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THE JOURNEY TO COMPETE 信越五岳100マイルへの道

起点の話

2020年から本格化したパンデミックによって、個人や社会の意識、行動様式が大きくかつ加速度的に変化した。自由に外出できない。こんな経験は、戦時下以来のことだったのであろう。当然、私個人においても、物理的な移動を伴う通勤がなくなったことにより、様々な変化が起こった。その一つが、朝の自由な可処分時間が増えたことだ。それまでは、朝起きて、弁当を作って、支度をして、長時間かけて通勤してという時間の使い方をしていた。その内の通勤に要していた約1時間強の自由な時間が与えられたのだ。
住居をそれまでよりも郊外に移したタイミングも重なって、散策がてらその1時間をウォーキングやランニングに充てるようになった。行動が制限されることによる心身に抱えるストレスを考えると、今考えても自然の流れだったと思う。これは、多くの方に当てはまるのではないだろうか。

ここで、個人のランニングアプリのログを振り返ってみる。

2019年 475km
2020年 175km
2021年 1468km
2022年 2300km

2019年までは、月にならして約40kmくらいであったランニング習慣が、パンデミックが本格化した2022年には月平均15km弱まで激減した。前述の朝のランニングは、2020年の後半から社会状況が少しずつ前に向かっていくタイミングで開始したのだが、そこから2021年に大きく距離を延ばし、2022年に至ってはこれまでの人生で最長の距離を走ることとなった。

もちろん、本来の走ることで得られる様々な効果でランニングやウォーキングが習慣化された人も多くいると思うが、私のようにここまで大きく変化した方は、何かのレバレッジが効いているに違いない。

それらが、私の信越五岳100マイル挑戦に至った起点たちである。

点と線とジャーニーの話

時間ができたのは、朝だけではなかった。帰りの通勤時間もなくなったことで、夕食の時間も早まり就寝までの時間に余裕ができた。ここで大きく需要が高まったのが、YoutubeやNetflix、GameといったメディアやWebコンテンツたちだ。YoutubeやGameは個人より、Netflixなどのサブスクリプションメディアは家族も一緒にといったように、趣味や学びから、遊び、鑑賞まで、これまで割けなかった時間が生まれた。

ここで、個人のお気に入りコンテンツを、気に入った時系列で振り返ってみる。(家族とのコンテンツは割愛)結果的に、それを辿ると、私自身の所謂カスタマージャーニーとなっている。

まず、新しい住環境でしばらく同じコースを走って飽きてきたところで役に立ったのが、Runtripアプリだった。ラントリップのユニークポイントは、単なるランニングログを貯めるだけではなく、ユーザーがお気に入りのランニングコースマップを紹介する参加型の有機的なコンテンツを有しているところ。検索で、最寄り駅やエリアで検索すると、たくさんのコースが出てきた。そのコースを見ると、「なるほどこの道があそこに繋がるんだ」「ちょうど10kmのコースとしてはこれが良いな」とか、中々面白いではないか。その中で、「えっ、こんな近くにこんな良いトレイルがあるんだ?」。この機微こそが、信越への道に繋がった最初のスイッチだった。

実際に、ラントリップのアプリを起動し、そのマップを辿って走ると、想像を超える冒険の始まりだった。ちょっと走るだけで、こんなにも気持ちの良いトレイルや景色があるんだ。それから、毎週末、身近な冒険に明け暮れていった。

次にはまったのが、Youtubeのランニング関連コンテンツたちだ。中でも、「ガチオのランチャン」というトレイルランニングを中心としたランニング系の番組が大のお気に入りだった。ガチオさんが、ほぼ同年代という親近感と刺激と、内容が実際に走っている様子だけではなく、ギアの話や大会の話や、旅ランの話や、コトとモノの両軸あることが面白かった。もちろん、ご本人のキャラクターが素晴らしいのは前提だが。

私自身、トレイルランニングに出会ったのは、15年程前に、石川弘樹さん(信越五岳の大会実行委員長及びコースディレクター)の雑誌記事を見たことだった。そんなスポーツがあったんだ!?という驚きと、石川さんのスタイルや雰囲気が格好良かったこともあり、直感的にやってみたいスポーツとして一気に盛り上がった。実際、当時の仕事や家庭の状況もあって、中々、週末にトレイルに行く機会を作ることができず尻窄みしてしまったが、石川さんが着用していたパタゴニアのショーツとモントレイルのマウンテンマゾヒスト(シューズ)は速攻で購入した記憶が鮮明に残っている。

話を戻して、ガチオさんの影響で、元々やりたかったトレイルランニングへのボルテージが一気に爆上がりした。

しかし、近所のトレイルは走っていたものの、本格的な山に走りに行くには、まだまだハードルがあった。行きたいけど、踏ん切りがつかない。そこで出会ったのが、e-Moshicom(イー・モシコム)という身近な大会や練習会などのスポーツイベントの紹介とエントリー管理を行うWebサービスだった。

そこで、2021年4月25日(今から約2年半前)、人見知りな自分を奮い立たせて参加したのが、後にさらにお世話になるOSJが企画した「箱根外輪一周トレランツアー」だった。今思うと、おいおいいきなりの本格トレイルが「ガイリーン」(箱根一周の通称)かい!!という話なのだが、そこまで結構走っていたという多少の自信と、トレイルを走りたい!という溢れる気持ちがボタンを押してしまった。ガイリーンがかなりの難易度とは深く知らずに。ザックは持っていたハイキング用のもの(前面にドリンクホルダーが付いていない)、シューズはラグが深めのランニングシューズ、補給は持っていったが(恐らく)全然足りていなかった。

いざ、箱根のトレイルに入っていった。キツイなあ、けど案外イケるかも、そんな調子で必死で食らいついていったが、ある違和感を感じた。みんな走りながら手の届く範囲にあるウォーターボトルや補給食で補給していたが、自分はというとザックを一旦下ろさないとうまく補給できないではないか。途中、止まり止まり行くので、そのタイミングでは補給はできたが、後手後手かつ足りていないのは明らかだった。しばらくすると、急に体が動かなくなった。ハンガーノックだった。しかも、金時山の登りの序盤で。これがハンガーノックか。もし、一人だったら、間違いなく事故に繋がっていただろう。(一人ならあんなには走らないが)参加していた他のメンバーや、お世話いただいたサポートの方(実績のあるランナーの方・・)には多大なる迷惑をかけてしまった。あらためて、申し訳ございませんでした。その後、何とかかんとか山頂まで行き、小屋の食料で回復はしたものの、24km地点あたりでエスケープし帰路についた。

猛省。

しかし、この失敗こそが先生となって、より真摯に本格的にトレイルランニングに向き合うこととなった。

真剣に趣味を極める。そこには、素人も玄人もなく、レベルは違えど、同質の悩みや需要、そして不文律があり、それを守り、解決したりしながら、思いのスタイルで全力で楽しむことを求めていきたいと思っている。

不文律的には、まず命を最優先にすること。そして、自然環境を壊さないことがあると思う。正しい情報と正しい知識を見につけることで、正しい判断ができるようになる。多くの選択肢の中で、より適切な選択をとることができる。それでも、100%ということはなく、不慮、不可避なことも出てくるかもしれないが、それは自己責任のもとで楽しむ、挑むことを腹に据えた。心技体を高める、そしてパフォーマンスと安全性の機能を必要とされるギアやウェア、シューズを選ぶ。

そして、2021年7月に初めてトレイルランニングの大会(The4100D マウンテントレイル in 野沢温泉)に出場、65km +4100Dの設定、灼熱の中、何とか完走することができた。それまでの経験、準備、マインドセットの甲斐もあって、ひよっこトレイルランナーとしての出発点となった。

これまで味わったことのない達成感と共に、残り27km地点でふやけた足裏にできた水脹れが限界に達し、足をつくたびに経験したことのない痛みに襲われた。スキントラブルという悩み(=需要)も加わった。その悩みを解決すべく、立川にあるトリッパーズというトレラン専門店で、テングバームを購入した。今でも愛用している。

まだ、全然トレイルランナーっぽくない

さあ、これからだという矢先に、家の階段を勢いよく踏み外し、背中と腰を強打。3ヶ月ほど走れなくなってしまった。

2021年、年が明けてようやく全力で走れるようになってきた。その頃から、ちょっと独学と独走に限界を感じていたので、思い切って前述のイー・モシコムで練習会を調べて参加することにした。場所は南高尾、講師はハセツネの優勝経験もある三浦裕一さんだった。初級編ということもあり、トップランナーの三浦さんに、トレイルの登り下りの基礎を教えていただいた。その際に、前述のOSJで募集している三浦さん率いるTEAM MIURAへの参加に声をかけていただいた。本格的な匂いのするTEAMに、果たして俺、大丈夫か??という疑問もよぎったが、三浦さんの鍛え抜かれたハムストリングと脹脛を見て、この足を手に入れたい!と歳柄もなく気持ちを固めてしまった(笑)。

そして、迎えたTAEM始動日。2年目を迎えるチームには昨年からの参加者をはじめ、多くの経験や実績を持つランナー、私のようにまだトレイルを始めたたてのランナーなど、様々な背景を持つ方々が集まっていた。

走ったら実力は分かる。その日の練習は、終始しんがりだった。現在地がはっきりと分かった、と同時に心から参加者の方々を尊敬した。自分もあれくらい走れるようになりたい。そこから、猛練習とまではいかないが、可能な限りの努力をしてきた。チームで色んな山々やトレイルに行った。夏は山力が鍛えられた。合宿も楽しかった。冬場は低体温リスクに備えた行動やウェアリングを学んだ。基礎走力も高める努力もした。様々な文献や情報を見て、とはいえ限られた時間でどのように効率的にレベルアップできるかのカスタマイズに試行錯誤してきた。年齢的に指数関数的にはいかないが、一歩一歩ではあるが着実に山を走る力がついてきた。

チームの夏合宿

それを発揮する、検証する場としてレースがある。コンペティションではあるが、自分のレベルでは順位ではない、制限時間と自分との戦いだ。2022年は、7月に2年連続で野沢温泉65Kにチャレンジし、11月にFTR秩父&奥武蔵で初の100km超えのレースにチャレンジした。夏に行った秩父界隈での練習で、アップダウンを延々に繰り返すハードコースに打ちのめされ苦手意識を持っていた山域ではあるが、何とか完走することができた。格別の達成感だった。そこから、100マイルへの展望が開けた。100マイルに挑戦したい。

FTR秩父&奥武蔵 初のウルトラトレイル完走


その前に、貴重な経験をさせてもらった。友人のノリから、BANBI100のサポートとぺーサーを頼まれた。ノリは100マイル初挑戦。おいおい、こんなひよっこの俺に務まるのか??結果、務まった。というか、何とか務めきった。これまでほとんどが選手としてスポーツをしてきた身として、サポートに回るという経験も貴重であったし、とても素晴らしい役割だということを身を持って感じることができた。サポートやペーサーも機会があればどんどんチャレンジしたい。ノリ、あらためてありがとう。

ペーサーで80kmなんてマジビビるww

100マイルのレースに出場するには、基準となるITRAのポイント保持、もしくは100kレースの完走が条件だったりする。安全面を考えると、誰でも参加できる訳にはいかない。2023年、私は50歳を迎える。その節目にどの目標に立ち向かうか(=どのレースに出場するか)に悩んでいた。考えた末に、故郷熊本の象徴である阿蘇を走るASO VOLCANO TRAIL 110Km、そして、15年前から憧れている石川弘樹さんプロデュースのレース、信越五岳トレイルランニングレースで初の100マイルレースへの挑戦を決めた。

ASO VOLCANO TRAILでは、かなりの悪天候の中、悪路と気温の低下、そして股のスキントラブルに悩まされた。幸いにも胃腸トラブルは最低限に抑えられたことから、何とか耐え粘ることができ、完走率30%台という厳しいサバイバルレースを無事に完走することができた。本当に厳しいコンディションを乗り越えたこと、100km超のレースを2度完走できたことは、少しだけ自信になった。

マイルストーンのベルトの汚れが未だに落ちない・・・

その後、余韻がしばらく続いたあと、頭の中は信越五岳で溢れかえってきた。

石川弘樹さんの独自のスタイルや世界観に15年前に憧れて、一時期遠ざかっていたものの、こうしてまた石川さんを意識し、彼がプロデュースする日本を代表するレースの一つに出場できるチャンスを手にできたことは、何という巡り合わせなのだろうか。恐らく、パンデミックがなかったら、パンデミックの中で生活様式が変化しなかったら、トレイルランニングも再び始めていなかったかもしれないし、再び石川さんの存在が大きくなることはなかったかもしれない。

信越に向けての準備が始まった。

2023年に入り、以前の状況への揺り戻りが始まった。ほぼ毎日、出勤するようになり、前年ほど朝と夜に時間を割くことができなくなってきた。次第に、Youtubeよりも、通勤時間を利用してpodcastを聴くことが多くなった。

お気に入りのPodcast2つは、井原知一さんの100miles100timesと、小山田さんと松井さんの絶妙な掛け合いが魅力のエスカレーターに乗るトレイルランナーだ。その2つの番組の中にある、昨年の信越五岳についてのコンテンツは、擦り切れないが擦り切れるほど聴いた。朝と夜、それぞれ50回以上は聴いたと思う。


*レース後、早速、Clubhouseで生収録されたエスカレーターも聴いたし、100m100tでは優勝された小原さんをゲストに招いたコンテンツも聴いた。2つとも最高過ぎる内容だった。ありがとうございます。比較対象にはならないが、トレイルランナーにとっては、VIVANTよりもこの2つのコンテンツの方が価値がある。

Youtubeでは、長尾さんの「ただ走るだけの動画」と、荒川さんの「おやまでかけっこ」の信越回も、擦り切れないが擦り切れるほど視聴した。

特に小山田さんのファンになった。何だろう、石川さんとは違う格好良さがあるんだよなあ。共通するのは、上手く表現できないが、やはり独特のスタイルと世界観にある。ちなみに、トレランをやっている方は既知だが、小山田さんは甲府にある「道がまっすぐ」というトレランショップを営んでいる傍ら、レースや大会プロデュース、コミュニティイベントの企画などをやられている。(ご紹介の表現が適当ではないかもしれませんが・・)

音声コンテンツは、これからもっと来るんだろうな。

RAWな剥き出した感じが、ストレートに沁みてくる。昔の井戸端会議や、縁側で語られたような、コミュニティ共同体の中にいるような感覚が、あらためて心地良い。

信越五岳のレースの話

結果、52.3km地点のアパホテル上越妙高のエイドステーションで、私の最初の100マイルチャレンジは終了した。

胃腸トラブルに改善する兆候が見られず、水も補給食も喉を通らない。関門ギリギリまで悩んだが、それでも前に進むという決断を後押しするには、肌身に脳裏に浴びせられた信越五岳の100マイルの厳しさと現実の壁があまりにも高かった。

完敗、以前の問題だった。色々と紐解いて、原因を考えたが、いやいや全ての項目で全然足りていないよ、俺。本当は、レースの話がもっと長く書けるはずなのに、つらつら書くこともできるのに。全ては空砲に過ぎない。

だが、収穫があった。それは、信越五岳というレースが本当に素晴らしい大会であったことだ。選手ファーストだが、ボランティアファーストでもあり、サポーターファーストでもあり、近隣ファーストでもあり、スポンサーファーストでもあり、何よりトレイルファーストな大会だった。それは、レース中だけではなく、準備段階からの丁寧な情報発信からも分かる。関わる全てが誇りも持てる大会だと感じた。DNFになった自分がこう感じるのだから、途中でリタイアした選手ファーストでもある。(ファーストの使い方は違うと思うが、ニュアンスとして・・)

悔しさは1mmもない、また出たい、次は何とか完走してバックルをもらいたい。この気持ちを直ぐに持てたことは、今年に関してはバックル以上の価値があると思う。

もう一つの収穫は、小山田さんの走りを間近で見ることができたことだ。スタート直後のやや渋滞した区間で、いつも聴かせてもらってますと声を掛けさせて頂いた。一緒に頑張りましょうという声も頂いた。去年の小山田さんのレース展開は、もちろん知っている。今年はどうなのか。序盤は、今年は去年よりももっと抑えて入っているんだなと感じた通り、バンフまでは私の方が先を走っていた。そこから、アパに向かう下りで追い越された。私は、アパでレースが終わった。小山田さんは、そこからどんどん順位を上げていった。ご自身、納得するレースではなかったかもしれないが、私にとってはやれなかったけど、やりたかった走りだった。もっと先に進んで、「関川を走り切る」をやりたかった。

とにかく、石川さんと小山田さんが格好良かった。僭越ながら、目指したい存在だ。

そして、一緒にレースに挑んだTEAM MIURAのメンバーの方々には心から感謝したい。結果はそれぞれであったが、仲間がいることで勇気付けられ、早くレースを終えた後は、速報を見ながら自分ごとのように応援した。

この歳で、この感情を持てるというのは、かけがえのないものだ。

最後に

スポーツにとって、コンペティションという場はとても重要だ。コンペティションが重要なのではなく、コンペティションがあることで生まれるジャーニー、そしてその中で紡がれるストーリーが尊いのだと思う。

さあ、次の旅へ。

本当に最後に。大した実力もないのに、つらつらと書き殴りましたが、あくまでも個人の尺度の話なので、ご容赦ください。また、書ききれなかったストーリーももっとたくさんあります。あんな人やこんな人との話など、またの機会に。機会あるかな?


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