見出し画像

【民俗学漫談】お稲荷さんはどうして多いのか

東京の通りを歩いていると、小さな朱の鳥居を見かけることがあります。

ビルの間に挟まれているようなものもあれば、公園の一角にひっそりとたたずんでいるものもあります。

画像16

画像9

白い狐の像に赤いのぼり、稲荷社は、江戸の世に流行し、合祀などを経て多く、今に伝わっています。

稲荷社は、おいなりさんと呼ばれることの方が多いですよね。

江戸時代の流行神

祀ってあるのは、稲荷神で、うかのみたま(宇迦御魂・倉稲魂・稲魂などと書く)とも呼ばれ、元は食物をつかさどる神様で、おそらく、稲の霊を神としたものだと思われます。

稲荷神は、稲を象徴する穀霊神、または農耕神でして、いわゆるおきつねさまは、この稲荷神のイメージがありますが、同時に、五穀をつかさどるとされている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と同一視もされています。

古事記では宇迦之御魂神、日本書紀では倉稲魂命と表記されます。

日本書紀は外国向けの文ですから、万葉仮名では意味が通じないんですよ。

それはそれとしまして、稲荷神は記紀神話に登場しません。

そこで、特に明治維新以降、『正式』な神様を祭祀していることをアピールするために宇迦之御魂神と同一視することを誰か頭の良い人が考えたのではないでしょうか。

当時は、経済的な都合によって、小さな祠が『淫祠邪教』という建前で、つぎつぎと減らされてしまいましたから。

そのような稲荷神ですが、江戸時代、江戸は稲荷だらけ、京にはほとんどなく、西国には全くなし、などと言われていたほどで、江戸の屋敷のほとんどに稲荷が祀られていたようです。

これは、新興都市である江戸が発展するにつれ、土地神として稲荷神を祀るようになったためであります。

江戸時代に入り、江戸の町が拡がり、更に商業が発展するにつれ、商業神としての性格があらわれ、信仰が広まりました。

家やお店に祭る神を屋敷神とも言いまして、家の庭に祭られていたりしますが、お稲荷様が多い。

街角のおいなりさんは、新宿や渋谷、池袋あたりではあまり見かけないのですが、かつての内藤家の下屋敷である新宿御苑を越えたあたりから、四谷や麹町、銀座あたりを歩けば朱の鳥居が目に付きます。

新宿から池袋あたりは、江戸の後期になっても、江戸の内と外を分ける境界線上であって、中心からは離れていたんですね。

新宿なども駅を超えた山手線の向こう側は、村の鎮守やお寺の他は、稲荷社よりもお地蔵様が多くあります。

お寺の本尊としての地蔵菩薩というよりも、地蔵堂としてある場合は、もともとは、村の端、村に余計なものが入ってこないようにするための塞(さい)の神・邪霊の侵入を防ぐ神、つまり道祖神(どうそじん)としておかれていたものが、後に様々な伝承がつけられ、お地蔵様になったのではないかと思います。

江戸が大江戸と呼ばれるようになる18世紀になるころには、さらに八百八町へと拡大し、人口も100万人を超えたようです。

江戸の町は、生産をほとんどしない、消費の地でありましたし、そうなると、商業も発展してくると。

さらに、そうなると商業の神様も求めると。

そこでもともとは食物の神、農業の神でありました、稲荷神が、このころから商業の神としての性格を与えられるようになります。

たくさん商って、より店を大きくしたいということで、やれることをやったら神頼み、商売は賭けでもあるわけですから、その不安を解消するためにも、神にすがるという儀式をするわけです。

さらに、ただうちうちに祀るだけではなく、それを世間に広める、うちはこういう神様、稲荷様を信仰していますよ、と。

それで繁盛していますよ、と、商売繁盛の根拠を世間に公表するわけです。

今でいえば、ストーリーづけですよ。

これこれこういう起源があって、うちの店はこのお稲荷様と由緒があって、発展しているのです。

商売繁盛やお家の発展の裏には、祖先が神様に親切にしたり、選ばれたりしたからですよ、というようなストーリーを作って、広告するわけです。

マーケティングの天才ですね。

都市部での流行

江戸の町で流行した神仏はお稲荷様以外にも、お地蔵様や観音様や不動様などありますが、どちらかと言うと、広まったのは、江戸の町の周辺部でした。

江戸の市中では稲荷社と言うわけですが、どうも、稲荷社を祀っているところは、商売が繁盛しているようだ、また武家にしてもお家が安泰のようだ、というような噂が流れ、それならと言うわけで、稲荷社を勘定することが広まっていたったのではないでしょうか。

今でも、羽振りのいい人の持ち物を欲しがったり、行動をまねしたがりますよね。

同じものを持つことによって、その持ち主も同じ境遇になるのではないかという古くからある呪術だと思います。

これを共感呪術と呼んでよいのかはわかりませんが。

武家屋敷や商家のほとんどで稲荷が祀られていたようです。

中沢新一のアースダイバーに、こうあります。

『稲荷神社はたいてい古墳や古い埋葬地のあった場所につくられている』p.155

と言うことは、稲荷社は、もともと土地の神様だったということになります。過程はともかく、後に稲荷社となったと。

もともとは田の神であったり、土地神であった稲荷が、江戸の拡大発展と、平和な時代が続くにつれて、家の発展や商売の繁盛の神として変貌してきたものと思われます。

神社系と寺院系

明治時代ではないので、別に区別する必要もないのですが、稲荷には神社の稲荷社とお寺の稲荷がありまして、お寺の場合は通称であって、正式名は違っています。

有名な三河の豊川稲荷も正式には妙厳寺と称します。

赤坂の豊川稲荷も三河の豊川稲荷を本山とする仏教系ですね。神社ではないので、五時くらいで門が閉まります。

画像1

画像2

神社の場合には『稲荷神社』と称していますね。地名が入ったりしますが。

また、向島の三囲(みめぐり)神社のように、社名に稲荷が入っていませんが、御祭神に倉稲魂命をお祀りしている神社も少なからずあります。

ちなみに、東京都神社庁のサイトで『稲荷』を検索すると、57社出てきました。

実際、東京の稲荷社は摂社や登録されていない社、また個人の屋敷内の稲荷社を含めれば、これの数倍どころか、10倍以上ははあるのではないでしょうか。

私が7月下旬から8月上旬にかけて歩いて参った稲荷社だけでも100社は超えましたし。

稲荷社と言えば、京都の伏見稲荷なわけですが、江戸からの稲荷社は必ずしも伏見稲荷から勧請されたものではないようで、もともとは田の神であったところが後に稲荷を名乗るようになったところも多いらしいです。

屋敷神としての稲荷も伏見からの勧請も多いのでしょうが、江戸の稲荷社からの分霊となればまた違ってきます。

そうして、伏見にならって、朱の鳥居に赤の地に白い文字を染め抜いた『正一位稲荷大明神』ののぼりを立てれば、区別はつかなくなります。

おいなりさまとおきつねさま

稲荷神社の御祭神は倉稲魂命という、食物の神、また稲の神ですが、稲荷社にお参りして、倉稲魂命にお参りをしていると意識している人はどれほどいるのでしょうか。

もとより、神社に参拝する際に、御祭神を意識して参拝する人は少ないようです。

明治神宮に詣でて明治天皇に、東京大神宮に詣でて天照大神に、日枝神社に詣でて大山咋神(おおやまくいのかみ)に、と意識している人はどれほどいるのでしょうか。

これは全国的にも同じであろうと思います。

むしろ、縁結びの神様であったり、商売繁盛の神様であったり、御利益を先に立てたお参りをしているのではないでしょうか。

まあ、もとより、神に人間が名前を付ける方がどうかしているですから、間違ってはいません。

稲荷社の場合は、『おいなりさんにお参りをする』という感じですね。

ところで、稲荷社には狛犬ではなく、狐を立てているところが多いですね。

画像8

狐は珠か鍵、または巻物や稲穂をくわえているものもあるようです。

画像7

画像9

珠は財宝、鍵はそれを守るもの、巻物は知恵の象徴でしょう。

また、狛犬と同じく、口には何も加えずに、阿吽(あうん)の形をしてい者もあります。

こちらは、下谷の織姫神社の狐でして、造形が少しダイナミックですが、狛犬と同じような口の形です。

画像5


画像6

稲荷社の祭神は倉稲魂命ですが、別に狐でもなければ狐の姿を取るということもありません。

狐は倉稲魂命の神使いなのです。

神使いとは神の先払い、神が下りてくる際に、先導を務めます。

ミサキとも称します。

例えば、熊野権現の神使いは烏ですし、日枝大社の神使いは猿です。春日大社は鹿ですね。たくさんいます。

ただ、烏も猿も鹿もあくまで神使いであって、神そのものとして考える人はあまりいません。

ただ、稲荷社はどうでしょうか。

お稲荷さんと言う言葉には、狐、より正確に言えば、『おきつねさま』とのイメージがかなり重なっている気がします。

稲荷社に、しばしば油揚げが供えてあるのがその表れでしょう。

これはどうしたことでしょうか。

他の動物でおきつねさまに相当するような、妖怪と言うよりも神様に近いような言い方はない気がします。

私が知らないだけかもしれませんが。

現実の狐の習性として、春になって山から里へ下りてきて、秋が過ぎるころ、また山へと帰ってゆく。

この姿が、稲の霊が春に里へ下りてきて、秋に実らせ、また山へ帰ると同時に、田んぼは次の春まで何もないという信仰と重なった。

また狐と言うものは、人里に下りてきて田んぼの周りをうろうろするくせに、人を見ると、じっと遠くから見つめて、猫のようになつくわけでもなければ逃げるわけでもない、そういう人から見れば不思議な習性も、どこかほかの動物とは違って、なにか霊力を持つものと信じられたのではないか。

それに狐は塚に巣をつくったりします。

あの世への境に居ついているわけですから、これはもうこの世の存在とは違う何かを感じさせる。

さらには動物としては優美な姿をしている。

それらが狐に関する伝承を生み出し、また、田の神としての稲荷社と重なって来たのではないでしょうか。

狐つきなんてのもありますし、特別な能力を持った人間は狐から生まれたなんて言う伝承もあります。安倍清明とか葛の葉という名の狐から生まれたことにされていますよね。江戸時代に。

半分は恐れられるのも、日本の神の特性ですから。

狐はその特性を担ったということでしょう。



参考

アースダイバー 中沢新一 2005年

お稲荷様って、神様?仏様? 支倉清, 伊藤時彦 2010年

日本宗教美術史 島田裕巳 2009年


以下、東京の稲荷社の多そうな場所をめぐった模様です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?