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【徒然なるままに】純度高く生きることについて考えてみた。

こんにちは。ノダマユです。

久しぶりにドラマ「東京タラレバ娘」を観ていてハッとさせられた言葉があります。

〜ができてマシ。これがあるだけ、ないよりはマシ。マシを数えて誤魔化していた。本当は気づいている。マシをいくら数えても幸せじゃないって。マシをいくらあってもたった一つのアレには敵わないってことを。

本意ではなくてもやらないよりはやっていた方がマシだとか、何もないよりはあるだけマシだとか。私もその基準でなんでもやっていたからこそ主人公の凛子の気持ちにとっても共感できたし、きっとそう思っている人も少なからずいるのではないかと感じました。だからこそこのザワザワとした気持ちを認めておきたいなと思い綴ることにしました。

はじめの高揚感を今でも持っているか

大体迷っている時は先述したような判断のブレが出てきた時です。そういう時は大体、自分自身のワクワクするという気持ちを見失っている、向き合う純度が下がっている時なのかなと思います。

取り組む始めのうちは想像するだけでワクワクしてドキドキしてなんともいえない高揚感に駆られていたのに気づいたら目の前のタスクやとりあえずやっておいた方がマシなんじゃないかとかそういった取り急ぎのことに追われて「今」感じるそのワクワク感を失って余裕を無くしてしまう。

あ、丁寧に向き合えてないなぁと自分自身に対してイライラして、こんなはずじゃなかったのにってピリピリ。はい、よくないループです。周りにも迷惑野郎ですよね。ちょっと前までの私は常にそんな感じでした。(当時の後輩には本当に怖かったと暴露されました。なんてひどい先輩なんだ。)そして今でもたまになります。そして反省して自己嫌悪。

自分のためにも相手のためにも自分に素直に

純度高く向き合うことは自分に素直に向き合うことなのかなと思います。とりあえず必要だと思うから選ぶ、やらないよりはやったほうがマシだと思うから選ぶという自分の心の声に素直に耳を傾けていないかったからまだまだ間違った選択をすることもあります。最初にあれ?って思っていてもとりあえず精神でやってみてだんだん違和感が大きくなってしまうこともしばしば。

自分の声に素直に聞いて仕事を選んでいったら私みたいな仕事は難しいよという言葉もたくさんいただきます。それで迷うこともたくさんあります。それでもノダマユに依頼したい、つむぎに依頼したいと言っていただく声もあることは事実。

その求めてくれる声に感謝して、実際に私自身がワクワクしながら向き合えるお仕事に私は力を注いでいきたい、純度高く向き合っていきたいと今回のドラマを見て改めました。だって、そうじゃないと相手にも自分にも失礼ですよね。時間だってもちろんお金だって出しあってしているもの。そのことに再度考えさせられました。

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