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【自伝(8)】拗らせのーこの半生(2012年11月・24歳〜2013年2月)

前回は乳ガンの放射線治療を終わらせ、Dさんとお付き合いが始まったところで終わりました。
ここから二年ほどは平和な日常を過ごすので、書くことが少ないんですよね。
時系列も覚えていないほどに。
今回はじわじわと効いてきたホルモン治療の辛さ、Dさんとのこと、そして自伝の4と5に出てきたあやつとのちょっとしたことを書くことになるかなと。
ごゆるりとお読みください。





2012年10月下旬にDさんとお付き合いが始まる。
私より4つ歳上のDさんは、当時大学院の研究室にて日々研究に追われていた。
二浪した為にまだ卒業していなかった。

私は東京に住み、Dさんは埼玉と大学院のある神奈川を行き来する生活。
会う時間というのが少なく、お互いに貧乏な為、のんびり贅沢にデートというのは少なかったような。

私はというと乳ガンのホルモン治療が始まり、毎月来ていた生理もストップし、完全に閉経した状態になった。
そして治療前から懸念していた更年期障害に、20代前半にして襲われるようになる。

私の主な症状はホットフラッシュ、鬱、不眠など。
鬱と不眠に関しては随分前からあるので、更年期障害によるものなのかは区別がつかなかった。

20代の女性ホルモンの分泌が活発な状態から、一気に分泌をストップさせた為に自律神経の乱れがとにかく酷かった。

すぐに体が熱くなる。
暑いではない。熱いのだ。
上半身に熱が溜まるのを感じるのだが、腹部から足元、手先などは冷える。
今まで経験したことがない体の状況にメンタルも振り回される。
なので体も心も疲れやすくなっていた。

12月の真冬、雪が積もるほどの寒さの中歩いていると、突然体が熱くなる。
「熱い熱い!」と言いながらダウンコートを脱ぎ、ワンピース一枚で外を歩く。
ホットフラッシュが治れば当然寒くなるので、「寒い寒い!」と言いながらコートを羽織る。
するとまた「熱い熱い!」となる。
これの繰り返し。

本当に不便な体で参った。
当時私は、このホットフラッシュを志々雄真実(ししおまこと)状態と呼んでいた。
漫画のるろうに剣心に出てくる志々雄真実は、全身が重度の火傷を負っており、体温調節機能が働いていない為15分しか闘えないというキャラだったはず。

私も体温調節機能がバグっており、15分も保たずにダウンしていた。

こんな今まで経験したことのない体の状況にパニックになり、慣れるまでは過呼吸を起こしたりもした。

そのことを主治医であるN先生に相談し、漢方外来を受診することに。

漢方外来では更年期障害を緩和する為の加味逍遙散(かみしょうようさん)という漢方を主に処方してもらっていた。

それ以外に不調があったりした場合にも、その症状に合わせた漢方も一緒に出してもらっていた。

個人的には更年期障害がゼロになった訳ではないが、かなり軽減されたと思う。

まぁ体の方が女性ホルモンが分泌されていない状態に少しずつ慣れていくのもあって、初期ではもんのすごく悩まされたホットフラッシュも段々と軽いものになった。

私が経験から学んだホットフラッシュへの対処法を書いておこう。

・漢方は必ず飲む。
・髪の毛を束ねるか短くするなどして、首元は涼しい状態を保つ。首元が暑くなるとかなり辛い。
・冷えた食べ物や飲み物は口にしない。胃腸を冷やすとホットフラッシュが起きやすくなる。
・季節関係なく扇子を持ち歩く。狭い電車内で軽く扇ぐのにとても役に立つ。
・服は重ね着する。冬は外から室内に入るとホットフラッシュが起きやすいので、上着を脱いだりして調節。夏は冷房に当たりすぎてもまたホットフラッシュが起きやすいので、軽く羽織るものが必要。
・疲れると自律神経が乱れやすくなるので、とにかく無理をしない。

今思いつく限りではこんな感じ。
どなたかの参考になれたら幸いです。

とは言え、私も付き合いたてのDさんと会いたい気持ちが強く、自分の体の状態に慣れないながらも会いに行っていた。

もう時効だろうから書こう。
Dさんは一日中研究室に篭りっぱなしのことが多かったので、私もその研究室の人間の振りをして侵入していた。
バレたらかなりヤバい。ヤバいところではない。
完全アウト。

それでもDさんと一緒にいたかった私は、夜から朝にかけて研究室でDさんと過ごすことが多かった。
Dさんが研究している横で寛いでいた。

Dさんはマルチタスクな人なので、研究しながらも私と会話をしてくれた。
眠くなったら私は寝ていたし、一緒にいられるだけで楽しかった。

私はデートをしていてもすぐに体調を崩してしまうのだが、そんな私に合わせてくれるDさんが本当に救いであったし頼りになった。

私は知らず知らずの内に無理をしているそうで、自分ではまだまだ大丈夫と思っていても、突然歩くことすらしんどくなることが多々あった。
そんな時もすぐに休める場所を探して連れて行ってくれて、寝かせてくれるDさんの優しさにとことん甘えた。

誰かといると無意識に無理をしてしまう私が、多分初めてこんな形で甘えられる人なのだろう。

ホルモン治療による更年期障害に襲われると、やっぱりメンタルもやられていて。

乳ガンで死ぬかもしれない。
だから治療を受ける。
でももし、すぐに再発して死んでしまったら?

それを考えると、今のこの辛い更年期障害を耐えてまで治療をする意味があるのか?と疑問に思えて仕方なかったのだ。
もしかしたら同じように考えて、治療を途中で辞めてしまう人もいるのかもしれない。

なんなら、ホルモン治療は薬によっては子宮ガンのリスクも上がる。
治療中に閉経し、そのまま戻らない可能性もあった。私は幸い戻ったが。

こんな思いをしてまで、治療を頑張っても再発して死ぬかもしれないのに、それでも治療を受け続けて何になる?

こんな思考に一度囚われると、気分がどんどん落ち込み、正直死にたくもなった。
精神を安定させてくれる女性ホルモンが分泌されていないのだから、こうなっても仕方がない。

その度に私はDさんに愚痴った。
もう治療なんか受けたくない。
どうせ死ぬんだから受ける意味がない。
どうせ再発して死ぬんだったらもう死にたい。
などなど。

我ながらキツい愚痴だと思う。
それでもDさんは励まし続けてくれた。

のーこちゃんなら絶対に大丈夫!
俺が支える!
だから治療最後まで頑張ろう!

そんな言葉に励まされ続け、結果として私は五年間きっちりホルモン治療を受けることができた。

まぁまぁまぁ。
この時期は惚気が多いんですよ。
実際に救われてるし感謝もしてるし。
でももう惚気たくないんで、とりあえずこの辺で。


それではDさんと付き合い始めてから割とすぐに起きた、あやつとのことを書こう。
あやつの存在を知らない方は自伝の4と5を読んでいただけたらと思う。

あやつと別れた後、あやつは地方の実家に帰り、私はとても清々しい気持ちでいた。

だが、私の母を通して接触を図ってきた。
母から「東京に行くから会いたいってメールがきた」と話された時、私は会いたくないから無理と猛烈に拒否した。
「それでも来るって言うんだけど…」と続ける母に、私は初めてあやつに対する嫌悪感をぶつけた。
あいつが無理矢理してきたのにと、こんなことを感情的になって話してしまった。
それまで母にも誰にも言ってこなかったので、母もやっとその状況を知ることになった。
(と思ったけどDさんには話してたわ)

母は「分かった」と言い、母は一人で会いに行くと。
そして、私は地方にある祖母の家に住んでいることにすると提案してくれた。

家族のことをnoteに書いた時、私は家族に対する批判をしたが、それでもこういう時に助けてくれる愛情もちゃんと感じていた。

これでどうにか終わったと思った。
だが終わらなかった。

ある日、私は高校時代の友達のTwitterを眺めていた。
その友達があやつが住んでいる地方に遊びに行くと呟いていた。
これは本当にたまたまだ。

その友達の呟きに返信をしている人がいた。
「僕そこに住んでます」
「来たら案内しますよ」
「実は僕、あなたを知っています」

そう返信している人のアイコンを見て背中が、全身がゾッと寒くなった。鳥肌が立った。
あやつの家で可愛がっていた猫だった。
私も可愛がったので見間違う訳がない。

あやつだ。

吐き気がした。
何故なら、あやつと私の友達は会ったことすらないのだから。
確かに付き合っている間に、あやつに友達の話はしたことがある。
でも話題にしただけだ。たったそれだけだ。
そして友達にはあやつの話なんか一切していない。だから知っている訳がない。

なんとも言えない気持ち悪さと不気味さでいっぱいになり、私はすぐに友達に連絡し、あやつのことを説明した。

友達はあやつのことを最初は自分のファンなのかな?と気楽に考えていたが、私の話を聞くと怖い!と言っていた。

当時、私はまだmixiをやっていた。
公開設定はマイミクのみにし、Twitterで言うところの鍵をかけていた。
なので私の書いたことはあやつには見られない。だから油断していた。

だけどTwitterの件を友達に話すと、実はmixiでもあやつと繋がっていると。

私はmixiでも、その友達とコメントのやり取りをしていた。
友達とマイミクであるあやつは、私のコメントは見ることができなくても、友達のコメントは見ることができる。

私と友達のやり取りの中で、あやつの中では地方の祖母の家に住んでいるはずの私が、実は東京にいることを知られてしまったかもしれない。

これはまずい。あやつには実家の住所が知られている。
あれだけ別れをごねられ、やっと別れられたと思ったら会ったこともない私の友達を監視。

ちょっとしたストーカーである。

突撃来るか?と考えたら、私は家から出るのが怖くなった。
ってか、家にいることすら怖くなった。

なので一人暮らししている姉に事情を話し、しばらく泊めてくれない?とメールをした。

すぐに「ごめん、無理」と来た。
このやろうっ。本当に血が繋がった姉かよっ。

母にもこのことを話し、とりあえず弁護士やストーカー被害を相談できるところを探しておこうと。

そんなこんなで心中穏やかではなかった。
もちろんDさんにも話し、出来る限り私のそばにいてくれると言ってくれたような。

結局突撃などはなく、その心配は杞憂に終わったと思う。

「と思う」と歯切れが悪いのは、私が未だに本名でFacebookを始めようとすると、「もしかしたら友達かも?」にあやつが表示されるからだ。

私だって本名でFacebookを始めて、地元の友達と繋がりたい。
もちろん私はあやつのことなんか検索しない。
なのに必ず出てくる。アカウントを作り直しても出てくる。

つまり、あやつはまだFacebookで私のことを検索しているのだ。
十年近く経っても。

怖っ!!!!!!!!!!!!
そしてしつこい!!!!!!!!!





今回はホラーで終わらせます。
いや本当にね、ニュースでたまにあるじゃないですか。
元交際相手を殺害なんて悲しくて怖いニュースが。

私もさすがにそんな簡単に今いる場所がバレるようなことはしませんが、それでも未だにビビってます。
いい加減忘れてくれよ。本当に。

まぁ私がヘマをしなければ大丈夫だと思うので、これからもめちゃくちゃ気をつけます。

それでは今回はこの辺で。
また次回。


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