小学生の時のことなんてもうあまり覚えていない。楽しかった思い出のみ断片的に残り、華やかな少年時代を彩っている。

 ごく小さな田舎の少年の完結したコミュニティで生きていたため、社会の仕組みは知らず、自身で想像できないこと、納得できないことは理解ができなかった、しようともしなかった。触れずにも、生きれることを知っていたから。

 難しいこと、理不尽なことは理解できずにいたからこそ、辛い思い出は消されているか、あまり覚えていない。そのほうが、楽であった。

 しかし、10歳のとき、父が脳梗塞で倒れた。

 当時自分は、病気に倒れ、後遺症を持った父が理解しなければならなかった。しかし、できなかった。私の世界ではありえないようなことが連続して起きていたからである。記憶に軽度障害を持ったが、無邪気な表情や明るい性格は変わらなかった。何も変わらずにいたからこそ、さらに理解できず、避けた。「病気をもった父」とだけレッテルを貼って。

 父とは、もともと仲が良いわけではなかった。何か気に入らないことがあると、力任せに怒る。機嫌の良し悪しで、怒る、論理性に欠いた乱暴さがあり、マジで怖かった。その印象は日常でも消えず、びくびくしながら接していた気がする。私から、冗談とか言ったことないし、甘えたことない気がする。

 だからこそ、一度避けてしまったから、その後も避けた。入院する父の見舞いもあまり行かなかった。いっても顔を出すだけ出して、休憩室のプレイボーイの袋とじをこじ開けて、面会時間が終わるのを待った。

 退院してから、障害者雇用で働けるようになり、一人で暮らせると判断した母は離婚を決断した。私が高校1年、15歳の時である。

 そこで、父との関係性は血縁のみになった。父との記憶はほとんど終わった。

 

 そこから6年。21歳になった。幼い時に比べて、大抵が理不尽である世界に距離をとりつつ、理解する、できるようになってきた。親も子どもであり、完璧な存在ではないことも。

 もうすこし、父を理解すればよかった。避けなければよかったなあ。

 でも、最近思うんだ。前ほど、父のこと嫌いじゃなくなってきているなって。遺伝で顔もそっくりだし、体格までそっくり。思春期にはこれですごい悩んだけど、ね。あんたがいるから今俺がいるって考えたら、たいそうすごいことで素晴らしいことだなと。人並の生活も遅れて、親友も何人かできたし、幸せです、と。

 PS 本日、父も私も初の盂蘭盆会にてこれだけ、伝えてきました。おれ、なんとかがんばってるよと。

 August 13,2020

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?