常温サイダー


梅雨真っ只中の6月28日。日直は私と重野くんだった。
放課後に黒板消し、ゴミ捨て、日誌書き。加えて担任に言いつけられた資料室の整理。すべてを終えた頃には18時を回っていた。

重野くんは寡黙でちょっと怖い。サボらずに日直としての仕事をこなすし、力仕事は買ってでてくれるし、いい人なのだろうとは思うけれど。
重野くんは眼光が鋭い。「話しかけるな」という無言の圧があるようで、私は少し苦手だ。もっとも、重野くんとは会話という会話をしたことが無いので、本当のところは、彼がどんな人であるかはよくわかっていない。
仲の良い男子からは「シゲ」と呼ばれているらしい。でも、重野くんが「シゲ」と呼ばれて返事をしているところを見たことが無い。

なんとなくの流れで一緒に下駄箱まで来たけれど、このまま一緒に帰るのは気まずいなあ、なんて息を吐く。

靴を履き替え、傘を広げ、昇降口をくぐると、冷たい風が身体を撫でた。夏服のセーラーでは肌寒く、思わずぶるりと身体を震わせた。
「雨、すごいね」なんて私のつぶやきに、当たり前だけど重野くんからの返事はなかった。二人して無言のまま校門を出る。

駅までは10分ちょっと。相変わらず会話はなくて、ザアッと水を跳ね上げながら通り過ぎる車の音ばかりが耳に入る。

雨の日は歩くのに神経を使う。なるべく靴も服も濡らしたくないし。車に水をかけられるなんてもってのほか。きれいに舗装されたタイルもかえって滑りやすくて、自然と足に力が入る。水たまりを避けて歩きたいのだけれど、隣には重野くんがいる。あんまりフラフラ歩いても睨まれそう。

緩やかな坂道を下りきったところで、右に曲がる。
その先に怪しく動く人影が見えた。思わず私も重野くんも歩みを止めた。ガサゴソと袋が擦れるような音がする。重野くんが再び歩きだそうとしたのと、人影が振り向くのはほとんど同時だった。

「おう、」
そう言って振り返った人物は、薄いピンク色のタンクトップにチノパンを履いたおじさんだった。この街ではちょっとした有名人。なぜかはわからないけど、いつもピンクのタンクトップを着ている。見た目はちょっと怪しいけど、この街の工務店で働いていて、文化祭のときなんかは学校に来ていろんなお手伝いをしてくれているらしい。

「こんにちは」
重野くんは決して大きくはないけれど、はっきりとした声でおじさんに挨拶をした。
「おう」
おじさんは少しガサついた声で返事をした。そうして私と重野くんの顔を交互に見て、なにか嬉しそうに口角を上げた。
「これやるよ」
そう言って私と重野くんにそれぞれ缶を渡してきた。何がなんだかわからないままそれを受け取って見てみると、それは初めて見るメーカーのサイダーだった。
「この先の公園によ、あじさいが咲いてたから見ていけよ」
おじさんはニコニコと笑っていた。

「ありがとうございます」と私達は声を揃えて言うと、また歩き出した。
おじさんはきっと何か勘違いをしている。本当は私と重野くん、特に仲良くなんて無いのに。気まずい無言が苦しいから、早く駅についてくれと願っていたくらいなのに。

それなのに、私達は自然と公園に向かって歩いていた。

そして、おじさんの言う通り、公園にはきれいなあじさいが咲いていた。
私と重野くんは黙ってあじさいを眺めた。
きれいな青色のあじさいは、雨にうたれて揺れている。
さっきまで私、濡れないようにあんなに神経を尖らせて歩いていたのに。こうして揺れるあじさいを見ると、雨が気持ちよさそうだなんて思った。

「あじさいって、土の酸度によって色が違うんだって」
私はようやく重野くんに言葉を投げかけてみた。
「ふうん」
重野くんはゆるく数回うなずいた。
興味ないよね、と気まずさで私はいびつな笑みを浮かべた。
「知らなかった」
重野くんは少し目を細めた。
あれ、私、あんなに怖かった重野くんの目を見ることができてる。


私も重野くんもリュックを背負って、右手には傘。左手にはサイダーの缶。そうして意味もなく横並びであじさいを眺めている。
今この公園を通る人がいたら、私達2人を見てきっと不思議に思うだろう。私達は熱心な生物部だと思われるだろうか?それとも、こいびと、だと思われるのだろうか。

「このサイダー、どこのメーカーのだよって感じだよな」
重野くんの興味は左手のサイダーに移っていたようだ。
私は初めて重野くんに話しかけられた!という驚きで思わず彼の顔を見上げた。

重野くんは笑っていた。

私は思わず「そうだね」なんて反射的に返事をした。いやいや、もっと、なんか、言うことはあるはず、なのに。

私も左手のサイダーに視線を落とす。
おじさんから貰ったサイダー。
特に冷えてもない、その缶をぎゅっと握った。

「意外に美味しいかもね」
重野くんはサイダーの缶を揺らして見せた。もう真顔に戻っていた。
でも、大真面目な顔でそう言っているのがかえって面白くて、私は笑った。

そのあと私達はまた、黙って駅へと向かった。
沈黙は沈黙でも、気まずくはなかった。

私と重野くんは乗る電車が違ったから、駅につくと「またね」と言って別れた。


また明日、学校で重野くんと話すかはわからない。
もしかしたらサイダーの味について話すかもしれないし、クールな重野くんはもうサイダーに興味がなくなっているかもしれない。
でも、目を見て「おはよう」って言ってみようかな。私はそんな僅かな決心をした。

あれだけ神経質に気にしてたはずの靴と制服のことも、すっかり忘れていて、やっぱり少し濡れていた。

でも、まあいいか。

右手には閉じた傘。左手には、知らないメーカーのサイダー。

梅雨明けは近いような気がした。




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