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HANABI、世界の愛し方

コードブルーで使われてるミスチルのHANABI。
私は家族が昔からミスチルが好きで特にHANABIが入ってるsupermarketfantasyは出会ってきたどんなアルバムよりも聞いたと思う。「聞」いてた。 いつも車でかかってた音楽だった。 その中のHANABIは私はそんなに好きじゃなかった。どこでも流れてるから?メロディーが好みじゃないから?
なんとなく有名すぎて飽きる感じがあった。

コードブルーは2シーズンから見て、1も見直して、3も見た。
2を見てる時は普通にガッキーが可愛いから見てた。椎名桔平がかっこいいから見てたし1もそんな感じで見てた。「見」てた。他のドラマと変わらず、面白いから見てるドラマの1つだった。

卒論をダラダラダラダラ書いてる。
パソコンを打つ作業しか残ってないので飽きてきて、コードブルー3を見直した。
めっちゃ感動した。
こんなに泣く?ってくらい泣いた。
年々年々涙もろい。感受性が強くなっていくのか、感情移入が強くなって行くのか、「愛すべき沢山の人たちが僕を臆病者に変えてしまったんだ」っていう桜井さんの他の歌詞があるけど時間が経つにつれ色んなことを知って、ハートはヤワになっていくのかもしれないと思う。

コードブルーでは、たくさんの命が絶たれる。
一人一人が真っ直ぐ歩いてきた道が絶たれる。
真っ直ぐ進んでいくと思っていた道が、突然曲がる。
数分前まで普通だった人がいなくなる。
大切な人がいなくなる。
大切なものが無くなる。
わりきれないことがたくさんある。
残された命に、過酷な未来が待っている。

その一つ一つがあまりに苦しい。
「誰も皆悲しみを抱いてるだけど素敵な明日を願っている」
それがこの世界で
「決して捕まえることのできない花火のような光」
しかないし、そういうものがこの世界での光なんだと思う。
「さよならが迎えに来ることを最初からわかっていた」
それもこの世界。ずっと一緒にいることはできなくて、つかめない。
こんな世界に「どれくらいの値打ちがあるだろう?」
悲しいことしかない気がしてくる。ずっとそこにあるものはなくて、
でも自分は、どんどん積み重なっていく大切なものと捨てきれないもの。でも捨ててしまうもの。「手に入れたものと引き換えにして切り捨てたいくつもの輝き」「いちいち憂いていれるほど平和な世の中じゃないし」
そんなもがきは「日常に葬られてく」
こんな「臆病風に吹かれて波風がたった」世界を
「どれだけ愛することができるだろう?」

私も憂鬱な時はこんなことを思う。
何のために生きてるのかというか、何が良くて、生きてるのかみたいな。
この世の中って最悪だなって思って絶望する時もある。
でも「暗いと茶化して」笑われることもあるし、そんなこと考えてる暇はなくなってくる。まさに「日常に葬られてく」
「君がいたらなんて言うかな?」って思う。
そうやって、次あの人に会うためにとりあえず生きてるのかもと思う。
とりあえず今日を生きよう生きようとしてみる。
それでいいのか?とまた止まる。
何かを誤魔化し誤魔化し生きるのが人生なのかな?ってなる。
でも、誤魔化し誤魔化し生きる。
どんな希望を抱き進めばいい?答えようもないその問いかけは日常に葬られてく。

ここでHANABIはこの問いかけに、
「もう一回、もう一回 もう一回、もう一回 何度でも君に会いたい 」
「巡り会えたことでこんなに世界が美しく見えるなんて」
という。
「会いたくなった時の分まで 寂しくなった時の分まで」
そうやって君を愛することで世界を丸ごと愛する。
もう一回、もう一回と求めることでしか、
「会いたくなった時の分まで 寂しくなった時の分まで」
の、心を満たすことは出来ない。
だから、1回ずつ「僕はこの手を伸ばしたい」、伸ばし続けるんだと思った。

コードブルーでは、そうやって医師たちが何度も何度も、人間の命を求めて向き合う。

患者たちは、突然来た別れの気配を感じて、もう一回と求める。

「滞らないように揺れて流れて 透き通ってく水のような心であれたら」 どんなに楽か。日常の幸せや人との時間そのものを蓄積することはできないから。

でもその時間を1回ずつ求めて、焼き付けようとすることが、この世界の愛し方なんだなと、コードブルーとHANABIを「観」て、「聴」いて、思った。
私の誤魔化し誤魔化しも案外間違ってなくて、濁ってるようで透き通ってしまっているこの世界を、光をつかもうとし続けて、愛で満たしたいと思った。

これは感情が高ぶった落書き。とにかく涙が止まらない。
本当に素晴らしい作品。



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