見出し画像

【民俗学漫談】虚構の発生

自分の経験していないことでも、平気で語れます。人は。

人間の脳って、フィクション向きですよね。ファンタジー向きですよね。

ノンフィクションじゃないですよ。

うつろとうつつのスライダー


経験を語るってことは、記憶をもとにしてやるはずの物ですが、その記憶があいまいときてる。

それで、だいたい、虚実ないまぜになります。

虚構と現実の合間、ですよ。

うつろとうつつを行ったり来たりですよ。

要は、パーセンテージですよ。

一方にうつろが、もう一方にうつつがあります。

語りとは、その間のスライダーをどこに持っていくかなんですよ。

仕事はなるべくうつつの方へ。

飲んでるときはうつろの方へ。

こう、スライダーが動くわけです。

ただ、残念ながら、このスライダーは、人によって可動部に幅があるんですよ。

0から100まで、きっちりスライドできる人。ま、社会で立派につとめられる人ですよね。

さらに、世慣れた人と言うのは、スライダーがいくつもあっるんですよ。

イコライザーのように。

周波数によって、調整し分けるんですね。

ただ、たいてい。0から100は無理ですね。

だいたい、10から90くらいまでなんですよ。たいていの人は。

私の場合、うつつの方に50くらいまでしか行きません。うつろは200くらい行きますね。ゲージ振り切ってます。

普通は。普通の人は、仕事で、まじめにやりたい。嘘偽りなく、報告したい。そういう自分を見せたい。と、思って、スライダーを目いっぱいうつつの方に持っていきますと、10くらいのところで引っかかってしまいます。どうしても行かない。

さらに、部長に一言突っ込まれるたびに、スライダーがうつろの方にスライドしていきます。

すべて、受けるか、受けないかですからね。

より言うと、受け入れられるか、受け入れられないかです。

この、受け入れられるか、受け入れられないか、これは、人間が、言葉を獲得した時から始まっているはずなんです。

虚構は、自慢話から始まった

太古の時。

10万年前くらい?

たとえば狩り。そのころは、狩猟採集民しかいませんでしたからね。

狩りに行って獲物をしとめて帰ってくる。

その時に、ただ、黙って食ってるのは、かみさんと、子供だけです。

おやじは、必ず自慢話を始めます。

囲炉裏を囲んだら、必ず、昔話しを始めるでしょ。じいさんが。

決まってるんですよ。人間は。

太古の時から、脳がそういう鍛えられ方をしてるんですよ。

火はすでに使えてます。

獲物をとってきたら、火を囲んで晩餐だ。

ほんの、数時間前でも、昔話です。

おやじは、すでに、昔語りの手法を取り入れて語ります。

ホモ…ホモなんですかね。

ホモ・ルーベンスは、ホイジンガだ。

ホモ・サピエンスになる前ですよ。

ホモ・エレクトゥスとか、ホモ・エルガステルとか、そのあたりです。もしくは、北京原人やジャワ原人とかですかね。

その時代から、昔語りはあったはずです。

それで、おやじ、自慢話を始めます。

ところが、かみさんと、子供は食いつきが悪い。

肉を食うので精いっぱいですからね。おやじの話など食いついてられない。食ったら食ったで、眠たいし。

そこで!

おやじは、虚構を混ぜたんですよ。

最初、びっくりしたと思いますよ。

人間、生まれて初めて嘘をついたときって、相当なフィードバックがあると思いますよ。揺り返しと言うか。

そのへんが、初めての記憶の発生につながるんじゃないかと思っています。

それで、虚構を混ぜたホモ・エレクトゥスのおやじ。

自分で、あっ!と思ったはずです。

何だこれは。と。

これは、隣のおやじから聞いた話だ。

それを自分の話に混ぜ込む。

行けるのか? 行っていいのか? むしろ、言っていいのか? 言葉をこういう風に使えるのか? いってまえ。と。

はい、覚醒の瞬間です。ブレークスルーです。人間の脳がひとまわり大きくなりました。

虚構という目盛に、くっ、と行ったわけですよ。

50パーセントの壁を越えたわけですね。

虚構を混ぜて話したら、これが受けたわけですよ。

かみさんは、片づけの手を止めて聞く。子供はおやじの隣で目を輝かせる。

もう、おやじは、堪(こた)えられない。

期待にドーパミンが発生するわけですよ。聞く方も話す方も。虚構に対してドーパミンが。

こうなると、もう次の世代はホモ・サピエンスです。虚構を使いこなします。

なんなら、ホモ・エルガステルとかが、虚構を使ったことによって、ホモ・サピエンスに進化したくらいのことはないでしょうか。

過去現在未来、さらに、場面を複数設定しての手柄話とかしたら、これはもう、ストーリーの発生ですよ。

その原始的な脳は、今の人間にもあります。

ちょっと奥に。

合目的性を含まぬものこそ美しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?