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いつかの夏を生きていること

夕暮れ、バルコニーの柵に頬杖をついて、暑さのやわらいだ街の風を顔に受ける。西側の空が薄い桃色とブルーグレーに染まっていく。
心地よさに目を瞑ると同時に、
「あぁ、今日も、家から一歩も出ることもなく、誰とも会話もせず、1日が終わってしまったなぁ」と、ぼんやり思う。

毎日が淡々と、すべるように、過ぎていく。
朝起きて、植物に水をやり、白湯を沸かし、PCを立ち上げる。寝ぼけ眼のままパジャマ姿でメールをいくつか返し、白湯を飲んでコーンフレークを食べる。掃除機を軽くかけ、机のほこりをはらって、部屋着に着替え机に向かう。デザインの仕事だったり、イラストの制作だったり、その日にこなさなくてはいけないタスクを片付けていく。一息ついたらもうお昼で、簡単なランチご飯を食べる。だいたい、パスタかレトルトのカレー。もしくは前の日の夕飯の残り。そのあとは食後の眠気と戦いながら、もう数時間、机に向かう。今日は調子が出ないなぁとか、このカットはうまくいったなぁなんて、試行錯誤しているともう日が暮れている。家から徒歩1分のスーパーへ行き、冷蔵庫に何があったが思い起こしながら、一人分の食材を買う。ネットでレシピを開き、一人暮らしをはじめてから2年が経ってもさほど上達の感じられない料理を作り、パソコンに向き合って食べる。

この数ヶ月は、自粛で家にこもる時間が長かったせいもあるけれど、それにしても私の毎日って、こんな味気なくていいんだろうかなぁと思ったりもする。

20代の頃は、もっとはっきりと、「楽しい」とか「最高」とか、「うれしい」というような感情が、今より頻繁に、あったような気がする。冒険があったし、出会いがあったし、自分のフィールドから外へ誘い出してくれる友達がいたり、そういった環境や機会が身近にあった。

20代を終え、私は事務所を退職してフリーランスになり、組織から逃げ、一人で働いて生活するミニマルな方法を選んだ。外的なストレス要因や、自分を縛りつける制約を限りなく生活から排除することには成功したけれど、それと引き換えに人と会ったり、チームで仕事したりすることで得られる刺激や成長を少しずつ手放してきてしまったような気もする。

「楽しい」「うれしい」といった感情も、以前とは少し様子が違う。例えば、今日はちょっと肌の調子がいいなとか、部屋のコウモリランの葉が元気に伸びてきたなとか、スーパーで買ってみた新商品のグミがすごい美味しいとか、そういう小粒な幸せが多い。小さな幸せをぽろぽろと拾いながら、代わり映えのない日常を繰り返す日々。このままでいいのかと疑問を抱くこともあるけれど、その次の瞬間には、いやいや、これはこれで十分幸せだろうと言い聞かせたりもして、生きている。

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少し話は変わるが。
生活の中での小さな楽しみの一つとして、最近、家の近くにある銭湯に行くことにはまっている。銭湯そのものだけでなく、その帰り道の風情がとても好きなのだ。夏の夜のにおいと、なまぬるい風が肌をなでていくときの感覚と。マスクをそっとはずして、目を閉じ空気を吸い込む。いつかの夏の記憶が立ち上っては消えていき、胸が押しつぶされそうになる。

それは、友人と訪れた小笠原諸島の、入江で疲れるまで泳いだときのことだったり、その浅瀬で見た魚の鮮やかさだったりする。夜の浜辺に座ってケラケラと笑い合った瞬間のことだったり、26時間船に揺られてひどい船酔いに苦しみながらも、甲板に出て夜風を感じたときのことだったりする。直島で自転車を借りて汗だくになりながらアート作品を巡った時のことだったり、その帰りに丘の上から見たはっと息を飲むような港町の夜景だったり、風を切って坂をくだりながらはしゃいだ瞬間のことだったりする。彼女が、当時なぜか東京のはずれにある風呂なしの物件に住んでいて、一緒に近所の銭湯へ行ったこと、ハワイアナスのビーチサンダルをぺたぺたといわせながら濡れた髪にタオルを肩にかけ夜道を歩いたこと。彼女と過ごしている時、いつも自分が、確信を持って特別な心地よさを感じていたこと。

どれもが、大学時代〜20代前半にかけて仲が良かった、とある友人との思い出なのだが、もう彼女とは連絡を取っていない。結婚し、子供も生まれ、人生のステップを進む彼女と、独身のままで20代とたいして変わらない生活を送る私との間には、いつしか価値観にはっきりとした溝が生まれてしまっていた。

夏が来るたびに、彼女と過ごしたいつかの夏の記憶が蘇る。

「元気?」
スマホを手にして、メッセージを送ろうかと一瞬考えがよぎるけれど。
いや、今はきっとまだそのタイミングではない、と思い直す。

もし許されるのだとしたら、それはまたいつか私が彼女と同じように家庭や子供を持って、彼女に近い視点でまた話せるようになるときのような気がしている。そんな日が来るかは分からないけれど、それでも、たとえば40代50代になったとしても、またいつか人生のどこかで再会できればいいなとぼんやり思ったりする。すっかりお互いオバサンになってしまっているかもしれないけれど、また一緒に旅行をしたり、海や山へ行けたらどんなにいいだろうなと思ったりする。

今日もまた、私の1日は大きなアクシデントもなく、かといって大きな喜びもなく終わっていく。今年の夏は、自粛が続くこともあって、きっと旅行も海も花火もなく過ぎていくだろう。味気のない夏が、より一層、いつかの夏を鮮やかに際立たせる。「幸せになりたいのなら、"今"を生きなさい」と、よく言うけれど、笑っちゃうぐらい今の自分は「過去」に生きているなぁと思う。そして、いつ叶うか分からない「未来」にも、少しの願いを託して。

すっかり暗くなったバルコニーから、カーテンを揺らして夜風が入り込んでくる。胸の奥できらきらと揺れる、いつかの夏の記憶を、ずっと眺めている。

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