここならまた頑張れそうな気がする」と入部を決めました。

それからは、まずは完走を目標に苦手なスイムを練習し、泳ぎ切れるようになってからは、全国大会出場を目標に頑張りはじめました。

選択と集中の大学2年

大学2年は学生トライアスロンの全国大会であるインカレへの出場が最大目標でした。そのために、練習を頑張りましたが、撃沈。まだ実力が足りていませんでした。

夏まではとにかく必死にトライアスロンの練習に励んでいましたが、夏の大会が終わってからは新しいことにもチャレンジしようと決めていました。
というのも、せっかく早稲田まで来たのに、目的も持たずに友達に流されて授業を選択したり、遊んだりという周りの雰囲気に少し違和感を覚えていました。

だから、「やりたい」という気持ちを大切に、授業や課外活動などを自分で選択するように心がけ、少しずつやりたいことにも手を出しはじめました。夏休みにはリュック1つで東南アジアを一人で旅し、秋以降は、興味のある教育、地方、台湾、ボランティアなどの分野の授業を履修するなどしていました。
そうすることで、学ぶ楽しさを少しずつ感じるようになりました。

結果にコミットと情報収集の大学3年

大学2年の秋からは、ノースの幹部(副幹事長)になり、学生トライアスロンの運営を行う学生連合でも幹部(大会運営委員長)になり、トライアスロンをただひたすらに頑張っていました。

大学3年は、大会運営委員長として全4回の学生レースの取りまとめを務めながら、昨年のリベンジを果たすべく個人でも必死に練習し、目標にしていた全国大会への切符を勝ち取りました。
しかし、全国大会の結果は散々。完走すらできず、自分の実力不足を痛感させられました。

大学3年の夏が終わり、選手としても幹部としても一区切りついたことをきっかけに、僕はやりたいこと(食・地方・教育)にますます注力するようになりました。

かねてより地方・地域に興味のあった僕は、大学の授業のプログラムを通じて地方創生で有名な島根県・海士町に行きました。その延長で離島キッチン日本橋店の立ち上げ時に開催された学生プロジェクトにもかかわるようになりました。さらにETICが主催したQ学のススメに参加するなど、人との出会いが一気に増えました。それまでの学生生活では出会わなかったような、自分のやりたいことと向き合い、すでに行動している人たちにたくさん出会い、とても刺激を受けるようになりました。

もともと、やりたいこともよくわからないのに、なんとなくやりはじめる就職活動に違和感を感じていた僕は、

自分は何がしたいのだろう

とこのころから考えるようになりました。

そして、自分の中にずっと前から興味のあった食の分野で本格的に活動してみたいと思い、休学することを決めました。

挑戦と内省の大学4年

大学4年の1年間は自分にとっての転換期だったかもしれません。
休学を選択し、やりたいと思ったことに素直に、えいや!と飛び込み、もがき、挑戦してみた1年間でした。

はじめの半年間は福島県にある株式会社エフライフでのインターン。このインターンを通して、初めて「できない自分」に出会いました。これまで、勉強もスポーツもそこそこに結果を残し、自分はやればできる方かもしれないとどこか天狗になっていた僕は、きっとインターンもできるだろうと思っていました。しかし、待っていたのはできない、わからないの繰り返し。やったことなんてないのだから、できないことは当たり前なのに、指摘してもらう度にへこんでいました。さらに、負けず嫌いの性格が悪い方向に出て、自分と周りとを比較し、できない自分に焦り、周囲の人に八つ当たりし、大切な仲間から嫌われる。そんなことも経験しました。

食の分野に興味があり、食の分野の活動をするために福島県で半年暮らし、確かに生産者さんや日本酒の蔵人さん、料理人の方などたくさんの人に出会い、また仕事としても多くのことを学ばさせてもらいました。しかし、この半年間の何よりの学びは自分の弱み、自己中な性格を知る。と同時に、感謝の大切さを教えてもらったことでした。

その後は世界一周がしたい!と海外を飛び回りました。インド、アフリカ、ニュージーランド、北米を回り、非日常な世界をたくさん知りました。

しかし、「結局人間どこでも、朝起きて、働いて、食べて、寝る。ただその生活をみんなそれぞれ一生懸命送っているんだな」ということを感じ、

じゃあ、自分はそんな生活をどんな人生にしたいのか
どんな人生を歩みたいのか

を深く深く考えました。

そこで、「人に気づきを与えられる人」というありたい姿が出てきました。

(この部分に関しては、当時の内省をまとめたブログをご覧ください。
記事はこちらから。)

インプットとアウトプット、そして決定の大学5年

「人に気づきを与えられる人」という自分のありたい姿を考えた時に、目標に掲げたことは「やりたいことをやってみるのハードルを下げる」ということでした。その目標を場づくりを通して達成しようと、帰国後に場づくりの事業を行う株式会社ファイアープレイスの門をたたきました。

この1年間はファイアープレイスが運営するロックヒルズガーデンのコアメンバーとして活動させてもらいながら、インプットとアウトプットの大切さ、言語化の大切さ、プロとして働くことの大切さについて教えてもらいました。

また、4月からは大学に復学し、ファイアープレイス、大学生と並行しながら就活も行い、再度自分のやりたいことと向き合いました。休学期間中は今の気持ちからありたい姿を考えましたが、就活を通して過去を見つめ直し、過去と今の気持ちの接続もきちんとできたことがとてもよかったです。また、自分の本心(さみしい、認めてほしい、受け入れてほしい)に気づき、それらを踏まえたうえで、ありたい姿により納得感を得られるようになりました。そして、志望していた企業から内定もいただけ、来年からの進路を決定することができました。

また、秋にウルトラマラソンに挑戦し、完走できたことは、自分の中で再度「走る」ということが大切になるよいきっかけでした。さらに、ルームシェアを始めたり、新しい授業を通して大学内のつながりが増えたりと、人に恵まれた一年でした。

ありたい姿とファーストキャリア

今、僕は自分のありたい姿を

自分の学びを社会に還元できる人

と考えています。

僕は新しいことを知る瞬間がすごく好きです。そうした学びを自分のものだけでなく、社会に何かしらの形で還元できるようになりたいなと感じています。

この前までは「人に気づきを与えられる人」と考えていましたが、そこから少し変化しました。変化と言っても根底の部分は変わりません。自分にとっての学びを大切にしながら、それを自分なりに社会に意味のあるものにできたらいいなと、まだうまく言葉にできていませんが、そう感じています。

自分の学び→自分が興味関心のある情報、経験、体験から感じたこと
社会に還元できる→自分の言葉でアウトプットできる

自分の言葉でアウトプットできると、それに共感してくれる人が現れるかもしれません。そうした人と何か一緒に楽しいことをやりながら、社会にとって有益なことができたらいいなと、そんな風に感じています。

そのために
・自分のスキルを磨く、かつ結果を出す。→アウトプットのレベルを上げる
・いろんな情報に触れる、経験する→インプットを増やす
こうしたことがファーストキャリアに必要かなと感じました。

だから、幅広い業種や職種(インプット)に触れられる機会と、1つ1つ本気で取り組み、やり抜く、結果を出す(アウトプット)が経験できる環境を探し、春から働くことを決めました。

きっと厳しい環境になるかと思いますが、自分のありたい姿を考えた時に、自分自身が魅力的にならなきゃいけないと感じます。そうなると、もっと自分を磨かないと。魅力的な人に囲まれて、いい子いい子されるだけではだめ。

だったら、自分にとって過酷な環境に飛び込み、その中で何度失敗してもくらいついてありたい姿を実現させる。逃げたくない。
今はまだ何もできないけれど、厳しい環境の中で必死にもがいた先に、自分のありたい姿に近づけるんじゃないか。そう思いながら頑張ろうと思います。

ありたい姿といっても、今の時点でのありたい姿なので今後変わるかもしれません。しかし、今の僕にとってのありたい姿には、こうした経験が必要じゃないか、そのためにアウトプットのレベルアップとインプット量を求めて就職を選びました。

そうとは言っても、働きながらも自分のありたい・やりたいには定期的に、素直に耳を傾けながら仕事内外でこれからも動き続けたいなと思います。

今後の人生で大事にしたい自分にとっての道しるべ

最後に、冒頭で書いた「こうした形での卒業にどんな意味を持たせるのか」という点から、卒業する自分自身に向けて、自分の大切な価値観を伝えたいと思います。

Love the life you live. Live the life you love.
(自分の人生を幸せにする責任を持つ)

これが僕が大切にしたい価値観です。
英文はジャマイカ出身のレゲエミュージシャンであるボブマーリーの名言です。知り合いの方から教えてもらい、とても好きになりました。
そして、通常であればこれを「自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ」と訳すのでしょうが、僕はこれを「自分の人生を幸せにする責任を持つ」と読みたいです。

入学当初の僕はまさか大学に5年もいるなんて思いませんでした。
しかし、振り返ればそのときそのとき自分なりに考え、自分の納得のいく形で意思決定ができていたと思います。

これが、もし、
・人から言われたからこうした
・みんながやっているから選んだ
という理由だったら、途中で気持ちが折れていたかもしれないし、あの人が言ったから、、、など、言い訳ばかりの学生生活だったかもしれません。

逆に人と違っても、素直に自分がやりたいと思ってやってきたことは、とても楽しかったし、自分で決めたからこそ頑張りぬくことができました。

早稲田に行くと決めたことも
トライアスロンを始めたことも
休学したことも
エフライフとファイアープレイスで働いたことも

出逢いとご縁に恵まれながら、自分で一つひとつ決めて頑張ることができました。また、決めたからには頑張りました。それが自分の人生に責任を持つということだと思うからです。

これまでも、これからもこのことを大切に生きていきたいと思います。

今後も、自分の好きな人、大切な人とのつながり、出会いを大切にしながら、自分でくらしをつくれるように過ごしていきたいと思います。

あとは、
・謙虚さ、素直さ、まじめさ、感謝の気持ちを忘れずに、
・大切なものを大切に、
・とりあえずやってみるの気持ちを忘れず、

これからも頑張りたいなと思います。

最後に

この5年間で僕に出会ってくれた友人、先生、大人の方々、
そして、変わらずに応援してくれた地元の皆さん、
そして、当初よりも1年延ばすことになったこんなバカ息子を最後まで見守ってくれた両親、家族には感謝しかありません。

みなさま本当にありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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