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世界平和とまでは言いませぬが

あなたは怖がりですか? - はい、私は怖がりです。

ホラー映画を観るなんてまっぴらですし、夜道を歩いているときも、内心ドキドキしています。TVニュースは日々ショッキングな話題を提供してくれますが、そのせいで「次は自分の身の回りで物騒な事件が起きるんじゃないか」ということが頭をよぎったりします。

実際にはそんなことに遭遇したことは今まで一度もないですが、でも、今日これから起こらないだなんて誰も言い切れないはずです。最近でもイギリス政府がテロ警戒レベルを引き上げたように、世界はますます物騒なものになってきています。「まさか自分が」と言わないように、できる注意ははらって過ごしたいものです。

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物騒、といえば、電車内が現場になる事件がここのところ続いていることも怖いですね。小田急線の事件に始まって、ハロウィンの京王線の事件、九州新幹線の事件、と、電車内で刃物を用いた凶行がこの数か月の間に起こりました。

犯行を捉えた映像が多く流れたという点で、ハロウィンの京王線の事件はことさらにショッキングでした。犯人とみられる人物が「ジョーカー」の名前を口にしたことから、ワイドショーではさらに大きく取り上げることとなってしまいました。

ジョーカー。ご存じでしょうか。

2019年、第76回ヴェネチア国際映画祭にて最高賞である金獅子賞を受賞した映画の主人公であり、元々はアメコミ作品『バットマン』に登場する架空のキャラクターです。

そのサイコパスな振る舞いから、正義のヒーローであるバットマンとは真逆の、悪役中の悪役、ともいうべきキャラクターですが、バットマンシリーズでは"永遠のライバル"のようにも描かれていることから、知名度も人気もあるのも事実です。

そして、そのバットマンシリーズ、自分も大好きで、洋画で初めて好きになったのはバットマンだと言っても過言ではないのですが、それだけに、今回の事件で、「ジョーカー」の名前に(もともとあったにもかかわらず)さらに負のイメージを付けられてしまったことが残念でなりません。

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せめてもの言い訳として、今回はこの記事を紹介したいと思いました。

「ジョーカー」が2019年10月4日に公開される前、監督のトッド・フィリップス、主演のホアキン・フェニックスにインタビューした様子が掲載されています。

有名人の事件(薬物だったり傷害だったり)が起こると、「事件は良いことではないけれど、作品には罪がない!」という主張が聞こえてきたりしますが、今回のことも同様だと思うのは自分だけでしょうか。

地上波での放映が見合わせになったというニュースも目にしましたが、金獅子賞を受賞するほどの作品に触れる機会が奪われるなんてことは、やっぱり残念だと思います。

主演のホアキン・フェニックスがインタビュー中でも話しているように、

「(劇中のジョーカーのように)あそこまで情緒不安定になっている人間にとっては、何でも燃料になり得る。そういう(映画を観たから暴力に走るという)風にはなっていないと思う」

犯人が事件を起こしたのはこの映画が原因だ、と言い切ってしまうのはとても乱暴な主張ではないでしょうか。

百歩譲って、事件を起こすきっかけの一つにはなったかもしれませんが、そんなこと言いだしたらキリがありません。実際、この事件の犯人は「小田急線の事件を参考にした」とも言っているようです。全ての始まりがこの映画である、というようなミスリードがなされたことには残念な気持ちでいっぱいです。

インタビュー中の発言から、続けます。

問題があることは理解しているし、懸念している。だからこそ議論するんだ。問いを投げかけることを恐れてはいけないと思う。

原因だ、と決めつけてかかることを良しとはしませんが、議論のきっかけとして、その題材、トピックの一つとして考えて議論をするべきである、とは思います。次、起こらないようにするためにどうあるべきか、社会としてケアする仕組みはなかったのか、予兆に気づくことはできなかったのか、などなど、議論するには良い機会です。事件から、問いは投げかけられてしまったわけで、起きてしまったことからどう反省するのか、試されているような気がしています。

最後に、トッド・フィリップス監督の言葉を引用して、締めていきたいと思います。

『まだ映画を観ていないし、観る気もない』と誇らしげに宣言している人々によって書かれた批判記事が多くあるように思う

SNSで発信側の数が急速に増えてきている現代で、どの情報を信じ、活用するのか、個々のリテラシーが試されるようになってきています。

そんな中で、ソースをろくに確かめもせずに、反射的に発信をしているような場面に遭遇することが多々あります。

テレビやラジオを切り取ったニュース記事、その見出しを見ただけで、反応し、叩いたり非難している人がなんと多いことでしょうか。と、こんなことを言っている私もメディアの情報を受けて文章を書いているだけなので、実態はそうではないのかもしれません。

それでも、短絡的な衝動からくる行動が増えているのは、たぶん事実なんだと思います。それは実際に被害を受けた人からの発信が増えてきていることからも、事実として人の命が奪われているということからも、受け止めなくてはならないことでしょう。

このような事柄に、身近で遭遇した人はいませんが、それでも明日は我が身、いつ巻き込まれるともわかりません。だからせめて、監督のいうような「批判記事」に惑わされないリテラシーを身に付けるように意識するべきですし、正しい情報を見極める力を磨いていくべきでしょう。

それは、信用しない、ということではなく、知ったうえで判断しましょう、ということです。理解に努める。人付き合いの基本のような話しですが、基本が案外難しい、とはよく聞くことです。基本をおろそかにしない、というとなんだか説教じみてきてしまいますが、でも大事なことですので、せめて自分は大切にしたいな、と思っています。

そして、願わくば、そんなことを気にしなくてもいいような、平和な世の中になっていってほしい。そんなことを、世界の端っこで一人、今日も祈っています。

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