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読書は娯楽か?

「読書は娯楽か?」と尋ねられたら、首を縦に振りたいし、「あなたにとって読書とは?」と聞かれることがあるならば、胸を張って「娯楽です」と答えたい。

娯楽以外の目的も効用もあるけれど、それでもやっぱり「娯楽」と言いたい。

わたしは、本を読むのが苦手な子どもでした。

本は、勉強が好きで、真面目な子のもの。だと思っていたから。

まともに本を手に取ったのは、高校生の頃。当たり前のように読書をする友人ができて。学校帰りの図書館で、自分だけ何も借りないのはカッコ悪くて、恥ずかしくて。殆ど唯一知っている村上春樹氏の本を手に取ったのが、本とわたしの出会い。

けれど。読んでみて。本はわたしにも読めるものだと分かった。平等なことに、誰にでも開かれていることに、びっくりした。それからわたしは、本を読む子になりました。

世の中のありとあらゆる知らないことが、本に書いてあるのが面白くて。以前のわたしにとって、本は先生のような存在でした。たくさんの先生を前に、世の中の殆どのことを自分が知らないことも、おそらく知らないで終わってしまうことにも、焦ったりしたっけ。

たぶん、わたしにとって読書は、有益ななにか、だった。なにかをくれるから、好きだった。

けれど今は。読書は楽しいものだ、娯楽だ、と思っています。有益だろうがそうじゃなかろうが、好きなもの。そして、わたしは思うんだけど。楽しい以上に有益なことなんて、なくたっていいんじゃないだろうか。

それはたぶん、辻村深月さんと出会ったから。

ここからは、深月さん、と呼ばせて下さい。わたしの遠い遠い憧れだけど、心の中で語りかけている、わたしにとっては近しい人なので。

深月さんの名前をはじめて見たのは、書店に平積みされた『 ツナグ』の作者として、だったと思います。売れてる作家さんの名前として、なんとなく頭の片隅にあった。

その売れてる人を、「辻村深月さん」として認識したのは、V6の番組。もう何の特集だったのかも忘れてしまったのだけれど、深月さんがご自身のことを「学校へ行こう!世代」だから出られて嬉しい、みたいな事を話していたことを覚えていて。作家という特別な感性を持った最先端の人が、ジャニーズが出ている大衆的な番組を、こんなに気取らずに「好きだ」と公言するんだなぁ、ってちょっと驚いたから。(今はそんな風には思わないけど。学校へ行こう!スタッフさん達の愛情も、アイドルとアーティストに優劣のないことも、芸術とサブカルチャーに優劣のないことも、好きなものを真っ直ぐ好きだと言うことの豊かさも、もう知っているから。)

綾辻行人さんの『十角館の殺人』を読んでいて、驚きすぎて本を落とした、というエピソードが気になって、すぐにそれを買いにいって。わたしも本を落としたことで、何となく親近感が生まれて。思えばそれが沼の入口だった。

『凍りのくじら』『ツナグ』と読み進めていって。辻村深月さんは、わたしの中で好きな作家のひとり、になった。

それが、1番好きな作家、になったのは、『盲目的な恋と友情』を読んだ時。忘れもしない。最後の最後、驚きすぎて、それこそ本を落としそうになった。たぶん深月さんが綾辻行人さんの著書を読んで受けた衝撃と同等の衝撃を、わたしはあの作品から受けたと思っている。いや、思いたい。

それから、著書をリアルタイムで、また、遡って追いかけていくうち、わたしの中で深月さんは神様になっていった。たぶん、『スロウハイツの神様』を読み終えた頃に。

この箇所が好きだというのは、挙げ出したらキリがないので、今回詳しくは語らないけど。本来、条件など付けるべきではない「友達になる条件」なんてものがあるとすれば、『V.T.R.』という『スロウハイツ〜』のスピンオフ作品に登場する赤羽環の解説文を笑わないかどうか、という条件を真っ先に挙げる気がします。

深月さんの作品は、本当に面白い。

滋養たっぷりの温かなスープのような作品は、繰り返し読むほどに、優しい味わいがじんわりと広がっていくし。読んでいて具合が悪くなる作品も、読んで以降生きる世界の気圧の設定が低くなるような作品もあるけれど、それだって面白い。その全てを知らないままの世界より、知れた方が楽しい、ということがはっきり分かる。活字を追うということ自体が、こんなにも心を使うことだと、わたしは辻村深月に出会ってはじめて知った。

深月さんの本の登場人物は、わたしにとって友達です。

仕事で理不尽なことがあった時、ファンライフで納得がいかない時。大好きなふみちゃんなら、赤羽環なら…と自問自答する。「ふみちゃんなら、きっと褒めてくれる」「環なら、きっとこんなことは口に出さない」といないはずの人を指針にする。

そして、憧れの人、小笠原時子さん。彼女は端役だけれど、彼女が愛する人に向けて取った行動のことを、本当に尊敬していて。『ツナグ 想い人の心得』を読んで以降、わたしの中で、愛の定義が変わったとすら思っています。「愛している」とその言葉で愛を表現するより、こんなに豊かな愛情の表現の仕方があるのか、と。わたしも愛する人の生きた時間をそんな風に大切にできる人になりたいと、密かに憧れていて。生き方まで変わったような気がする、っていうのは言い過ぎかな?でも、生きる優先順位は変わったかもしれないな。

わたしは「確固たるわたし」なんて存在しなくて、自分と憧れとか、自分と相手との間にあるもの、だと思っています。

深月さんの小説の登場人物のようにありたい、と念じながら日々を生きることは、元来の自分より大きな自分を生きること、なんじゃないかと思う。コンパスで描く円が、少し大きくなってるイメージ。わたしがいま見ている世界は、深月さんがプレゼントしてくれたものでもある。どうもありがとうございます。

さて、今日は。深月さんのお誕生日。本当は、2月29日だけど。描く世界が大好きだから、生まれてくれて、読書が好きな子に育ってくれて、作家になってくれてありがとうございます、と言いたくて。深月さんが通ってきたカルチャー全てに、ありがとうと言って回りたいくらい。深月さんが通ってきたカルチャーを、深月さんを通して体験できたことも、わたしはとてもうれしく思っています。

本を読まない子どもが、ただ楽しくて本を読むようになったこと。ただ面白いということが、とても豊かだということ。それを教えてくれたのが、辻村深月さんの作品たちであること。どこかの誰かに響いてくれたら、こんなに嬉しいことはありません。

P.S.高校時代に通った遠い街の図書館に、10年振りくらいに足を運んだところ、深月さんの本がハードカバーで全部揃っていて。恵まれた場所で高校生活を送っていたということを、その時にはじめて実感しました。誰かひとりの作家を追いかけていなかったら、気づかなかったかもしれないね。


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