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妊娠出産の話 - 2015② 切迫部屋へようこそ

実は、入院する準備は整っていた。

自分の入院生活に必要なもの一式と、生まれてくる赤ちゃんが退院する時に着るもの一式。私はそれらをガラガラ引くキャリーケースにまとめて、組み立てたベビーベッドの近くにスタンバイさせていた。

そもそも、妊婦には臨月になったらいつでも入院できるように荷物をまとめとけ、という指導がある。助産師外来では挨拶がわりに準備できてます〜?と声を掛けられていた。

私の場合は胎児が骨盤位から動かず、11月24日(母子手帳にそう書いてある)に帝王切開で出産することが決まっており、手術日をフィックスした10月末の段階で、準備を促されていた。

昨日渋ったのはニークーのためのみならず、できたらコロ助氏やつる(当時2歳)と話をして過ごす時間を取りたかった。

入院のことを伝えると、つるは「いやちゅう…」と泣いた。超絶かわいい。お母さん胸が裂けちゃうちゅう…

話はそこで切り上げ、好きなものを食べさせ、好きな遊びをして、一緒にお風呂に入って、寝た。翌日朝は、私が出発する前にコロ助氏とつるをばあば宅へ遊びに行かせることにした。

つるを見送った後、私も家を出た。スタコラガラガラとお散歩がてら徒歩で産院へ行き、入院手続をした。晴れて入院患者である。…患者?なのか?


さて、病室である。

私の産院はいわゆる「地域の総合病院」であった。
私の入院したフロアは

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なお、数年後、この病院の産婦人科は出産の取扱をやめるのだが、その際の議論では「妊産婦と婦人科疾患の患者が同じ病棟で隣の病室ってどうなの?」という意見が出たと聞いた。どうもこうも。ねぇ。


あてがわれたベッドは「切迫部屋(住人による通称)」の廊下側で、はじっこ好きの私は安堵した。

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先に入院していた窓側2人の先輩によると、ベッドが空くと窓側へスライドできるという。2先輩は私より帝王切開の手術日が早く、「私が退院したら、窓側に来れますよ。気が紛れていいですよ。」と教えてくれた。ちなみに1先輩の予定日は年明け1月中旬とのことであった。

なぜこの部屋が切迫部屋なのかというと、先住の1先輩・2先輩と私が入る前に出産してすでに別部屋の住人となった先輩産婦らが全員切迫流産/早産で入院していたためである。

長らくこの部屋は切迫部屋であったが、実のところは切迫に限らず、入院日数が長期に及ぶハイリスク妊婦のための部屋だそうだ。

この部屋から出るルートはいくつかある。母体の状態が安定して退院するか、出産して産婦の部屋へ移動するか、(諸々濁すが)非常に悲しく辛い退出となるか。

入院してすぐのこと。経産婦部屋で退院日を翌日に控えていた切迫部屋の卒業生が挨拶に来て、頭を下げた瞬間にそのまま気を失って前のめりに倒れるのを目のあたりにした。卒業生は元ハイリスク妊婦なのだ。


先住の2人によると、自分たちは経産婦で、前回の妊娠中も切迫早産になって入院しており、今回もか…とある程度の覚悟とともに入院したという。彼女らは2ヶ月前の入院から今に至るまで張り止めの点滴を打ち続けており、基本はベッドで安静に過ごさなければならず、移動は産婦人科病棟内のトイレと談話室に限られていた。

私の場合は、1Fのコンビニは自由、院外への外出も応相談であった。
私は入院した翌週〜帝王切開予定日までの間、保育園見学を複数の園に申し込んでおり、外出する気満々であった。もちろん、腹の中の子の保育園である。11月出産、4月に4ヶ月で入園の計画だ。

そして、その入園先をつるの転園先にもしたかった。当時つるは「保育ルーム」という小規模保育事業施設に通っていた。対象児は1歳児・2歳児のみ。したがって0歳児の入園はできない。さらに、つるの園は遠方で、自転車でかっ飛ばして10分・徒歩にして40分以上、雨の日は心身ともにずぶ濡れの送迎をこなしていた。当然、ばあばに送迎を頼むのは酷というものであったから、義実家に頼るのは気が引けた。
できるだけ近隣で、就学まで通える園にふたりまとめてお世話になりたかった。

ところが、入院翌週にはNSTの結果が思わしくなく、外出の許可が下りなくなった。
携帯電話の通話可エリアから何本も電話をかけて、見学に行けなくなった旨を詫びた。そして、希望の入園先を近隣から順に書けるだけ書いて、病院前のポストに保育園等入園申込書一式を投函した。


私の入院中、つるをお見舞いに来させるタイミングは土曜日か日曜日の一日のみとして、平日は一日おきにLINEビデオ通話をした。

つるの通う保育ルームと病院の距離は1駅なので、ばあばは降園後に連れていくこともどうにか可能だと申し出てくれた。しかし、先に書いた通り、義実家からも園は離れており、既にお迎えをお願いするだけでかなりの負担をかけている。それに、つるにはなるべくいつも通りの日々をいつも通り送らせた方が良いだろう、という判断から断った。

結果から言えば、それでよかった。後日談になるが、産後少し経ってからつるの保育ルームの担任と面談をした際に、ルームでは大きく崩れずに母親不在の日々を乗り越えたと聞いた。ばあば宅では、ばあばじいじみゅうみゅ(伯母)に蝶よ花よのお姫様扱いで、満ちたりた様子だったらしい。

お見舞いにきても、瞬間的にはゴロゴロ甘えるが、すぐにプレイコーナーへ遊びに行ったり、談話室でテレビを観ていた。帰るときにはさすがに寂しそうだった。「帰りたくないちゅう…」としくしく泣いた。

お母さんは帰りたいちゅう!

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LINEで送信されてきた写真。ばあばに買わせたスマホ型おもちゃをドヤる全身ピンクのつるさん(当時2歳)。

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