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過程



最近思うんだ。
わたしは興味のある事については
動画やブログなどを利用して
調べることは大好きだが、
それでも知らないことがたくさんあるんだ。
興味の外にある分野では得意な人の方が
人に説明できるほどの理解をしている。

自分の知識について語りたくなることも
あったけれど、
そういう事を控えめにして、人の話を聞く。
その方がもっと様々なことが聞けそうだと思う。

ああ…柔らかくなりたい。
解釈は広めで、もっとたくさん聞けるようになりたい。


いつも下手くそなんだけれど…。
今は話さず聞く事に意識を向けすぎて
無難なことしか言えなくなった。
最近話し続かないなと思った方…
ごめんね。
私なりにバランスを考えながら
話を聞いてるんだよ。

それでも、それでも下手くそで
もう自分でも時々泣きたくなるけど
自分の為にやる訓練だし
いつか人の役に立てる要素のうちの一つ
だと信じて学んでいるよ。



両面宿儺が言ってた
『術式の解釈を広げろ』という言葉が
今も心の中に残っていて
両面宿儺と五条悟の死闘を眺めてるだけの
私達にだって拡げるべき見解というものは
絶対にあると思うんだ。

この時の宿儺は、自分が新たに身につけた
術式を元の術師よりも使いこなすために
術式と使い方の幅を拡げる試みをしていた。


自分の向かうべきところが分からない時
何かに激おこになりそうになったとき
人が理解できない時


そういう時こそ、両面宿儺の考え方を実践したい。


だから知りたい。
なんでそうなった?と考えるアンテナは大切にしたい。
そこから興味が深まり、知識に繋がるから。



人から聞かされている事にも
自分なりに状況を把握して、


もしかしたら状況変わるかもしれんな。


というのに気づける事がある。
それに関しては、まぁ幼少期から
嫌なことからすこしでもダメージを
受けたくなかったから、嫌でも
周りの動きを見る癖がついて
失敗しながらも身につける事が
できるようになった。



スピリチュアルが好きだけど
嫌いな理由は
超次元的な事やその世界での常識を
説明できる人が少ないところ。

精神世界を一部扱うけれど
文学や形に落とし込む段取りのある
魔女学の方が自分には合ってる。
書くことや作ることは大好きなのもあるけど。


手作りはうれしいし手間が掛かる分
より美味しいし有り難みがある。
だけど28年地球で生きた私はようやっと
あちらへ持って帰れそうな
この星の記憶は残っている。

少し話は変わるけど、例えば祖母が
『これ美味しいかな?喜んでくれるかな?』
って思いながら選んで持ってきてくれた
冷凍食品のパスタとかも充分うれしいんだよ。


こういう些細な事でも人との繋がりは
感じられると私は思ってるよ。
嬉しく思ってくれたら良いな、喜んでくれたらいいな。という思いは、人が人を思う大切な気持ちやん。




ああ、難しい事を話しすぎちゃったなぁ
次はまたエックスに言うこともないけど
ちょっと話したいこととかを書けるとよいね☺️



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