はじめてのへんしゅう(11)一行アキについて2
どうも、はじめましての方と再来の方へ、たつのこ龍次郎と申します。
人の心に触れる言葉を紡ぎたい、そんな男です。
前回のシリーズ投稿では「一行アキ」の今までの考え方について書いてみた。
とある書籍を読んだ時に「一行アキ」についての考え方を変えてくれる衝撃が体中を走った。
その書籍は、三浦しをん著「マナーはいらない〜小説の書きかた講座」。
この本は、『舟を編む』『風が強く吹いている』『まほろ駅前多田便利軒』など数々の有名な小説家を世に出してきた三浦しをんさんが、爆笑の勢いある文章で読ませてくれるオススメの小説書きかた指南本だ。
私個人が小説の書き方を学んでいるゆえに、この本を取り上げるけれど、そうじゃない人にとっても目からウロコの連続と思う。
三浦しをんさんが思う「一行アキ」についての使いどころは下記の二つ。
1.語り手(視点)が変わるとき。
2.場面転換するとき(前後で、ある程度、時間の飛躍があるとき。
また、あえて入れないときもあるとも。
そのほうが、めまいとともに読者を作中に惹きこむような効果が生まれることがあるからです。
「一行アキ」を水泳における「息つぎ」に例える。慣れた水泳選手は、息つぎを減らしたほうが効率よく泳げる。文章も同じで「一行アキ」に頼りすぎないほうが筆力が身につくという。
満を持して一行アキを使うと、効果が倍増するのです。
ポロリ(目からウロコ音)
さらに、行アキによる余韻作りは、ある意味「ドーピング」と評す。理由は、体に悪い=「文章の精度がいつまでもあがらないままになってしまう」と。
ポロリ(目からウロコ音)
思い当たる節がある、というより節しかない。
私が書く文章は、息つぎの多い水泳選手の泳ぎのよう。本人は一生懸命なんだけれど、側から見ていても「美しくない」し、「効率もよくない」。
私も含めてなぜ多くのひとが「一行アキを多用」してしまうかの分析は、次回へつづく。
ではまた、どうぞお越しになってください。
2021.05.27(木)@10-006
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