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マヤヴィルーパ(幻身)

COBRAの2023年7月24日の記事「Planetary Situation Update and Kyoto Ascension Conference Report」で紹介された記事「Mayavirupa」を翻訳しました。

※翻訳がお気に召しましたら、記事下部からサポートをお願い致します。

”地上の住人の物理的なバイオチップは、ラーカーが量子ゆらぎの中に出現するための亜量子/量子ポータルです。

ミョルニルの技術は、ラーカーのパーツを亜量子の非空間から量子の揺らぎへと連続的に昇華させます。

相殺されなかった揺らぎは、少量の異常な陽子プラズマを生成し続けます。

地球近傍の亜量子異常は非常に高密度なので、アセンデッドビーイングの振動数を落とし意識の一部をメンタル、アストラル、エーテル、物質界に投影してマヤビルーパを創出するのを阻んでいます。”

元記事

https://www.makara.us/05ref/02comps/initiation/IFFH%203/mayavirupa.doc

マヤヴィルーパ(幻身)

アデプト(秘教における上位熟達者であり最終解脱者)はマヤヴィルーパという幻の体を想念で作り出すことができる。質量を持つ体がゆえに、人と触れ合うことも会話することもできる。しかしそれは、ある目的を成し遂げるための一時的な顕現体に過ぎない。

「マーヤーヴィルーパ」とはサンスクリット語で文字通り「幻身」を表す言葉であり、アデプトはこれを用いて欲界・色界・無色界の三界で活動できるが、いわゆる普通の肉体とは異なり、これはいわば霊体やエネルギーの塊であるので、どんな場所でも抵抗なくすり抜けることができる。低位知性体(訳註:メンタル体のことと思われます)の力を発揮して、最高位のアストラル物質(訳註: 感情体の最高位は「歓喜」と言われています)を組み立てることで創り出される幻の体である。

霊的トリアッドを通して「モナド」と、地上に顕現した大師の幻身の間には絶対不可侵の結び目がつくられる。「第四イニシエーション」を通過した大師にのみ、成し遂げられる業である。よって幻身の持つ人格はその時限りのものなので、重要ではない。神智学の専門家らが「マヤヴィルーパ」という名前をつけたがゆえに、いささか物議を醸し出しているに過ぎない。例えるなら「真の仮面」である。「神の子」としての誠の光と、真の力を隠すためにあるのだ。

秘教徒は肉体の機能を鍛えるべきかと聞かれると、それはその者の自由であると答えるだろう。いずれ悟るからだ。肉体も感情も、さして重要ではないことを。心でさえも、「奉仕」のための道具に過ぎなかったということを。全ては光の体という、独自の物質で構成された体が成していることを、個人的に認識しているに過ぎない。大師は秘教徒は異なり、肉体を作り出すことができる。弟子たちや低位の秘教徒と触れ合うのに利用するためだ。よって、平時ならば人間の姿に似せた幻身にする。意志の力で必要に応じ、自由自在に、瞬時に作り出すことができる。大師たちは自分の体を作るとき、「第五イニシエーション」に入門した際の体を使うか、もしくはマーヤー(幻力)とも呼ばれる物質で組み立てる。私の場合、第五イニシエーションを通過した時の昔の体に似せて幻身を作る。つまり、昔の体を保存しておいたのである。K.H.大師(訳註: クートフーミ?)の場合は、第五イニシエーションの門をくぐった時の肉体を、元の身体無しで作り出していた。

十字架磔の刑を受けたイエス大師は、第四イニシエーション通過の際によく起きる弊害の例に違わず、肉体の保存の機会を逃してしまった。その慈愛と救済の力に呼応できる者もいなかった。イエス大師はすでにアデプトとして、モナド意識を確立していた。その力を肉体にのみ留めておくことは、もはや不可能でもあったのだ。彼自身も肉体の保存を望んでいなかった節がある。なぜなら、福音書でも語られている通り、いつでも自由自在に肉体などの物質を具現化する力を持っていたからだ。

東洋の言葉で「マヤヴィルーパ」と呼ばれる幻身は、肉体永久原子とアストラル物質、さらに強固なメンタル物質で構成される。出現も消滅も、意志の力で自由自在だ。秘教徒の段階ではまだ、自分の目的や奉仕のために幻身を作り出すことができない。それが可能な大師には、そのような問題が全く無い。

更なる高みを目指す第三イニシエーション以上の志願者は、スートラートマ(銀の糸)とアンタカラナ(訳註: 上の図で、メンタル界の点線ブッディ・マナス膜を通り抜けて低位メンタル体と、高位メンタル体であるコーザル体を繋ぐ紐が表されています)の両方の道を極めていくことで、これらを一本化していく。その道が確立してゆくと、霊界のトリアッド(訳註: 聖三角形。上の図でブッディ界以上の霊界にある三位一体の力)が注ぎ込まれていく。すると、その者の肉体にも恩恵が与えられるようになり、思考形態も活性化したりと、活性化が見られるようになる。幻身を作れるまでに熟達するには、上記の過程を熟知することである。

霊的トリアッドに見られる意志の三側面が、まさにそれである。秘教徒は「意志」を学ばなければならない。目的を通して、自らの偉大なる進化の道に直面しなければならないのだ。ただし、進化とはなんぞやという質問に答えるのは控えさせていただく。人の身でこれを理解することは到底かなわないことであるからだ。説明するに、第三イニシエーション以下の者には不純物質が含まれ過ぎており、神性を完全理解することができないためである。第四イニシエーション以上の者が創造する「幻の体」だけが、神聖な出来事を解釈し記録することができる。その道を志さずに、幻身の情報だけを求めるのは無意味である。

進化の道に於いて、魂は第四イニシエーションに向けて自らを準備してゆく。その段階は基本的にモナド的な経験になる。もうご存知かもしれないが、この段階で魂の器、即ちコーザル体が消滅する。その死を以て、モナドとの合一を果たすのである。以後は、どの界層にも自由に顕現ができるようになる。生まれ変わった新たな人格は、アンタカラナを通して具現化する。

第四イニシエーションにある秘教徒が幻身を自由自在に操れるようになる時、その者のコーザル体自体が不要になる。

解脱を果たした秘教徒は、自由に身体を創出して、その必要に応じた奉仕が三界に於いて可能となる。因果(コーザル=カルマ)ではなく、奉仕(サービス)が真の宇宙法則として出現するのである。

第四イニシエーションにある秘教徒は、これを完全に悟った者のことである。「我此処に、父と共に在り」と言えるようになった者のことだ。その段階では、 「磔刑」とはすなわち「大放棄」であり、十字架に磔にされているのは自らの魂であり、死ぬのは肉体ではない。キリストが死ぬのであり、イエスが死ぬのではない。コーザル体が消滅するので在り、これにより意識は一元性(訳註:単一性・モナド的であること)を持ち始める。魂の体は、ここでもう役目を終えるのだ。もう目的を遂げるために魂の体を必要としなくなる。残されるのはスートラートマのみとなる。個の意識は全体意識と合一するも、個性は保たれるからだ。そこに創造力が付与される。つまり、意識を集中させるだけで肉体を創出できるようになる。「大師は幻身を創る」と言われる所以である。

アンタカラナが構築され、精神単子(メンタル・ユニット)の働きがマナス永久原子に取って代わられるとき、コーザル体はその役目を終えて消滅する。アデプトの誕生である。覚者は悟る。低位メンタル体(知性体)でさえも本当はただの幻に過ぎなかったということを。幻ということはつまり、存在していないのと同じだ。それでも「個」の視点で見続けるとすると、世界は三つの焦点、三つの「力場」のみで成り立っているように見えるだろう。(ただしこの表現は正確とは言えない)

第四イニシエーションに於いて秘教徒が出会うのは、「天の父」とも呼ぶべき自分自身の姿である。それはモナド界での自分自身、最上位界層における自分自身の純粋なる霊的本質なのだ。それこそが本当の自分であり、自我や自己意識などは、その領域から見れば低位自己(ロウワーセルフ)と言えよう。繰り返しになるが、アデプトが三界に現れる時の姿は天の目的と意志に沿うものとなる。誰に命じられるわけでもなく、自らの意志で出現する。時間も空間も時期も季節も思いのままだ。(ただし三界の因果の影響は受ける。カルマとは個人ではなく惑星規模の因果のことである)

ここまでの過程を第四イニシエーションと呼び、この過程を通過した達成者(アデプト)は幻身を創出できるようになる。物質の出現と消滅を制御できるようになる。因果律の下で進化してきた肉体に、頼る必要はもう無くなる。

直感(またはブッディ)とは、統一原理である。ブッディ界では全てが溶解して一つにつながる。第四イニシエーションにおいて、低次の器が消滅するのがこの時点である。同時に、アデプトになった者が、自身の直感体に目覚める場所である。ブッディは統一原理(すべてが溶接する世界)であるので、第五イニシエーションの達成者はここで低位の体を脱ぎ去り、ブディック体として立ち上がる。ここからアデプトは、自ら創出した体に移り変わるのである。

大師には「人格」と呼べるものが無い。「その人らしさ」は無くなり、代わりに神聖な自然性がその人の全てになる。大師の体は、(肉体で現れたとしても)想像上の姿である。現物として認識できても、それは意志の顕れであって、想像の産物であることを忘れてはならない。また、人間のような欲望の産物であることは、決して無い。この違いを見極められるかどうかが、鍵となる。(月を主とする)低位生命体は霧散した。古より転生してきた魂からの呼びかけも、そうした生命体には響かない。過去にあれほど特徴づけをしてもらい、生き永らえてきたにも関わらず、もう声が聞こえなくなってしまったのだ。だがそれも、第四イニシエーションを通過するまでの辛抱だ。魂も、コーザル体も、いずれ消えゆく定めである。その後にはモナドと、アンタカラナと呼ばれる紐しか残らない。アンタカラナは長い年月をかけて、自らの生命と意識から紡ぎ出した糸であり、第五イニシエーションにある達成者は意志の力でそれを肉体と結びつけることができる。そうすれば、清浄なる物質や輝やかしい光のみで肉体を再構成することも可能なのだ。これぞ大師の成せる業である。天の計画に合わせた完璧な体。低位生命体には絶対に成し得ないことである。なぜなら、低位の存在と違い、大師は一切の欲望から解放されているからだ。第四位の進化を志す志願者は、これを原則としてまず理解しなければならない。

物質に宿らないデーヴァ(太陽天使)は、存在を感知できない。ということは、存在していないも同義である。そうすると「神とは何であるか?」という問いに答える時に、神の属性をエネルギーや質として表すことに終始するだろう。客観性に頼っていては、自分とは分離したと認識している存在との同一性を見出すことは敵わないのである。ただし、惑星上の社会の中で、人は客観性を通して自分たち生命体の生来の善性を見出すのである。人とは何なのか?肉体はどうしてあるのか?強いて言葉にして表すのならば、「見える」からである。視認することで意識の魔法がかかり始めるのだ。「視る」こと、これ即ち最高峰の魔法である。正(ポジティブ)と負(ネガティブ)のエネルギーを自由自在に動かし、どちらに偏る前に平衡にできたのならば、アデプトとして完璧な体を創る日は近いだろう。

これまで顕現した化身(アヴァター)は全員、天の意志の表れであった。意志が形をとり、アデプトによって完璧な姿として現れたのである。仏陀もその一人である。しかし、その仏陀にも成し得なかった「真の化身」というべきものが存在している。それが「地球意志」(惑星ロゴス)あるいは「太陽意志」(恒星ロゴス)である。相当な天の意志の介入がある時にしか出現しない。アデプトは自らの意志で自分の幻身マヤヴィルーパを創出するが、惑星ロゴスの場合はそれ以上の偉大な創造が必要な時にしか、降臨しないのである。





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