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せまるショッカー地獄の軍団

国語教師が突然、仮面ライダーのメロディを歌い始めた。
30年以上前の高校時代の記憶だが、はっきり覚えている。
少し照れた表情で
「せ○ー、きししか○」と歌いきったのを。

古典の授業で助動詞の「き」の活用だったらしいのだが、いまだに感覚でしか古典の文章を読むことができない私にとってはこのメロディと語呂だけが残っている。高等教育の敗北の一コマ。そういえば、今月で定年を迎えるな、あの先生。

そういうわけでどうでもいいが「シン・仮面ライダー」を体験してきた。
アラカン・アラフィフ世代にとってリアルタイムや再放送で経験した仮面ライダー。同世代に横たわるノスタルジックな共感や、昭和の新興住宅地や工場などの工事現場やダムなどのセピアっぽい無機質なデジャビュが心地よい。原作や昔の作品を見ていない、若き平成ライダーのファンから見るとどうなんだろうと思わせる作品でもあるので賛否出るだろうねってのは私でも思う。

テレビ番組のような30分での短編の繋がりのようで、最後までワクワクしていたわけではないし、涙も出たし喜んだし、浜辺美波も綺麗だった。続編にも繋げられるような仕込みも感じたし、監督のこだわりも好きだった。

名作だとは一回見ただけでは理解しなかった(シン・ゴジラはそう思った)けれども、原作に忠実なのにマルチバースな世界観は50歳の中にある経験と知性、子供の部分を刺激した。

あと一回観てもいいが、誰かの奢りで行きたいというくらいだが、浜辺美波を魅に行くのは悪い気分ではないか。好きな人には叱られるような意見だろうが。

40年後、仮面ライダーはどんなノスタルジックな世界を40年後の50歳にもたらすんだろう。平成ライダーの再放送もネットの世界にはあるだろうけれども、この共通の感覚には程遠いのかもしれない。だいたい同級生が二百万人いて世代で二千万人くらいが計算される我々団塊ジュニア世代と、同級生が百万人きっている今の子供達世代での思い出の作られ方は異なる世界に違いない。のらくろみたいな感じになってるかもね。

思い出はいつも懐かしくて美しくて恥ずかしい。
そいうばっきゃ。

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