言葉の力を信じて書いてみる

2023年1月13日  今から、noteを書いてみる。何から書けば良いか悩んでしまうからとりあえず今日やったこととか、浮かんだ思考とか、学んだこととかそういうことを書いていく。昨日入会しているオンラインスクールでこれから本を作ろうとしている人と編集者の方の対談を聞いた。二人ともめっちゃかっこよくて、感化されて書いている。でもそのことを書くというよりも今日は今の思考をそのまま書いていきたいと思う。

唐突だが、わたしは今、人生に迷い込んでいる。でもあっけらかんとしている自分もいるくらいの状況に戻ってきた。とはいえ、楽しいこととかやりたいこととかそういうことを考えにくい頭になっている気がする。

元々は病院で勤務していたけど、退職して本屋で働いていた。でも引越しとか色々あって辞めた。自己否定されたことを真に受ける自分の弱さが原因の一つでもあっただろうと振り返るけど、攻撃的だったり乱暴だったり、そんな言葉を聞くのが怖くて苦手。そういうところからも来てると思う。

本棚には、小さな声も大きな声も生きてる人も死んでる人も、いろんな声が横並びにあるのが好き。そんな声のメガホンになって届けることができる本屋という場所に惹かれて勤めたけど、本についての会話じゃなくて愚痴ばっかりなのがしんどかった。(めっちゃ正直に書いている。笑)純粋に好きな本の話をしたりするそんなコミュニティは、どこにあるんだろう。という感じで、今入会しているオンラインスクールがあるのが一つの救い。あとは自分で作っていくという方法もあるのかも・・・。うーん。

大学生の頃は、好きな音楽の話をしたり、聞いたり、夢を持っている人の話を聞いたり、楽しそうに働く大人達がいたりするコミュニティの中に居た。それがとても嬉しかった。その頃、わたしは大学にはあまり行けてなかったのだけど、学外にそういうコミュニティを持てていたことが救いだったし、何より自分の居場所だった。大学でも軽音楽部を見に行ったりしたのだけど、「ここに入ったら近くの大学の男子と仲良くなれる」とか「合コンできる」とかそんな話で、それは今となっては誘い文句だったのかと思うけど、正直、気持ちが冷めてしまった。上手い下手は構わないけど、音楽が好きな人が居る場所ではなかったから。だから自分で探して、どこまでも自分で調べて探して見つけて行った。

そんなあの時の、楽しい感じとか、探そうとする種が、今は見当たらないのだ。どこにいったのだろう。それが必要なのかもわからないけど、どこか求めているところがある。

私は大学を卒業して、病院で働き始めた。初めての仕事は、自殺未遂をした人のそばに居ることだった。スタッフの目線が向く中、泣き叫んでいる女性のそばに居て、なんて声をかけたらいいのかもわからなかったけど、そばに居続けた。わたしはその時に見たその人の涙が、海のように見えた。とても綺麗で忘れられなかった。その人の深い苦しみも。

家に帰ったあと、どっと疲れてそのまま寝てしまって起きたら昼だった。1日しかない休日に、わたしが見たものを1日かけて曲にした。そんな感じで、わたしが見たものを音楽にすることで、自分も癒されていて、なんとか本当になんとか、仕事を継続させられていたように思う。

でも資格試験に合格してからは、音楽をしながら仕事をするのが、不真面目というか良くない事のように思えて、今まで自分で調べて足を運んで買ってきた機材を全て売った。それで仕事に全集中していったのだけど、6年目に担当した患者さんの状態よりも自分の状態の方が悪いことに気付いて、わたしは続けることができなくなった。しんどい人が目の前にいることに必死になるあまりに自分のことを蔑ろにしすぎて、ふと振り返った時、自分はもうボロボロだった。

そんな状態で社会に対しても人生に対しても絶望感のようなものを感じるようになっていたのだけど、それでもなぜか私の顔には明るさがあったと言われた。なぜだろう。私の家族や周囲の人、患者さんや職場の人、友達などが、自然と私の中に明るさの灯を焚き続けてくれたのかもしれない。

言葉の力を信じて書きながら、見つけていきたい。こんな感じで低空飛行で継続していけたらと思う。読んでくれてありがとうございます。感想やスキなどもとても嬉しいです。
これからよろしくお願いします。

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