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【日記】ベテラン作家さんの一言で心が軽くなったはなし

久しぶりにベテランの作家さんに会う機会に恵まれた。

私にコミックエッセイを描くことを勧めてくれた作家さんで、私のマンガの師匠の師匠なので心の中で大お師匠とよんでいる。

といっても私自身はあまり接点がないので、会えること自体かなり珍しい。
しかも会える時はだいたい大人数の飲み会だ。多くの人をかき分けて話しにいく度胸はないので、いつも遠くから眺めているだけでおわる。

今回もはじめは離れたところから様子を伺っていたが、コミックエッセイの本が出たこともありご挨拶せねば!と勇気をぎゅうぎゅうに振り絞ってお声がけをした。
献本をお送りしていたので作品に目を通していただけたらしく、大お師匠は「あの本、アメリカの話が全然ないじゃないか〜」と笑いながら応えてくれた。

そう、実はコミックエッセイを描くことを勧めてくれたと言っても、大お師匠が勧めてくれたのは私が小さい頃から15年ほど暮らしていたアメリカでの生活のことだ。今回の本ではその生活についてはほとんど描いていない。

「前に話してたアメリカのはなし面白かったよ。あれ描きなよ!」と今回も熱心にすすめてくれた。ずいぶん前に話したことなのに覚えててくれたんだなぁと嬉しい反面、私はその言葉を聞いて複雑な気持ちになってしまった。
実は自分でも描きたいと思っているし、実際にチャレンジもしてみた。だがうまく描けなかったのだ。

というのも自分のアメリカ話のなにが面白いのか実はよくわかってない。だからなにを描いたらいいのかよくわからないのだ。

そもそもアメリカらしい思い出が全くない。
私のアメリカ生活は日本食を食べ、有料放送で日本のバラエティ番組を見て、英語が身につかなくて日本人学校に通い、言葉の壁で現地の友達もできず、どこに行くにも車が必要なのでほぼ引きこもってマンガを描いていた。アメリカのティーンらしい青春を送った記憶はカケラもないので、アメリカっぽい話を期待されても応えられないのだ。

なら日本との違いを面白おかしく描けば?とも言われるのだが肝心の日本の学校生活のことをよく知らない。だから比べようにも実際のところがよくわからない。私にとっては給食とか放課後の大掃除とかの方が非日常だし、興味深い。

ちなみにランドセルも背負ったことがない。背負ってみたいな〜と軽い気持ちで調べたら6万円すると知りすぐに諦めた。余談だ。

そんなわけで目の前の相手に自虐交じりの思い出として話す分にはちょうどいいのだが、どうマンガにしていいのかいまだによくわからない。

困り切っていたので思いきって
「描けるなら描きたいのですが…私は自分のアメリカ時代の話のなにがどう面白いのかがよくわからないんですよ。」と正直に伝えてみた。そしたら大お師匠はあっさりと

「あ〜、面白いかは自分では決められないよ。読んだ人が決めることだから。」

あまりに予想外の言葉が返ってきて大混乱だ。自分では決められない?そんなばかな。
だってここ最近その「面白い」についてずっと頭を悩ましていたのだ。

今年のはじめに幸運にも本を出せたが、残念ながら重版のかかるような売れ方をしなかった。作家を続けるなら次は売れる作品を創らねばと思う。が、その「売れる作品」が全くわからなかった。
とにかく面白いものを作れれば!と思うが、その「面白い」もよくわからない。とにかく描かねばと思うが考えれば考えるほど何も思いつかなくなった。

仲間内で話題になる「面白い」や「売れる」などのはなしも聞いてるとなんだかしんどくなり、もう自分にはなにも描けないのではと気が滅入った。これ以上落ち込むのもイヤなので、全てから距離を置くようになった。まだ作家として始まったばかりのクセに早々に疲れてしまったのだ。あぁ情けない。

大お師匠の言葉は続く、
「もちろん自分が面白いと思うものを持っていくんだよ。でもその中から人に選んでもらって一緒に作っていくんだ。」と。

動揺していたのでちゃんと理解できてるか少々不安だが、大お師匠の話はこうだ。


面白いものは読んだ相手が決めることなので自分では決められない。できるのは自分が面白いと思う素材をたくさん用意して、その中から信頼できる人に選んでもらう。そして選ばれた素材をもとに面白そうな作品を組み立てていくのだ。
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びっくりした。
だって「面白いもの」や「売れそうなもの」は一人で見つけて一人で形にしないといけないと思っていたから。そしてそれが難題すぎて困っていたのだ。
でもその難題は他人と答えを見つけるもの。君がするのはまず素材集めだよ。と言われると、やることがずいぶんとシンプルになった。

しかしコミックエッセイの素材となるとそれは自分の思い出だ。それでいいのだろうか?
「素材って思い出ばなしでいいんですかね?」と怖々たずねたら

「思い出すのが君の仕事だと思うよ」とこれまたあっさりと言われてしまった。

その言葉ですごく気持ちが楽になっていた。だって思い出すのもそれを話すのも苦手ではない。それならできる気がする。
視界はずいぶんと明るくなっていた。

とはいえ、他人にとって面白いかわからない私の思い出ばなしに人を付き合わせるのは申し訳ない気がするし、少々気が引ける。

でもできればまた作品を作りたい。

思い出をかき集めたら、勇気を出して連絡しようと思う。一緒に作品を作ろうと約束した人に。


まだ約束が有効だといいのだけど。

【本はコチラ】
読んでくださった方々、本当にありがとうございます。まだの人は書影だけでも見ていってくだされ。

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