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人口2000人になった故郷で、おむすび屋を開業した理由【The Days After 3.11】

福島県、浪江駅から徒歩5分。
周りに視界を遮るものはなく、穏やかな空気があたりを包むその一画に、“おむすび専門店えん“はこじんまりとたたずんでいる。

「誰もが”ただいま”と戻ってきたくなるような、あたたかい場所にしたいです。」

今回の主人公は、数多くの大切なことが失われた震災を乗り越え、地元に戻り飲食店経営に挑戦した、栃本あゆみさんだ。

えんを求めて、遠くから足を運んできたひと。

疲れた体に、優しい味をもとめてくるひと。

いつもと同じ時間にやってきて、1日を締めくくるひと。

まるで、一粒一粒のお米の優しく握っておむすびができるように。人と人のご縁を結んでいきたい気持ちから、お”むすび”専門店”えん”という店名をつけた。

わたしが初めて栃本さんとお会いしたとき、光の束を集めたような金色の髪が印象的で、優しさが瞳に表れているように感じた。

実はこの髪色、宣伝効果のためにしているんだとか。

人口1700人の町でどう宣伝したら分からないとき、ピンクの髪でスーパーを訪れたら、地元民から二度見、三度見されたそう。ビビっときた栃本さんは、バッサリ金髪ショートにして、派手なあの髪色の子はおむすび屋さんのイメージをつくったと振り返る。

そんな斬新なアイディアと行動力を武器に、2023年8月から独立店舗としてえんをオープンした栃本さん。おむすびへのこだわりや過去と未来について話を伺った。

「浪江に戻りたい」家族の想いを胸に、人口1700人の町でおむすび屋を開店するまでの物語

栃本さんは高校卒業と同時に上京して、18歳まで住んでいた浪江を離れて東京に住んでいた。飲食店向けのコンサル会社に勤めて、直営の店舗運営や、物件探しから資金調達のお手伝いなど手掛けていたという。
ずっと東京にいるもんだと思っていた栃本さんだが、2011年の東日本大震災と家族の諸事情が重なり、2021年にこの町に戻ることを決めたという。

「震災で家族が避難生活をしてるとき、 家族は絶対に浪江町に戻りたいというすごく強い思いがありました。だけど、一番戻りたいと言っていた父親と祖父母の3人が避難中に亡くなってしまって、"町に帰る"という思いを果たせなかったんです。避難先で人生の最期を迎えた父や祖父母たちは悔しかっただろうなっていう思いもあります。」

自分たちと同じような経験、境遇をもつ人たちがたくさんいるんじゃないか。それにふるさとに戻っても、景色やコミュニティは変わりつつあり、懐かしいと思えなくなってしまっているんじゃないか。ご家族を亡くされた後、栃本さんの胸にはいろんな感情が渦巻いたという。

「浪江に帰るきっかけも、お墓参りぐらいだったり。用だけ済ませてそのまま帰っちゃうことも多いんです。元々浪江にいた人たちが帰ってくる場所というか、"ただいま"という感覚で戻れる空間を創りたいなと思い、お店を開くことを決めました。」

栃本さんは、自身の経験を活かして、食を通してふるさとに貢献したいと考えていた。そしてどんなお店にしようと考えた時、東京に住んでいて心細かったときに出会ったおむすびのことを思い出したそうだ。

「当時は今ほどなかったんですけど、東京でおむすび専門店というのに出会って。握りたてのおむすびが食べれるんだ!って。大きなホカホカのおむすびを食べた時、懐かしいような、ほっこりした気持ちになったことを思い出したんです。おむすびって不思議と心が温まるし、わたしの実現したい未来にぴったりだと思いました。」

確かに筆者も故郷から離れ一人暮らしをしているとき、急に心細さを感じることがある。そんなとき、懐かしいなと感じるものがあることは、自分が一人じゃないという安心感で包み込んでくれる。現に栃本さんのおむすびは、浪江町に移住した筆者の心を、何度も優しく包み込んでくれた。

また、当時の浪江は人口1,700人と限られた市場のため、ターゲット層を絞ってしまうとかなり厳しいと感じたそう。「小さいお子様からお年寄りまで食べるものってなんだろう?と考えたとき、おむすびって日本人では嫌いな人恐らくそんなにいないと思ったんです。」と語ってくれた。また、テイクアウトもできるおむすびは、各家庭でも楽しめるため、コロナが流行っていた時期でも大丈夫だと思ったそうだ。

えんの魅力といえば、おむすびが寿司下駄にのって提供されるカウンタースタイル。まるでお寿司屋さんにきたかのような気持ちになり、子どものようにわくわくしてしまう。一人で来店する常連さんも多いという。

「カウンターだとお客様の反応が直に分かるんです。美味しかったよとか、浪江でお店を開いてくれてありがとうって声に出して言ってくださる方も結構いらっしゃっいます。そういうお声が本当に1番嬉しいですし、頑張ろうと思います。何よりお客様とお話しするのも楽しみのひとつです。」

たっぷりの具に、ふんわりと優しく握られたおむすび。カリッとジューシーな唐揚げや、日替わりのお味噌汁。ついついお酒がすすんでしまう、バリエーション豊かなおつまみ。

えんにくると、お腹とともに心が満たされる時間になること間違いなしだ。

たとえ街並みは一変しても、人のエネルギーに満ち溢れたまち。

高校卒業まで浪江町に住んでいた栃本さん。現在は約2,000人弱だが、震災前は元々は2.1万人が住み、すごく活気のある街だったそう。お祭りで賑わっていたり、子供がきゃっきゃしながら走り回ってる、そんな日常風景にある街だったと振り返る。
また、人口に対する飲食店の数が日本トップレベルで多い町だったこともあり、道ゆく人の明るい顔が印象的だったそうだ。

「原発事故の影響で避難指示が出て、6年間は住民ゼロになりました。元々あったお店やお家が全部取り壊しになってしまい、以前と比べると町並みが一変してしまいました。避難解除が出て、一時的にここに戻ってきた時は、懐かしさみたいな感じは正直薄れていて。あれ、ここどこだっけ。これなんだったっけ、って。そういう気持ちが強かったです。」

自分の地元とはいえ、元々暮らしてた方たちはほとんどおらず、栃本さんが戻った時は人口1700人。お仕事で浪江町に来ている人も多かったため、あまり知っている人がいなかったそう。しかし今、6年間も人が住んでいなかった浪江に、人が吸い寄せられるように集まっていることも事実だ。

「一度ゼロになってしまった町だからなのか、ポジティブな考えの人が多くいらっしゃっると感じています。元住民で戻ってこられたご年配の方も、新しい考えを『いいね、いいね!』と言って、若い人に任せてくれるんです。色々なところから移住した人は、新しい意見を持っていたり、私たちでは思いつかないようなことを実行したりしていて。何かやろうとしたときに後押ししてくれるような町なので、すごく明るい、前向きな町なんだろうなと思います。」

避難指示がずっと続く中、今後故郷はどうなるんだろう、もう難しいんじゃないかって誰もがそう思っていた。しかし今は、元の街並みに戻ることは難しいけど、みんなで新しい浪江町をつくっていこうという人たちがとても多い印象だと話してくれた。

しかし年月が経った今、報道も3.11以外は少なくなり、外の人たちがなかなか気付きにくいと感じているそうだ。

「特に震災のイメージがものすごくついてしまった地域だからこそ、 今どうなっているかを取り上げていただくことが段々となくなっていて。東京の友達も、オープン時に"意外と人がいるんだね!"と驚いていましたから(笑)。みんな前を向いて進んでいるまちなんです。」


全国に散り散りになった避難町民のために、人生初のクラウドファンディングに挑戦

冒頭に述べたように、「誰もが”ただいま”と戻ってきたくなるような、あたたかい場所にしたい」という想いを持つ栃本さん。そんな中、全国に散り散りになった元住民に向けたクラウドファンディングを行ったそうだ。(2023年6月に終了)

「避難町民にただいまのきっかけを作ろうということで、初めて挑戦しました。私1人だったら絶対にやれていなかったんですけど、私の思いとかを聞いてくださって、こういうのやりませんかと声をかけてくださった会社さんがいらっしゃって。

その会社さんと一緒に、散り散りになった町民の方たちが、お墓参りにだけ寄って帰るだけじゃなくて、ただいまって言えるような場所にしたいよねっていうことでスタートしました。」

*クラウドファンディングとは:
プロジェクトを立ち上げた人や法人に対し、不特定多数の人が、購入・寄付・金融といった形態で資金を供与する仕組みのことです。 これまでの手法では資金調達が難しかった「社会的な課題の解決」等の分野で、この仕組みの普及が見込まれています。

その名も、One for One というプロジェクト。リターン(返礼品)の中に、えんで使えるお食事券=ただいま券を支援していただき、集めた分だけ元町民の方たちに配るという企画だ。それを持って「ただいま」と帰ってきてくださる方は沢山いたという。

「おかえりとただいまが行き交う場所にしたいとずっと思って、一部実現できたんじゃないかなと思います。あと、浪江町って復興関連のお仕事などで全国から来られる方もとても多いんですけど、皆さん1,2年という期間で帰られることもあって。そういう方たちに対しても、ただいまの場所というか、浪江を第二のふるさとみたいな感覚でいてほしいなと思いますね。」


さまざまな挑戦をされている栃本さん。周りの人から遠い地から励ましてくれる人まで、沢山の人に支えられてきたからこそ、いつも感謝の気持ちを大切にしているそうだ。

「人への感謝の気持ち、ありがとうは絶対に忘れないように。ちっちゃいことでも、ありがとう、ありがとうって。もう口癖かって言われるぐらいに伝えよう、大事にしようって思っています。」

取材中も栃本さんは、感謝の言葉を何度も伝えてくれた。「ありがとう」は、伝える人も伝えられた人もお互いが幸せになれる素敵な言葉だ。
また、元住民が来てくれるだけではなく、きっと東京にいたら2度と会うことがなかっただろうなと思うような人まで訪れてくれることが、とても嬉しいと話してくれた。

「新聞とかで私の名前を見てメッセージをくれて、連絡を取り合ったりとか。直接ここでお会いするのももちろんですし、たくさんの出会いが本当に嬉しいし、楽しいし、すごい大事な時間だと感じています。」

地元を始めとする多くのファンから愛される、おむすび専門店えん。おむすびへのこだわりはもちろん、えんのストーリーや、店主の栃本さんの温かい人柄が、きっと人々を魅了するのだろう。えんは地域の人と一緒になって、お店ができあがっていると感じる。最後に、栃本さんから読者に伝えたいことを伺った。

「浪江町、福島って放射能とかそういうイメージで完結されてしまっていると思っていて。でも現在は町も徐々に復興してきて、人も増えてきて、明るい街になろうとみんなで頑張っていて、みんなで手を取り合って協力し合って頑張っている、 ポジティブな街ということが伝わればと思います。初めての方も是非、えんや浪江町を好きになってくれたら嬉しいです。」


ギャラリー

栃本さんの沢山のこだわりを紹介します。

①クラウドファンディングをきっかけにレンコンの具材を導入した際に、レンコンに引っ張られすぎて、コースターをレンコンに!

②大人気メニューの卵黄の醤油漬け。本来なら廃棄になってしまう卵白も、同級生の洋菓子店に活用してもらっているのだとか。限定20個なのは無駄が出ないようにだそう!

③お塩、お米、のり。ひとつひとつの素材にこだわり、気が遠くなるまで何度も試食を重ねて決めたそう。


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