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ここのセルフケア

心がつらいとき、どうしたらいいのかわからなくなります。

その対策をここでは国立精神・神経医療研究センターの資料をもとにまとめてみたいと思います。


感情調整の方法

私たちの感情体験は、心だけでなく、「身体」、「思考」、「行動」の3つを通して感情が表現されます。

  • 身体チャンネル:あなたが体で感じること

  • 思考チャンネル:あなたが自分自身に言っていること

  • 行動チャンネル:苦痛に対してあなたが実際にすること

不安が昂じるとどうなるでしょうか。

  • 身体チャンネル:呼吸が速くなる、 心拍数が上がる、 汗をかく、 震える

  • 思考チャンネル:「どうしたらいいか分からない」「何もできない」「悲しい」

  • 行動チャンネル:過食する、 気を紛らわす

ここから、少しずつでも感情のシフトを行いましょう。

  • 身体チャンネル:集中呼吸法、セルフケア健康計画(食事、睡眠、運動など)、 五感を使ってリラックス、ヨガ、ストレッチ

  • 思考チャンネル:注意のシフト、前向きなイメージ、前向きなセルフステイトメント

  • 行動チャンネル:休憩する、のんびりする、タイムアウト、 代わりの行動、助け/サポートを求める、楽しめる活動を増やす

五感を使ってリラックス

  • 樹木や植物を眺める(視覚)

  • リラックスする音楽をきく(聴覚)

  • アロマの匂いをかぐ(嗅覚)

  • マッサージや動物に触れる(触覚)

  • 好きな飲み物をじっくり味わう(味覚)

五感を使ってリラックスをすると、一つの感覚に集中することでつらさを和らげることができます。

  • 視覚 - 部屋に花を置く、バレエやダンスを見に行ったり、自然風景を見に行く。本の中の絵画を見る。綺麗に爪を整えるなど。

  • 聴覚 - 美しい和む音楽またはエキサイティングな音楽を聴く、自然の音に注意を向ける、お気に入りの歌を歌うなど。

  • 臭覚 - 香水をつける、アロマキャンドルを灯す、森林浴をするなど。

  • 味覚 - 身体に良い食事をとる、一つの食べ物をよく味わいながら食べる。ハーブティーやホットチョコレートのような緩和作用のある飲み物を飲む。

  • 触覚 - ジェットバスに入る。ペットと充実した時間を過ごす。心地よい椅子に座る。シルクのシャツを着るなど。

注意のシフト

  • 掃除をする

  • 友人に電話をする

  • 遊びの計画を立てる

  • 過去の楽しい出来事を思い出す

  • 前向きなイメージ(現実でも空想でも良い)をできるだけ場所や風景や言葉などできるだけ鮮明に思い浮かべる

視点を高くしてみましょう

人の心は、どうしてもネガティブなもの、意見に意識を奪われがちになってしまいます。
つらいときは、少し高い位置に意識を上げてから自分を取り巻く状況を見てみましょう。

前向きなセルフステートメント(自分にかける言葉)

  • 「何もできない」→「私は自分にできることをやっている」

  • 「どうしたらいいのかわからない」→「自分はできることだけをしていればいい」、「できることだけしていればいい」、「何もしなくていい」

  • 「どうしてもやらないといけない」→「肩の力を抜こう」

不安を和らげ安心できる言葉を繰り返し、言い聞かせるのです。
自分に対して批判的な時には、前向きな反応を考え、否定的な言葉や自責の念に対抗しましょう。

タイムアウト
タイムアウトとは、反応する前に苦痛を軽減できるよう、ストレスの強いまたは困難な状況から一定の時間離れることです。
つらいこと、混乱、考えることばかりでまとまらない、という様なときは、一時その場から離れて、公園や喫茶店で休みましょう。

代わりの行動

過食や飲酒、刺激的な遊び、ネット依存などの行動から、他に気晴らしになる、楽しいまたは中立的な行動に置き換えてみましょう。
読書、掃除、ジョギング、体操、料理、ペットと遊ぶ、手を使って何かをする、作るなどです。
読書は、電子書籍ではなく、紙の本が良いと思います。物質感が重要なのです。

カフェインを控える

カフェインを摂取すると交感神経を刺激するため、不安や緊張している時と同様の体の状態になります。

ネットのニュースやSNSを見ない

ニュース番組やインターネット上には様々な憶測や不安を煽るような情報で溢れています。
また、SNSには、悪意のある投稿が少なくありません。
必要もなくニュースやSNSを見ると、不安な気持ちや焦りにつながります。
ニュースやSNSは、例えば朝の1時間だけなどと、時間を区切ってみましょう。

マインドフルネス瞑想

つらい記憶や考えから離れるために、マインドフルネス瞑想をしてみましょう。
今、この瞬間自分の「考え・感情・からだ」に気づきを向けてみる方法です。

  1. 座った状態で目を閉じ、呼吸に意識を集中 します。

  2. 途中で様々な考えが浮かんできたら 、その考えに気づき、また呼吸に意識を戻します。

これを毎日15分から25分間繰り返します。

ポイントは、評価判断せずに気づきを向けるだけにします。
否定的な考えが浮かんでも、「こんなとを考えてはいけない」などと、自分の判断を言葉にするのではなく、浮かんだ考えをそのままにしておきましょう。

呼吸法

まずは、楽に椅子座り、両足が床についてるようにします。

  1. 軽く息を吸います。

  2. 6秒間かけてゆっくりと吐きます。身体の力を抜きます。

  3. 3秒間息を止めます。

  4. 力を抜きます。

このセットを10分間繰り返します

呼吸法や体操の動画はこちらで参照できます。

http://www.pe-jp.org/other/files/10.mp4

http://www.pe-jp.org/other/files/11.mp4

呼吸法は、吸うことよりも、吐くことを意識しましょう。
息を吸い過ぎると不安になるそうです。

ヨガに関しては、チベット体操がおすすめです。
また日本的ヨガとして自彊術(じきょうじゅつ)もおすすめです。

ストレス管理は多くあります。
自分に合ったものを選び活用してゆきましょう。


不安を抱えている方とのコミュニケーション

第一の役割は、相談者の希望を維持し、強化することにあります。話に丁寧に耳を傾け、その症状や生活状況に対する正確かつ共感的な理解を示すことで、相談者は、変化が可能だと信じることができるようになります。
また、目標達成のための計画を提案し、その目標に向けて協同で取り組んで行くことを確認しましょう。

相談者がトラウマ体験やそれに伴う感情を語る際、治療者は丁寧に耳を傾け、温かく受け止めていく。
同時に、ありのままを肯定し自己肯定感を育むとともに、自身の中に存在する価値や強みを見出し、自尊心の回復をサポートしていく。自らを犠牲者ではなく、新しい資源、新しい選択肢、新しい考え方を持った人間だと感じられるようにサポートしましょう。

すべきこと、言うべきこと

  • 気が散らないように、できるだけ静かな場所を見つけて話しましょう。

  • プライバシーを尊重し、相手の秘密を守りましょう(やむを得ない場合を除く)。

  • 相手の近くで寄り添いましょう。ただし年齢、性別、文化に応じて適切な距離を保ちましょう。

  • 話を聞いていることが相手に伝わるように、うなずいたり相づちを打つようにしましょう。

  • 忍耐強く冷静でいましょう。

  • 本人の話に共感的に耳を傾けたりしながら、温かく寄り添ってサポートしてゆくことが大切です。

  • 居場所は時に個別の人間関係よりも重要になります。居場所の大切さをともに考えましょう。

  • もし事実についての情報があるなら、相手に伝えてください。情報は簡潔に伝えましょう。知っていること、知らないことを正直に話しましょう。

  • 相手の気持ち、話しに出たあらゆるストレスや重大な出来事をしっかりと受け止めましょう。

  • 相手の強さと、これまでどのようにしてつらさを乗り越えてきたのかを理解し、認めましょう。

  • 沈黙を受け入れるようにしましょう。急かしてはいけません。

  • 寄り添うように、存在を肯定し、行動や考えを認め、見捨てられることはないという希望を与えましょう。

言うべきでないこと、すべきでないこと

  • 無理に話しをさせてはなりません。

  • 相手の話をさえぎったり、急がせてはなりません(たとえば腕時計を見たり、早口でしゃべるなど)。

  • その人がしたことやしなかったこと、あるいは感じていることについて、価値判断をしてはなりません。

  • 自分が知らないことをごまかして、作り話をしてはなりません。

  • できない約束や、うわべだけの気休めを言ってはなりません。

  • 相手の問題を全部解決しなければならないかのように考えたり、行動してはなりません。

  • 自分のことは自分で出来るという強さや自尊心を弱めてはなりません。

  • 相手の考え方や行動を一方的に否定する言葉で話してはなりません。

  • 励ましたり叱ったりすることは、「このままではいけない」という圧力を暗に伝えることになるため、自己肯定感を失わせ気分を落ち込ませてしまう可能性があります。

  • 「常に」「すべて」「決して~でない」などの断定的な言葉は却って不安を与える場合もあります。

問題に対処できるように手助けする

  • 友人や家族など、生活のなかで助けになっている人や力になってくれる人の存在に気づけるように手助けする。

  • その人のニーズを満たせるような実際的な助言をする(たとえば支援を受け取るための申し込み方法を説明する)。

  • これまで困難に対してどのように対処していたかを考えてもらい、自分には現在の状況を乗り越える能力があることを確認する。

  • どんなことをすると気分が楽になるかを尋ねる。

  • 個人を取り巻く「環境」は心理に大きな影響を与えるため、所属する環境を変えられるよう支援する。

  • ストレスを与える対人関係を改善したり、支援者がより良い環境を作ったりすることを通して、本人が肯定され安心できる環境を整備する環境調整する。

  • マイナス化思考を持つ相手は、辛抱強く、正確に真摯に反証してゆく。

前向きな対処を勧める

  • 休息を十分にとる。本人が休養できる環境を作ってあげる。鬱病は脳のエネルギー欠乏によるものですから、使いすぎてしまった脳をしっかり休ませることが大事です。

  • できるだけ規則的に食事や水分をとる。

  • 家族や友人と語り、一緒に過ごす。

  • 抱えている問題を信頼できる人と話し合う。

  • リラックスできることをする。(歩く、歌う、祈る、ペットと遊ぶ)

  • 体を動かす。

  • 地域の活動に参加できる安全な方法を見つける。

  • 認知のゆがみを把握した後、相手自身を否定せず、認知そのものを扱い、新たな考え方を提示し、新たな認知を身につけられるようサポートする。

  • 人の感情は出来事を「どのように解釈するか」と言うことが認知です。
    自分に価値を見いだせないなどの悲観的な思考は、認知のゆがみから生じるのです。中庸(ちゅうよう)、もしくは多角的な視点で物事を見られるようにしてみましょう。

悪影響の可能性がある対処方法を避けるように助言する

  • 医療者の指示を受けないで薬物を使用したり、過度な喫煙、飲酒をしない。

  • 一日中寝てばかりいない。

  • 休憩やリラックスする時間を作らないままで、ずっと働き続けない。

  • 友人や大切な人から遠ざからない。

  • 最低限、不潔な生活をしない。

  • 暴力を振るわない。

ネットから離れることは現代の特権

ネットニュースやSNSで、悲観的なニュースを見続けて、自信も悲観的になることを心理学者の間で『ドゥームスクローリング(doomscrolling)』と呼んでいるそうです。
doomは、元々、キリスト教の最後の審判の意味で、そこから『破滅』と言って意味になりました。

大手検索エンジンやSNSは、商売ですから、より多くの人々に見てもらうことが第一の目的で、より多くの人々の心を平穏なものにするために運営しているわけではありません。

人の脳の弱点を突いてくるようなビジネスモデルをしているわけですから、見れば見るほど、もしくは、一度開けば、いくつものコンテンツを見たくなるような仕組みにしているわけです。

特に、人々の感情を揺さぶりやすいような、悲観的なものや攻撃的なコンテンツや投稿をためらいもなく検索結果に出したり、フィードに上げてくるようにしているのです。

そうしたコンテンツを見ると、脳は、ちょっとしたストレスを感じます。
そのストレスを紛らわせるために、更にまた別のコンテンツを見たくなるわけで、検索エンジンもSNSも、そうした人間の心理を付いてくるように、何の努力もなくタップをするだけで、さらなる刺激的で、しかし内容のないコンテンツ、人々の生活になんら利益を与えないようなコンテンツを示してきます。

常に、『アップデート』と称して、その実、利用者の時間や心までも支配し、自分たちに依存するように機能を変え続けているのです。

世界的なテック企業も、やっていることは週刊誌と同じというわけです。

大衆週刊誌の下種な見出しには眉をひそめて、手に取らないのに、大手検索エンジンの結果やSNSを見続けるのは、それが『公正』の殻を被っているかのように見えるからにすぎません。

そこに、自分のストレスや人生の答えがあるかのように、擬態をしているからにすぎません。

悪いのは、ネットやSNSに依存してしまう自分ではないのです。
そうした人間の脳の弱点を突いてくる商売をしながら社会的責任を果たさないテック企業が悪いのですから、自分を責めてはいけません。

人間の脳は、良いニュースよりも、悲観的なものに対する興味を抱く傾向があります。
この傾向が、テック企業のビジネスモデルに利用されることで、『ドゥームスクローリング(doomscrolling)』が起きてしまう、自分を苦しめるとわかっていながら、スクロールし続けてしまう行為につながってしまうのです。

テレビなどでも、毒舌を売りにしている『芸能人』を見ていると、心が痛みます。

人間の脳の原始的な部分においては、自他の区別がないと言われています。
他人の悪口を聞いていたとしても、自分の心の奥ではつらい感情が揺曳(ようえい)しているのです。

正解探し

ネットを見てしまうのは、そこに、自分の利益になるものがありそうだという心理があるからです。

『FOMO(fear of missing out)』という症状があり、情報を『見逃すことのの恐怖』から、見ないと、あたかも損をするのではないかという不安に駆られてしまうのです。

常に中腰で、『正解』探しを続けるから並べてしまう。でも、それは大抵『効率』探しであって、『正解』ではないのです。

一般的な価値観は輝いて見えますが、人さまざまでして、手に入れてしまえば、鉛にしかならないことも少なくありません。それを金箔で塗って、世間体と称していることはないでしようか。

その糊塗した価値を見抜かれないように、自分は間違っていない、何かしたら褒めてもらいたい、もしくは見下したりしないと済まないのではないでしょうか。

ネットによりたやすく努力もなしに、情報は入るようになりました。
しかし、それでけに、自分が世の中の情報、他の人々が得ている情報を得ていないのではないかという不安も生じるようになってきました。

以前、『売れるものの集中』というコラムを書いたのですが、昨今の一つの売れるものやイベントに集中してしまう現象は、宣伝技術が上がったわけではなく、ネットで、『自分が情報を得られていないのではないか』という不安に常に追われ、『得られるのに、得ないと損なのではないか』という焦りを抱きやすい脳の弱点が克服されないまま来ているからではないでしょうか。

ところが、ネットにあるものは、悲観的なもののほか、コンプレックスを刺激して揺さぶるようなものも多くあります。

そこでは、自分の希望になるような対象ではなく、人と自分を比べて、羽振りの良い人を見ているわけですから、自然と、自分の『できなさ加減』に厭になってしまいます。

悲観的なコンテンツの他に、コンプレックスからくるような悲観的な嘆きと、二重に、人々を落ち込まさせるような情報がそこには用意されているのです。

悲観的なものを見たり聞いたりすると、脳は、不安や鬱の症状を呈し、フラッシュバックさえ引き起こしてきます。
一度鬱病などの病気にかかったことのある人であれば、なおさら反応しやすく、悪化する危険があります。

ますます、悲観的になり、それが自分の人生全体の可能性にまで広げてしまいかねません。

状況を言語に置き換えながら思考するという行為は、物を考えているようですが、単に感想を言っているだけに過ぎない、大抵は、嘆いている行為になってしまいがちです。
現在の状況も過去の記憶もどうにかしてまでも、言語に置き換えて、記憶してしまう。
過去の記憶は、それに貼り付けた言語によって呼び起され、その度に新たな言語で再編集されてゆく。
感情は、記憶その物に加え、付加された言語によって、揺り動かされ、その不安定な状態を抜け出そうとして、過去の穴埋めの行動に走る。
過去の記憶が、ふとした時によみがえり、人間は、論理的、合理的、客観的に考えようとしながら、容易く、嫉妬や怒り、貪欲などの感情に呑み込まれてしまう。
感情の持って行き所が無かったり、自信を無くした状態であれば、その矛先を自分に向けて、いわゆる鬱になってゆく。

言語化とは、一般化しがちになります。

経験や根拠が不十分なまま早まった一般化を下すのはマイナス思考に陥りがちです。 一つの事例や、単一の証拠を元に、非常に幅広く一般化した結論を下すして、たった一回の問題発生だけで、その問題は何度も繰り返すと結論付けてしまうのです。

鬱状態で、自分の納得のいくように振り返るのは、危うい行為でもあります。

人に言われた些細なことをいつまでも苦しむこともあります。
『一等怖ろしいのは人間の言葉の魔力である。証拠らしい証拠がなくても、耳に注がれる言葉の毒は、たちまち全身に廻つてしまふ』

記憶を言葉に置き換えるのは危うい行為です。
とくに記憶をネガティブな言葉に置き換える作業は止めましょう。

レッテル張りから離れる

インターネットでは、『レッテル張り』が横行しています。

レッテル張りと言うのは、個別の事象をありのまま見ずに、その人の人物像やそれまでの行動に帰属させて、ネガティブなレッテルを張ることで、間違った認知により誤った人物像を創作してしまうことであり、これは自分、他人を問わない行為なのです。

ある出来事、事象を言葉で説明するときに、強力な説明手段となりうる危険な行為なのです。

自分で自分にネガティブなレッテル張りをしてはいけません。
また、他人がしてきたら、それは、その人物が事象を正しく見ることができずに、レッテル張りをすることで、自分の説明や理解する能力の欠損を補おうとしている行為に過ぎないと、考えましょう。

レッテル張りをするのは、コンプレックスに苛まれた人間がその苦しみから逃れるための卑怯でたやすい手段にすぎません。

焦ってはいけません。
焦って何かを得る必要もありませんし、焦って、過去はもちろん、現在の情況を判断する必要もありません。

自分に対して、まして人生に成績をつける必要なんてないのです。

人が自信を失うのは、人間は誰でも同じ環境の中で成長してきたと思うからです。
その前提で他人と自分を比較して自信を失うわけですが、人間は同じ環境に生れついたわけではありませんから、前提や環境が違うものの結果を比べるのは、科学的見地からも間違えなのです。

焦る事は何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立ちません。
自分の過去にはその時の徳と抑制があるのです。後悔はそれを忘れて、現在の不服の持っていきどころがわからずに、過去のせいにしようとしているのです。
過去の自分の意志を尊重し、他人と自分を比べず、自分を責めずに自分を丁寧に見てあげましょう。

心が乱れているときや自虐的な気分の時に、人は、余計に悲観的なニュースを見る傾向があります。
不安により、感覚を鈍くさせたかったり、不安をより強い刺激で上書きしようとする傾向があるのです。

この状態は、脳の認知能力に悪影響を及ぼします。

正常な判断や、自分に対する希望や可能性を適度に考えられなくなります。

悪口やからかいを見たり、自分も書き込んだりすると、人はそれに引っ張られてしまい、批判的になったり、暴力的になったりします。

自分にも、できれば人にも優しい言葉をかけてあげましょう。
背伸びして、面白い事やうまいことを言う必要も、批判をする必要もないのです。

SNSもネットニュースもなるべく見ないことです。
そこにあるものは、ほとんどが自分とは生涯関わることのない他者にすぎません。
そのような人々の宣伝を見る必要もないですし、そうした宣伝を『情報』であるかのように擬態して、商売を成り立たせているテック企業のビジネスモデルにに自分の脳を合わせる必要はないのです。

『飛行機の搭乗時にファーストクラスを通ったエコノミーの客は、暴力的になる』と言う研究結果もあります。
他人の羽振りの良さなども、目標でもない限りは見ない方が良いのです。

必要な情報は、必要に時だけネットを見れば得られます。
必要な手続きは、自治体が郵送で知らせてくれます。

ネットを見て、悲観的な気分に陥った時、自分に立ち返りましょう。

繊細で感受性が強い人は、あまり、世間を見ない方がよいのです。欲張らなければ、見なくても大したことはないのですから。

比べるから欲しくなる。比べるから、世間的な評価で比べてしまい、自分にどちらがふさわしいのかわからなくなるのです。

世間は『比べてはいけない』と簡単に言うのですが、実際に、並べないことです。並べるから、比べてしまうのです。
スマートフォンに表示するから比べてしまうのです。

比べないためには、どうしても、自分の好きなことを続けるしかないのです。
ストレスのあることや環境では、どうしても、ついつい、ネットに『逃げ』てしまいがちになりますから。

自分は自分です。競争も比較もないのです。

歪んだ認知を変える

鬱の症状は、自動思考と言われています。
自動的にネガティブな思考になってしまうのです。

しかし、フラッシュバックも鬱も『症状』なのです。
風邪を引いた時に咳が出るのと同じことなのです。

辛い自動思考(頭に浮かぶネガティブな思いやイメージ)は、事実ではなく、また、あなた本来の考えでもなければ、あなた自身でももありません。

否定的な考えが浮かんだら、信頼できる人に話して、反証してもらいましょう。
物事の良い側面や明るい部分を見たり、あなたにふさわしい考え方、行動などをともに考えてもらいましょう。

それは、あなたのその時の考えや意見なのですから、それに対して、どう思うかを聞くという軽い気持ちで頼ってみましょう。

習得したい考え方や行動を自分自身に言い聞かせることです。
具体的なイメージとともに言い聞かせることや、実際に考え方や行動に変化が生じたらすぐに自分自身に報酬や賞賛を与えて、考え方や行動の変化への動機づけをさらに高めてみましょう。

鬱病は、過去にとどまりがちです。
現在や過去の失敗ではなく、過去の成功に焦点を当てて、現在の選択をしましょう。

信頼できる優しい人々と関わることで、自分の不完全な部分を理解しつつ、自己機能を模倣し、取り込むことで、自分の心の不均衡を整え、新たな心理構造の構築をして行くことが一つの解決につながります。

思想や思考を取り込むというのではなく、あくまでも、自己機能、どのように自分のことを情況を見ているのかという、そのやり方のことです。

フラッシュバックは、人間の脳を持つ限り、誰でも起きる可能性があります。
決してあなたが『弱い』からではないのです。

あなたは悪くありません。
情況も過去と違って、今は安心できる状況なのです。

過去は、文字通り過ぎ去ったものなのです。

何も悪いところはありません。
これから良くなっていくことに希望を見出しましょう。

過去に躓いたことや理不尽なことがあったとにもかかわらず、ここまで生き抜いてきたのです。それだけで賞賛されるべきことなのです。

悪いのは、躓かせた側であって、あなたではないのですから。

  • 自分を信頼してくれる人と良好な関係を維持する。

  • 希望的な見通しを維持し、良いことを期待し、希望を視覚化する。

  • 心と体をケアし、定期的に運動し、己のニーズと気持ちに注意を払う。

  • 環境の改善社会での良い経験自分に合った職にめぐり合う。

ストレスからは離れましょう

優しく、繊細な人は鬱病になりやすいのです。

あくどい性格の人々は、フラッシュバックも起きず、鬱病になりにくいと言われています。

そうした人々は、ストレスを抱え込まずに、周りを巻き込むことで発散させようとして来るのです。

テレビを見ていればわかるでしょうが、受け手の気持ちを考えないような発言をする方は、鬱病にならないようにさえ見受けられます。

浮気やハラスメントなど、一般に不道徳や非倫理的な行動は、ストレスがあるからしてしまうのです。現状に満足しておらず、こんなはずじゃなかったとの思いを抱えているから、少しでも欲望を叶えることで、しかもわかりやすい一般的な欲望で取り戻そうとしする姿なのです。

一般的に、満たされないのは、自分の苦手なことをしたり、抱えたりしているからであって、したいことをしていないからとか、自分の可能性がないからではないのです。

したいことをしていても、それが、精神疾患だったり、限りのない一般的な欲望によるものであれば、満たされないのです。

認知が歪んでいると、愛も歪みます。
愛情を装いながら、自分の欲望で相手に期待しているに過ぎない、己の自己愛の写しとして自らを飾る道具扱いしているに過ぎないということにもなります。

例えば、SNSで、多くの人が羽振りのよさを見せています。
高級な料理屋で食事をするのも一つの経験ですし、記念にもなるから行くのは構わないのですが、人間の価値を高級な物を食べたり買ったりという消費活動で計るしかなくなっている精神状態なのかもしれません。

SNSを見ていますと、信頼と依存の区別がついていないように見受けられることもあります。

信頼とは、つらい時でも大切にしてくれると信じられるから、安心して自分を大切にしていられる関係で、依存とは、ずっと一緒にいないと安心できないから、自分を見ずに相手の行動ばかり気に掛けてしまう関係と言えましょう。

信頼は自信や希望につながりますが、依存はその逆なのです。

依存症と言うのは、相手の行為を得ることのみに執着し、その他の社会的関係や義務を放棄してしまうから危険なのです。

人生は、試行錯誤ともいえます。
時に反省も必要な場合もありますが、失敗したのは決してあなたのせいではなく、めぐりあわせによるところもあったのですから、自分を責めてはいけません。

過去に縛られないようにしまょう。

過去の情況と違って、今の状況は、安心できる状況なのですから、安心して、自分のことをしてゆきましょう。

物事を公平か否か、正しいか否か、すべきか否かで考えず、自分の好きなことは何かを考えてみましょう。

誠実さや公正さは、自尊心を保つ秘訣でもあります。
適度な自尊心があれば、むやみに謝ったり、自分の価値を下げる様な思考や行動もしなくなります。

心が弱っているときは、極力、優しい人と接しましょう。

自分の小さな可能性を大切にする

結局は、人生は何のためなのかという疑問に対しては、自分の好きなことをするのが人生だと思います。

一般的な欲望を真似して、それを人生の目標にしてしまったり、精神疾患から生じる様な欲望を追い続けたりするのではなく、自分なりに、自分の好きなことをし続けるのが人生だと思うのです。

『できるから』、『得られるから』と言って、自分の適性を顧みずにし続けると、どうしたらいいのかわからなくなってしまいます。
生涯、順調ならよいのですが、『できること』をし続けるうちに、その『できること』しかできなくなって、自分の好きなことができなくなってしまうこともあります。

自分の好きなことを見出し、衣食住、仕事、必要なものを手に入れて、それを守り、好きなことを続けましょう。

自尊心は過大に抱くものではありませんが、適度な自尊心は必要です。

自分が何を望んでいるのか、自分を認めること、自己表現や自己主張を学ぶことは、自尊心を保つために重要なことになります。

よく、『できない自分』を認めましょう、と言われますが、これも難しければ、自分の出来ない部分は気に掛けないことです。

他人が指摘しているのは、その人のコンプレックスによって抱いた幻想をあげつらっているにすぎないのですから、自分でわざわざ気にしなくてもよいのです。

「私」を主語にすること「私」を主語にして述べると、自分の立場における感情や希望を、他人への評価を表明したり、他人への感情を責めたりすることなく、伝えることができます。

自分で何が自分にふさわしいのが選択してみましょう。
自分で選べたという感覚が、自分の可能性を実現しようとする意志が、生き方を快方に向かわせ、自尊心が育まれてゆきます。

懸命に生きることと、完璧な人生を歩むということは違うのです。

自分の心を悪いものとみてはいけません。

あなたは今迄よくやってきたのです。
情況を良くしようと、その時々でベストと思える判断をしてきたのです。
あなたに非はありません。
気を楽に持ちましょう。

自分はどのような人生を歩みたいのか。
どのような自分でありたいのか。
そのためにできそうな小さな可能性は、自分や身の回りのどこにあるのか。

自分の小さな可能性を大切に、日々をこなしていきましょう。

人の目は気にしなくてもいいのです。
誰も人の行為を延々と気にする人なんていませんから。
あれも一時、これも一時なのです。

自分だけがずっと続くのです。

一般的な欲望も、他人の情念も一時のもので、手に入れたとしても、幸せになれるとは限らないのです。

自分に向いている生活をする、人生とはただそれだけのことなのです。
向いている仕事、見合った生活、優しい人間関係、ただそれだけで必要十分なのです。

今の自分に自信かないからといって、その欠けている部分を取り戻そうとして、役に立ちたいと思っているのなら、それは、ひとまず置いておきましょう。

周りの人々が期待すること、それは、好きなことをして、自分を大切にしている姿を見ること、それだけなのです。

信頼できる人には、甘えてみましょう。
自信がない時に、つらいことによって、ストレスを抑圧して封じ込めると、現実を正しく見ることが難しくなります。
内罰的な思い込みは、あなた本来のものではありませんから、遠慮なく甘えてみましょう。
内的価値は自分の存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚によって成立するのです。

自分の内的なものに価値を見いだせない病理的自尊心に支配されると、今のネット社会のようにわかりやいすい外的価値を求めずには済まなくなります。
外的価値は結果でしかありませんから、今のネット社会では、過程は顧みられず、皆、結果(お金や出世、学歴など)を求めてしまうのです。

過程を顧みられないということは、ともに目標に向かうという様な意気投合することが少なくなるということです。

そうした人生は、『得た』か、『得ない』かの極端な二分法的思考による結果主義は勝ち負けの世界を用意し、必然的に嫉妬と羨望を呼び起こします。等身大の自分を持ち合わせていない人間は、優越している自分は他者を見下す対象にし、できない自分は見下される対象になり、対等の人間関係をつくることが困難になります。

自分と言うのは、『できる』、『できない』でもなく、『良い』、『悪い』でもないのです。
人間というものは、できる時もあるし、できない時もある、良い時もあるし、そうでない時もある、それが人間というものなのです。

人生は何の結論も出なかった。
しかし、結論何て出なくていいのです。
生き方なんて決め込まない方が健全と言うこともわかる時が来るでしょう。

何をしても半端だと嘆く必要はありません。
何かを成し遂げたら、それに飲まれるということも多々あるものです。

できることをその時々の意志で行ってきたのですから、今のあなたこそが、個性を持った一人の人間なのです。

信頼できる人に、手を伸ばして見ましょう。
必ず握り返してくれますから。

あなたはよくやってきました。
少しだけでも、自分本位に立ち返りましょう。

願いは意外と叶ってしまいます。
願い事は、素直に、明るく、自然に、遠慮なく願えばいいのです。
楽しそうなことを願いましょう。


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