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「猪一」に開眼したあの夏

たかだか1000円前後の食事に、全身全霊全力で感謝を込めて接客してくれる国が世界のどこにあるというのだろうか。サーヴィスにはそれ相応の対価(チップ)を支払う欧米人が、この国で食事をするとプライスレスにも係わらず、まるで王様か大統領の様に扱われることに正直驚きを隠せないでいる。そんな世界に誇るホスピタリティに慣れ親しんだ日本人をも更に唸らせるのが、こちらの「猪一」さんである。

11時に壬生で所用を済ませ、並ぶ覚悟で訪れるとなんと一番乗り。お店の入り口前でスタンバッていると、チューリップ帽を被ったおばあちゃんがこちらに近付いてきた。「いつも並んではるラーメン屋さんここですよね。空(す)いててよかった..1回来てみたかったんです」と仰られ、ひとつ後ろにしおらしく並ばれた。半分シャッターの開いた入り口に掲げられた大きなメニューを二人して見ながら、おばあちゃんと注文の予行演習をしていると、若い男性スタッフの方が本注文を取りに来てくれ、「暑い中、早くからありがとうございます」と気遣ってくれた。

ツートップの注文が確定した後、あっと言う間に人が集まり始める。開店と同時にカウンターの一番奥に通され、熱いおしぼり、荷物のフック、エプロンの有無、お冷出しまでの一連の流れをオーナーさんとスタッフさんが優しくやさしく気遣ってくれる。これが本当に丁寧で、おもてなしの気持ちが染み入るように伝わってくるのだ。おばあちゃんはといえば、お年寄り向きではないカウンター席などではなく、テーブル席にやさしく案内されて笑顔でスタッフさんと話している。

ほどなくして、お願いしていた鶏そば(白)が目の前に供された。 食べるのを躊躇してしまいそうになる位、美しい器の中にゆっくりとレンゲを浸し、初めての白のスープに唇を寄せてみる。

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出汁の旨みが強く、まるで懐石の吸物椀でもてなされているような小さな感動に打ち震えた。玉油の浮くアラではなく、節を丁寧に煮出して抽出した優しすぎる魚介出汁と、旨み=甘みだと教えてくれる芳醇な昆布出汁とが合わさり、絶妙のブレンドで舌と胃袋を掴んで離さない。途中、みじん切りの柚子皮で味整え(味変ほど強くない繊細な感じ)すると、柑橘の香りで一層味が締まり、白の潜在力を目一杯引き出していく。昆布〆の大山鶏ちゃーしゅーや飴のような煮玉子、水戻しされた柔らかメンマも絶品!動物系のスープを使わないラーメンとしては一つの完成形なのではないだろうか。

夢中になってこの一杯を啜っていると、次から次へと頭の中にフレーズが溢れ出し、言葉がどんどん繋がっていく。それは、ちょっとした興奮状態であったかも知れない。最後にお冷を一飲みした時、やっと我に帰った気がした。お勘定をする間も、店内にはオーナーさんとスタッフさんの気遣いのお声掛けが止むことはない。何から何まで賞賛に価するお店だと思う。心から満足し引き戸を開けようとすると、あのおばあちゃんがニッコリと会釈して送り出してくれた。

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