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乳ガン術後9年経過検査・子宮頚ガン検査、共に異常なし

7月6日本日。
乳ガン術後9年経過検査&結果と、二週間前に受けた子宮頚ガン検査の結果を聞きました。

勿体ぶった書き方はしたくないのでタイトルに記しましたが、乳ガン・子宮頚ガン共に異常なしでした。


一枚目の写真は血液検査の結果です。
γ-GTPの数値が若干高めですが、これは毎日薬を飲んでいる影響でしょう。
最近全くお酒を飲んでいないとは言え、自分の肝臓の強さに誇らしさを感じます。少しだけね。
青いチェックがついているCEACA15-3という項目が、腫瘍マーカーと呼ばれるものです。
「この数値が基準を超えているとガンの可能性があるかもね」という指標みたいなものだと、私は認識しています。
ガン以外が原因で数値が高くなることもありますし、数値が低くても実はガンだったなんてこともあるらしく。
なので画像診断などの検査も必要で、それらを総合して判断するらしいです。
つまり、現段階では血液検査だけじゃ確定できませんってことですね。


さてさて、それでは検査から結果までの流れを書こうと思います。

今住んでいるところから病院へ行くとなると二時間かかるため、前日に病院近くのビジホに前乗りするという贅沢なお金の使い方をするようになりました。
東京に戻ったら普通に通うけどね。

病院に着いたらまずは採血。
乳ガンのホルモン治療の影響でぷくぷくと太り、血管が浮きにくいと技師さんを困らせていた二年前。
それからゆっくりと時間をかけて10kg痩せ、昨年からは一発で血液を採取してもらえるようになりました。
この時が一番痩せた実感がありますね。

採血の後に子宮頚ガンの検査結果を。
無事に異常なしということで、一年後に予約を入れました。

数ある検査の中でも、婦人科の検査というものは回数をこなしても慣れることはありません。
検査前になると「嫌だなぁ」って憂鬱になるんですけど、何かあってからだと更に嫌な思いするぞと自分に言い聞かせて、毎年受けるようにしています。

女性の方は敬遠せずに定期的に受けていただけたらなと思います。
痛い時もありますが、同じ痛みを味わってる人間がここにいますので。

子宮頚ガン検査結果の後に、マンモグラフィとエコーを。
マンモの痛みは生理周期にだいぶ左右されます。
生理前は痛いです。乳腺がパンパンになっている胸を板でギューっと挟むので、とにかく痛い。
でも「全然痛くないですよ?」って涼しい顔して我慢します。
私の場合は無い胸を技師さんが必死に挟もうとしてくださるので、そこまでしてちゃんと写真を撮ろうとしてくださる技師さんに頭が下がる思いになります。
ちなみに今回は殆ど痛くなかったです。

エコーは毎回ベッドに寝そべると睡魔に襲われます。
めちゃくちゃ眠くなるんですよね。何でなんですかね?
胸を重点的に、脇や首なども念入りに診てもらいます。

それらが終わって結果待ちです。
術後5年経過検査までは、これらにプラスしてCTがありました。
ホルモン治療中でしたし、再発リスクが最も高いのが5年以内と言われているそうで。その後も再発する可能性はあるんですけどね。
その一山を越えたと言うことで、ひとまずCTは無しになりました。なので当日結果を聞けるようになったんですよね。CTを撮ると結果が出るまでに二週間かかるので。
血液検査やエコーなどで引っかかる項目があれば、精密検査することになると思います。

今は検査の当日に結果が聞けるという状態ですので、それは精神面でも非常に助かっています。

こう毎年検査を受けていますと、少しずつ慣れてくるんですよ。再発への不安とかに。
とは言え、先生から「問題なかったわよ」という言葉を聞くまでは、全身が緊張していて。
体から力が抜けた時に、「私やっぱり不安だったんだな」と実感します。
毎年それの繰り返しですし、死ぬまで繰り返すのだと思います。

そんなこんなで、主治医の先生とも9年のお付き合いになりました。
チャキチャキっとした気さくな女性の先生です。
私のホルモン治療が終わってから年に一度しかお会いしませんが、私の見た目の変化に気がついてくれます。
痩せた時とか、髪の毛を短くしたりだとか。
それから検査の結果だったり、私が気になることをお話ししたりするんですけど、現状私に気になることがあまりないんですよ。
なので殆どが世間話になります。
今回は最近彼氏と別れたなんてことをお話ししました。
一度だけ元カレが付き添いに来てくれたことがあり、先生も元カレを覚えています。
「あの彼と別れたのねぇ。8年も長くお付き合いして、そんなこともあるのねぇ」としみじみと仰っていました。

私は先生のこういうところが好きなんですよね。
まずは一人の医師として、患者である私の体調を気にかけてくださるのが本当に助かりますし。
「何かあったら予約なんて入れずにすぐ来てね」といつも言っていただけますし。
五年間のホルモン治療が終わった時には、「20代という一番いい時期を治療に費やしたのだから、これからは自分の幸せの為に生きてね」と言っていただけたり。
一人の人間として向き合っていただけてるなって感じるんですよね。

この先生と出会えて良かったなと、心から思えます。

私が乳ガンになったことがきっかけではありますが、9年ものお付き合いになりますし、先生がお辞めになるまでは続くと思います。

もしかしたら先生が一番の友達なんじゃないかなと、そんなことを思った今日でございました。
本当に感謝しかありません。いつもありがとうございます。

そんなこんなで、のーこの夏の一大イベントが無事に終了いたしました。
ここ最近は本当にメンタルの余裕がなかったので、少しは楽になるかなと。
まだまだやるべきことはあるんですけどね。

無事にまた一年生きていられたなとか、ここまで頑張って生きてんだからコロナに負けたくねえやとか、そんなふうに思い耽ったりしました。自分に負けそうになることは多々あるけれど。

9年前は自分が30代になるとは思えず、東京オリンピック見れるのかなぁなんて思ってたら新型コロナが流行り、あの時の私には想像できていなかったことが日々起きています。

人生は時に無慈悲で残酷で理不尽で、悲しい現実があったりします。
そんな中で、私が今こうして生きているのは奇跡でしかありません。

何度も生きているのが嫌になるし、これからもなるのでしょう。
それでも人は生きていかねばならないのだと、乳ガン検査は考え改めるいい機会を与えてくれます。

まぁいつかは再発しちゃうと思うんですけどね。
だって80年生きるとしたら、あと50年近くあるんですよ?
よほど運がよくない限りするわって思ってます。
ですがその時はその時です。
それまではのんびりやっていこうかなと思います。


私が治療中に何度も励まされた、エレカシの「桜の花、舞い上がる道を」。
私の人生の応援歌です。
皆さまにも人生の応援歌はありますでしょうか?気になります。

毎年春になると桜の曲って沢山リリースされるじゃないですか。
その流れに乗るのが嫌だったのか、宮本さんは桜の曲を作ることに抵抗があったらしいんですよ。
それでも、宮本さん自身も年齢を重ね、あんなにトゲトゲしく「金だ!」なんて歌っていた頃に比べると柔和になったように感じます。
真っ直ぐ伸びる竹が、変化を受け入れる柳になったかのようなイメージ。
そうして作った桜の曲が、ご本人が思っている以上に沢山の方を勇気づけてくださいました。
宮本さん曰く、自分ではあまりこの曲の良さが分からないらしいです。名曲なのにね。

例え散ったとしても、桜のように一年後また咲き誇れますように。


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