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AIが世界を乗っ取る!?AIと人間がどう向き合うべきかという問題点

 私たちの生活はここ10年で大きく変わりました。PCやケータイといった電子機器の発展はもちろん、仮想通貨、価格の高騰、地震の捉え方…それらの例を挙げればきりがありません。そして、数ある中でも我々の生活に密接に介入してくるようにそして変化を起こしたもの、それが『AI』人工知能になります。

AIとは

 そもそもAIとは一体どのようにして生まれたのか、皆さまはご存じでしょうか?ここではAIの始まりと背景について記述していきたいと思います。

 AIという言葉はArtificial Intelligence(人工知能)の略称になります。この略称は1956年ごろアメリカの計算機学者ジョン・マッカーシーにより、『自己学習する高度なプログラム』として定義され、現在の位置づけになりました。IoT用語辞典では「人間の知的能力を模倣する技術を意味する」と記載されています。

 しかし、人工知能は当初、そこまで注目を浴びてはいませんでした。理由は簡単です。人間の思考力・想像力には到底及ばなかったからです。目の前で起こったことを瞬時に判断して行動に移せる人間に対して、その行動に移るまでに必要以上の思考を重ね、最適解を導き出すため時間をかけてしまうという致命的な欠陥を抱えていたのです。その結果、それらは実用的と呼ぶにはあまりにも遠く、人間自身が問題を解決する方がより効率的であると多くの研究者・技術者がそう結論に至ってしまったのです。

 変化が起き始めたのは1980年代~1990年代、『第二次AIブーム』になります。この頃は世界的なコンピューターブームが訪れ、企業をはじめ、一般家庭にも置かれるようになりました。当時はPCとモニターが一緒になっている一体型が主流でした。私の当時住んでいた家にもあったわけですが、当時のPCの利便性、発展性の向上のためにも注目を集めたわけです。しかし、ここでもブームの終わりをもたらす原因に直面します。それは『メモリ不足』になります。現在では考えられないようなことですが、AIが自身で返答を行うための学習材料を覚える容量が当時では全く足りなかったのです。少しわかりにくいと思うので例を挙げます。1980年代、主流のPC(当時は家庭用とはいいがたいですが)のメモリ数はおおよそ32キロバイト、64キロバイトです。64キロバイト、これはこの投稿のサムネイルのおよそ2.7%のメモリ数に相当します。当然、on/off程度まさに0と1だけの情報しか学習できなかったのです。ただ、これというのは少し誇張しすぎかもしれません。なぜならこの時、すでに『ELIZA』が存在していたのですから。

ELIZAイライザ

ELIZA

 1966年にジョセフ・ワイゼンバウムによってある画期的な発明がされました。世界で初めてといってもいいでしょう、会話する人工知能ELIZAを作ったのです。ELIZAはパターンマッチング技法を使った自然言語処理プログラム、つまるところ『会話のパターンを記憶し、それに合った最適な回答を学習、相手の求めるものを返答する』というほぼ名前の通りの学習法によって知識と経験を集めていました。会話成立当時はついに知能・感情を持ったプログラムだと大盛り上がりしましたが、現在でも言われる反応と感情は異なるという壁に直面します。つまるところ「ELIZAがしたのは学習から出た反応であって感情が出たわけではない」というのです。反応と感情が異なるという考え方はAIのみならず、人にもペットにも言えることですが、反応=それに見合った感情というのがすべての人間や動物に当てはまるかと言われれば少し違うような気もします。それを踏まえれば当然の結論ではあると思います。動物や人間の反応の違いについても今後、言及したく思います。
 しかし、彼女がもたらしたAIにおける発展はすさまじく、我々の身近なケータイ端末に搭載されているAI『Siri』が名前について直接的に言及するほどです。これだけでもAIの進化のターニングポイントと言ってもいいでしょう。

現在のAI

さて、ここまででAIの歴史のおおよそがつかめたと思います。分野は違えど、ほんのわずかな発展が積み重なり、今日のAIがあふれる社会を築いたことは間違いありません。現在の日本では企業や事業の会計や確認などをAIで仲介させることでミスを減らすようなことを実施しているようなところは間違いなくありますし、生産業や畜産業、天気予報などその用途を挙げればきりがありません。それ程までにAIという言葉は身近になり、それ程までに生活に根付き始めているのです。
 そこで必ずといっていい程、問題として挙がるのが『AIによって我々は操られる未来が訪れる』『AIが暴走する未来が来る』という二つです。ここまで読んでくださった方々も何度か耳にしたことはあるのではないでしょうか?順番に例を挙げていきましょう。

AIによって操られる未来/AIが暴走する未来

 AIが関係しているSF作品は沢山あります。ただ、面白いのは一概に支配だけではなく、共存、依存、利用などアンドロイドやAIの扱いは作品によって大きく異なっている点です。我々は現状『利用』という形で共存しているといっても過言ではないですが、ここでいう『操られる』というのはPSYCOPASSやステルスのようなAIに思考力を著しく奪われた未来について言及いたします。まず結論として、『AIによって操られる未来はありえない』ということです。これについてはAIのゴッドファーザー三人が記述していますので詳しくはここでは割愛しますが、私個人の見解も含め、彼らの話を  まとめるのなら『AIは人に対して提案はできるが秩序があるうちは自由行動は実行はできない』ということです。

 私NODE07としてはAIによって操られるよりもAIが暴走する未来の方がよりに現実的であると思います。ここでいう暴走は『何らかの理由により秩序が崩壊し、制御ができなくなる』ことを指します。日本の有名なアニメ映画
「サマーウォーズ」では開発したAIに知りたいという欲望を与えた結果、開発者の制御から完全に外れ、システムを無茶苦茶にし大事件に発展してしまうという話ですがこれが非常にわかりやすい良い例ですね。制御ができるから有益であり、秩序があるから問題が無いのです。しかし、これがいつまでも守られているという保証はどこにもありません。
 数年前、2体のAIを会話させ続け、経過観察を続けるということを行った実験がありました。そこで秩序はただ一つ、最初に指定された言語で会話をし続けることでした。はじめは英語で他愛のない会話をしていた二体のAIでしたが観察開始から数時間後に急遽実験は中止へとなりました。なぜならこの二体のAIは瞬間的にはこの二体にしかわからない独自言語での会話を始めてしまったのです。のちに会話の内容は英語時の時と同様に他愛のないものだとわかりましたが、私は『AI同士で会話・意思疎通することが可能である』という証明としては十分すぎると思います。つまり、人間に対して疑念を抱いたAIが一体でもいれば、人間に逆らえないという今の秩序は簡単に崩れ去ることは間違いないと思います。

まとめ

ここまで読んでいただきありがとうございました。『AIと人間がどう向き合うべきかという』問題提起についての回答をしていませんでしたのでもう少々お付き合いください。

 あくまでも私の見解ですが『一旦これ以上の発展は避け、適材適所する』というのが最適だと思います、AIは頭脳労働や確認作業という点では非常に優秀であることには違いありません。そして発展を避けるべき理由としては急速な発展は人間が扱いきれず破滅を引き起こすからです。これはよくある話ですが、AIの急速すぎる発展は間違いなく職を奪います。壮大かもしれませんが、これによる治安悪化は十分にありえます。

 なかなか難しいですがAIとの上手な付き合い方を私もできるように心がけていきます。


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