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大人の学びと"自分のミッション”を知るサイン

心がドスンと突き動かされる瞬間は、思いもかけない形でやってくる。まるでテーブルに積み上げていた本が、バランスを崩して一気にドサっと崩れ落ちる瞬間のように。最近の私が経験したその瞬間は、打ち合わせで仕事仲間に会い、別れ際に呟かれたひと言を聞いた時に訪れた。

「私も色々と悩みがあって」

打ち合わせテーブルの上に乗せていた私の手も、彼女から見えるであろう私の上半身もおそらく1ミリも動いてはいなかっただろう。でも心の中はまるで雪山で雪崩が起きたかのように、一気に崩れ落ちていた。その場で今すぐにでも悩み話を聞いて、私が今わかる運勢のこと、知りうるすべてのことを話したい衝動に駆られたのだ。実際は商談相手という立場でもある彼女を前に、打ち合わせを終えたばかりの立派な会議室で、そんな怪しい行動はとれずに帰ってきたのだけれど。

 同じ頃、心突き動かされる瞬間が再び訪れた。場所は健康診断のために訪れた都内病院の待合室。かつて大病院に勤めていた女医の先生が独立開業したばかりのクリニックだ。年齢はアラフィフの私より少し若いか、近しいぐらいの先生だろうか。美しくて明るい笑顔の印象的な先生だった。

 クリニックの待ち合いテーブルには、女性誌の他に先生が取材を受けた新聞の切り抜きがラミネート加工されて置かれていた。記事に書かれていたのは、先生が「医師」を目指したきっかけとなった阪神淡路大震災の体験。当時喫茶店を営んでいた先生の母親だけが店で被災し、家族で一人命を失われた。家にいた家族は全員無事だったそうだ。現場に駆けつけた時、担架で運ばれる母親の足が見えたのだという。

 この経験がきっかけとなり、「将来は人の命を救う仕事に」と先生は医師を目指された。現在は2児の母。元勤めていた職場の病院に応援され、連携をとる形で病院の近くに自身のクリニックを開いたのだという。記事の見出しの一言一句までは覚えていないのだけれど、「人の痛みがわかるからこそ」と言った趣旨の文言が大きな太文字で書かれていた。その見出しと内容に、私は再びハッとさせられたのだった。

人生のミッションへの気付きは突然に

 心の雪崩が教えてくれたこと。それは私が30代の頃からずっと探し続けてきた、”人生のミッション”への気付きだった。エディターとして勤めながら、楽しく働いていた20〜30代の頃。大好きな仕事に就いているのに、どこかで心満たされない自分がいた。仕事のほかに無条件で心突き動かされる"人生のミッション"をずっと探していたのだ。才能あふれる同僚たちの中にはファッションブランドを立ち上げて成功をおさめたり、「自分の使命」を掲げて大盛況のイベントを主催し、メディアに引っ張りだこになっていた素敵な人もいた。だがそうした華やかな人々、モノ、情報に囲まれる一方で、自分は世の中にある半分の面しか見ていないのではないかという、危うい肌感もあった。

 なぜ今、足掛け10年以上かけて学校に通い、占星術を極めようとしているのか? と時々自問することがある。人生の不思議に魅せられて、生きる意味を知りたくて、編集者時代に出会った占星術家の先生方との出会いがきっかけで。今まで人に聞かれるたびに学びの理由を考えて、まことしやかな言葉で伝えることはあったけれど、一番の理由は多分そんなことではなくて。

 打ち合わせの最後にそっと囁かれた言葉に、人の痛みに寄り添う医療を志した先生の姿に、自分の心が雪崩落ちるほど反応したように、私はシンプルに誰かの悩みにただ寄り添いたくて、この学びを続けているのだ。アラフィフにしてやっと、「自分の使命」を告げる大きな鐘の音がゴーンと心に響いた。

 昨今の「学び」や「副業」人気も後押しして、「仕事の合間に新たな勉強を」とたくさんの広告が流れてくる。私も語学をもっとブラッシュアップしたくて、オンライン学習のお知らせが来るたびに、ついついクリックして眺めている。でもいくつクリックしても、心の鐘が鳴ることはないままだ。自分が本当に学びたいことは何だろう? そして、その先に自分が果たせる使命とは? たくさんの選択肢を前に、どうすればよいか迷い、悩んでいる人が、もしいるとすれば。

 私の体験から言えるのは、思いもかけずやってくる「心の雪崩」を待ってみること、そこにヒントがあるかもしれないということだ。思った以上に素朴な形で「真のミッション」がそこに潜んでいるかもしれない。

 人生折り返しを迎えた後半戦は「自分の使命」と思えることに打ち込んで、身近な誰か、ひいては社会、世界の役に立てるようになりたい。私もまたいつやってくるか分からない「雪崩」の時が再び訪れる瞬間を、待ちわびてワクワクしている。







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