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小説

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#小説

楽しい話

昔話みたいな雰囲気だけど現代のはなしっていうところがめずらしいかもしれないね。 おれれはたのしく読んだ。  馬と羊と牛とヤギと鳥が近くにいる。牛と羊はいつも違う場所で放牧されている。牛は日本の牛と違ってふつうの目をしている。 こっちはもう夏みたいになってきた。夜8時過ぎてもまだずっと明るいに。 ドイツの冬と春夏はぜんぜんちがうんだ。冬は一面茶色で枯れ草だったのに、今はきれいな緑で草の背丈ぐんぐんのびてきた。 今日は祝日だに。祝日はだいたいキリスト教にちなんだものなんだ。先週

【小説】グラビア編集のABC【148枚】

一 「セーラー服に大人の下着を着けるからエロいんだろう」 息巻いて言ったのは、白のポロシャツもはじけんばかり、巨躯の副編集長、塩田さんである。 「初めて聞く説ですが、白とか縞とか、そういうのがマッチするんじゃないんですか」聞いたのは、二十歳の学生アルバイトの谷崎くんである。 「違う。逆に、エロいかっこうで下着が白だから、エロティックな錯乱が混沌を生み、リビドーが発生するわけよ」 「クロスさせるわけですか」 「そう。コントラストというものがリビドーをかきたてるんだ。なあ、川崎さ

【小説】コミック編集部。【128枚】

一 『お仕事は、なにをなさっているんですか?』との質問から始まる会話の流れは、人それぞれに決まったパターンができているものだろう。  教員や公務員や税理士などと答えれば、一言で説明できるうえに社会的な地位も示せるだろうし、サラリーマンや職人にしても、『自動車の営業です』と答えたり、『料理屋で板前をしています』と答えたりすれば済むのだろう。  自分の場合は、『漫画の編集者をしています』との答から始まることになる。  国勢調査ならばそこで済むのであるが、『どんな漫画なんですか』

【小説】就職運動酩酊(めいてい)記【188枚】

初出:早稲田文学2015年春号  一 『大衆料金』と書かれた床屋の看板が足元を転がり抜ける。  雑木林に雨粒が卍巴(まんじともえ)と舞って、横からも下からも吹いてくる。風に逆らうだけの傘などとっくに捨てた。  たどり着いた家には『塩焼』と書かれた木札が、黒い油塗りの玄関扉に釘付けにしてある。札はかまぼこ板の転用に見える。  扉の脇に取りつけられた呼び鈴を鳴らした。  脇には竿が立つ。先に箱が添えてあるが、丸い穴が空いているところを見ると郵便箱ではなく、巣箱だろう。  開い

【小説】不二山頂滞在記【54枚】

一 「パ―ト募集 巫女 十八~二十一才迄」  平衡(へいこう)を失した筆蹟の求人広告が神社の鳥居に貼られていた。それに目を止めたおれはしぜんと、その上に張られていたチラシにも目を向けた。 「不二山登頂者募集 急募 日給五千円」  なんだろう。これ。  詳細は社務所までというので、のこのこ行ってみると、境内は昼間三十九度あったとは思えないほど涼しい。五百円とか千円とかいった値段のついたお守り見本の向うにジャージ姿の男がいた。  話しかける前にその男がこう勧誘してきた。 「そこ

【小説】ブラボー親爺【12枚】

『徒久多゛煮』と太く勘亭流で書かれた行燈が軒先にかかる。木枠のガラスケースには佃煮が並ぶ。佃煮に挿してある薄板には価とともに、『あさり』や『うなぎ』と書かれてある。くつがえった札が二枚ある。  店の奥、上がった六畳間にはちゃぶ台を差し挟んで親爺二人が相対す。  手近にラジカセを置いてある。ベートーヴェンの交響曲第九番の結びの部分が流れる。 「せーの」と、ブラボー親爺がラジカセに耳を傾ける。  第九が歌い上げられた。 「ブラボー!」と親爺二人の声が立つ。 「うん、早

【小説】蛸親爺(たこおやじ)【168枚】

その一居酒屋の前の往来、路のまんなかで蛸が酔っている。 「たーこたーこ、たーこたーこ」と地面を手で叩いて拍子をつけながら、 蛸が声高に唄う。 花風の吹く夕、往来に面して油染みた暖簾を出す居酒屋の、店先にはビールケースが積まれ、立て看板、一升壜、牡蠣殻が並ぶ。朱塗りの行燈の明りの先に、蛸が八本ある足をだらりと伸ばし、腹を兼ねた頭を横様に倒しながら、墨吐き口を突き出して唄っている。 唄う合間に、「ういーっ」と一つ吐く。また唄う。それを繰り返す。行き交う人々は、『あれは何だ』とい

水仙花の夜

座敷から座敷へ行くうちに皆の着物が黒い事に気がついた  天井からぶら下がった電球が畳上に茶箪笥の影を落としている。 太い柱にぶら下がる時計の振り子の影が右に左に揺れて 畳の上を行ったり来たりしている 座敷を先にまた座敷があった  畳の上に硝子の瓶に入った水仙花が水に沈んでいる 隣座敷で時計が鳴り始めた 眼を上げた 水仙花の入った硝子瓶は座敷一杯にあった これを葬る事にこの時初めて気がついた

幻花燈ーまぼろしのはなのともしびー

good to the taste蒸篭の縁にからしを塗り添えて肉まんを食べていたら 同じ様に蒸篭に入って肉まんの向うに控えていたあんまんが「たまにはおれにもからしを塗ってくれ」と云う 肉まんをつまむ手を休めて あんまんに眼をやった 「くれ、くれ」 「あんこにからしを塗って食う者があるか」 「たまにはいいだろうよ」 「おまえはいいだろうが、おれの都合がよくない」 「ちょっと蒸篭の縁に塗ってくれよ。肉まんにやってやれて、なんでおれにはやってくれないんだよ」 「手間の

【小説】Z(ツェット)氏のけしき【66枚】

 一 坂の上にベンガラ色をした三角屋根の家があって、庭に植えた桃や梨の木が、黄色い物干台の高さまで伸びている。 日曜日、Z氏が物干台に立って洗濯物を干していた。 長四畳くらいの物干台には物干し竿が一本渡してある。 空は澄んだ藍色をして一つの綿雲が空を渡っている。 玄関に植えた桂に実のつく頃になったものの、日傘をさした人の坂の下を行く姿が見える。 Z氏は籠から毛布を取り出し、物干台で背伸びをして拡げて、物干し竿に掛けた。 Z氏は居間に入った。居間のサイドボードには

【小説】魚増(うおます)【60枚】

新宿駅頭(えきとう)を西に出て、超高層ビル街を抜け出たところに、かつての景勝地の面影を残す中央公園がある。中の池に落ちる滝は、いまでは人工の滝に見えるが、かつては自然の滝であった。滝のほか、大小の池を擁し、江戸時代から名所として知られ、周辺には、戦前まで花街が賑わいを見せていた。 中央公園の北側は長い坂になっていて、山の手と下町の境をなしている。 下りきったところは、青梅街道と甲州街道に大きく挟まれ、ゆるやかな谷を形作り、先にずっと行けば、神田川が流れる低地に出る。 や

【小説】自己忘却セミナー【80枚】

     一 夕方五時の放送が響く。破(わ)れたスピーカーの音に続いて、夕焼け小焼けの曲が流れる。 「何だあの音は!」と男が撥ね上がった。 「何だって、五時だろ」 相手の男はちゃぶ台を挟んで答えた。こちらは心持鉤のある鼻を、スポーツ新聞に向けたままである。 「あの陰惨な音、五時だから何だというのだ。何故、おれに知らせる」 男は片手にボールペンを持ったまま藤木を見下ろす。ちゃぶ台には履歴書がのる。 「昨日だって、一昨日だって、毎日鳴ってるぜ」 藤木は引っくり返っ