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元祖長浜を初めて食べる人たちに伝えたい

「今日の一杯は嫌いでも、元祖長浜屋のことは嫌いにならないでください」


元祖長浜屋は福岡のソウルフードとして有名なラーメン屋である。

観光客がたくさん。だが皆が食べながら首を傾げるのが私には辛い。

「これが福岡のラーメンかー。人気店で客も多いから美味しいんだろうが、私には合わないかなあ」。その人は2度と本場の長浜ラーメンは口にしなくなる。

だが、ちょっと待ってほしい。

私が人生で一番多く外食しているのは間違いなく「元祖長浜屋(ガンナガ)」。
大学一年18歳の夏に先輩に連れられてかれこれ33年、一端のガンナガを語る権利くらいは有している。


下品で申し訳ないがゴマを馬鹿みたいにかける癖は私のもの

「これ、美味くないな」

先輩に連れられて元祖長浜屋支店の初めての感想。奢ってもらってなんだが、美味しくなかった。あの感覚は間違っていない。スカスカのスープに硬い麺、傾いた椅子の座り心地。愛想のない店員、ねちゃる床。

だがしかし、何度か訪問し、替え玉を重ねると感覚が麻痺する。
優しくなる。

スカスカのスープならば「タレ」を入れて調整すればいい。
カタい麺を注文しても柔かったり硬すぎたりするオペレーション。
椅子に垂直に座るのではなく、床の勾配に対してバランスをとる技術。
そして何よりも人間として大事な気持ち

          「赦す」ということ。

今日はハズレだな、よかよか、タレを入れて味を調節して、麺が柔かったら替え玉でナマを頼もう。それでもダメなら一言伝えよう。どうせまた来るし、今日はこんなとこでよかろう。

客が店を赦す。普通のラーメン好きな友人たちはこれが許せない。他に美味いラーメン屋はいくらでもある、それが福岡。わかってる。

だが、元祖長浜屋が売っているのはラーメンではない。

ガンナガという食い物なのだ。二郎系にも共通した感覚。

ガンナガがすごいのは常に変化し続けること。スープが安定しないのだ。常に一期一会。同じ味は明日はない。隣の客との器間でさえ異なる可能性すらある。替え玉にすれば麺が増えて見える。なんでだ?

初ガンナガの時には恥ずかしがらずにキョロキョロしてほしい。

あなたは九州外からの観光(出張)客だ。
ネットや雑誌では福岡市民に愛されたラーメンで間違いなくトップ10に入る元祖長浜屋が紹介されている。よし、行ってみよう。券売機には行列が。期待が高まる。間違いない、俺は本場の九州ラーメンを食うのだ!

店に入る。店員が無表情で「メンノカタサワ?」と質問してくる。
九州に来るときに覚えた呪文を口にする。
「バリカタ」
すると店員は厨房に向かって大声で注文する。
「ナマイッパーイ(もしくはナマイッチョウ)」

どうやらこの店ではバリカタは禁句のようだ。

1分もしないうちに目の前にドンとラーメンが置かれて食券が消える。
おー、これが本場の長浜ラーメンか。
記念に写真を何カットか撮影する。周囲の客は黙々と麺を口の中に放り込んでいる。

れんげは?と給水機のところまで取りに行く。
さて、スープは、と一口すする。

うん?

あなたは心の中の首を傾げる。

正解だ。
今日のはハズレだよ、目の前の客=私は思ってる。

あなたの目の前の客がおもむろに卓上の銀のケトルを手にして大さじ一杯くらいの黒い液体を自分の器に注ぐ。

あなたは思う、あれはなんだ?紅生姜は入れないのか?コショウは入れたけど、味はスカスカのまま。よし、郷にいれば郷に従え、だ。
そして銀のケトルのタレをぐるりと一周二周と流し込む。

すると

なぜだ?目の前の客が哀れなものを見る目で俺の器を見ている。

気を取り直して麺を一口すする。 お、味がする。だが、濃いなこれ。
そしてあなたは気づく。入れ過ぎだ。
さらに紅生姜を投入、塩分が加速する。

結果あなたは2度と本場のガンナガには行かず一蘭に通う(一蘭はいつ行っても美味しい、間違いない)。

ここから私からのお願い。

「その一杯で元祖を嫌いにならないでください」

美味しくないのは百も承知。だが洗脳されてソウルフードとなったガンナガーにとって、ガンナガはもはや実家の味。盆正月になれば写真のような行列ができる。写真は長浜「家」のもの。ここでは「家」とか「屋」とかは気にしないものとする。


まあ、ここまでして食べるもんでもないとは私でさえ思うがね


東京からの帰省客。孫の顔を福岡の実家に見せにきた福岡出身のお父さん。小さい頃からガンナガにハマっている性分なのでメタボだ。関東出身の奥さんと東京育ちの子供たち。福岡のラーメンを食べれると行列を我慢し期待して席に着く。

一口食べた家族の顔が曇る。期待は別の感情に取って代わる。

お父さんは悲しい気持ちで家族の愚痴を帰りの車内で聞かされる。

そんな悲しい光景はもう見たくない。

私のルーティンを紹介しよう(メタボ向け)

まずは券売機。ラーメン550円をポチり、替え玉150円をポチる。私が学生の頃は一杯300円、替え玉50円だった。余裕があれば変肉100円を足すもよし。順番が来て引き戸を開けて店に入る。
店員が言葉を発する前に熟練の魔術師である私は呪文を唱える。

「ベタナマ」

弾かれたように店員が復唱する。「ベタナマイッパーイ!」

ちなみにベタナマとは表面に脂が層を作るほど注がれたバリカタ麺の一品のことだ。ネギは普通で良い。高騰してるからネギ盛りは嫌がる。可愛いぞガンナガ。
ベタはスープがコーティングされているから冷めない。熱い。

写真は素早く一枚だけ撮影する。

理由は麺が柔らかくなってしまうから。素早くゴマをかけて一気に麺を啜るべし。だらだら写真撮影したり、一緒の人の麺が到着するまで待つなんてことはしてはいけない。麺がノビることは許さない。ナマやカタで頼んだ客のマナー。

味がしないな、と思ったら銀のケトルからタレを少しだけ投入する。金の大きめのケトルはお茶だ。これも癖のないお茶だ。間違えないように気をつけてほしい。
タレは大さじ一杯入れたら充分しょっぱい。くれぐれも入れ過ぎないように。変肉を入れる場合はタレは入れないほうが良い。塩辛くて仕方なくなる。

ずるずると麺を胃袋に送り込み、あと三すすりで麺がなくなるな、というときに店員に向かって呪文を唱える。
「スミマセン、ナマタマヒトツ」店員の顔を見ながら唱えるのが大切だ。

麺の硬さはナマ→カタ→フツウ→ヤワの順で変わる。だがその通りで来るかどうかはその時にしかわからないというドキドキもある。適切妥当=適当ではなく、ざっくりしている方のソレに近い。

調子が良い時にはすぐに麺がくる。投入されたらゴマを振って替え玉で初めて紅生姜を入れる。味変、である。これも入れ過ぎてはいけない。節度は大切だ。

麺を完食後、スープは一口飲む。決して飲み干してはいけない。喉が渇くから。
飲み過ぎれば医者から叱られる。
静かに手を合わせ、ごちそうさまでした、と心でつぶやく。

店を出る時に店員が声をかける時もある。

「アリガトーゴザイマシター」

当たり前でしょ?って思うでしょ?

20年前まではこの一言はなかったのだ。最近はコンプラだかサービス業にでもなったつもりなのか知らないが。ちゃんと挨拶をするようになった。
これには長年の私のようなナガラーもびっくりした。

「イラッシャイマセ」はいまだにない。理由は入ってきた途端に「何人か?」「麺の硬さは?」と訊くから。
呪文を知らねば苦労するのは二郎系でも一緒のようだ。

「変わらないために変わり続ける」とはウォルマートの創業者だかが言ったらしいが、元祖長浜屋は強烈な変わらなさが魅力にさえなっている不思議な場所なのである。

明日死ぬとしたら何を食べるか?という質問がある。
私はガンナガと答えるようにしている。もしかしたらカツ丼にその座を奪われる時があるかもしれないが、今のところそのくらい私はガンナガを愛している。

だから、その一杯で全てを決めなくてもいいじゃないですか、というのが私からのメッセージである。


こちらは元祖長浜屋の行列風景



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