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ノーコードって結局は○○!?ひとことで結論づけます。

どうも。けいです(https://twitter.com/NoCoder_K)です。

7月ごろからノーコードとコーディングの論争がますます激しくなってますね。でもなんか見飽きたというか(笑)

なぜなら、分野は違いますが「英語」とか「語学」の分野でその結論って既に出てると思うんですよね。

ひとことで片付けると結局は

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もうこれだけ。

これ、英語の論争でよく聞きますよね。TOEICで900点取れる人でもグローバルな人材とは言えないというやつ。

英語は単なるコミュニケーション手段・ツールでしかなく
英語が話せることがグローバルでコミュニケーションが上手く取れることを保証するものではない。ということ。

よく高校とかで、全く英語が話せないのに街の外国人とやたらとすぐに仲良くなれる人とかいましたよね。いなかったという人は、芸人の出川さんを思い出してみてください。

カタコトで単語も曖昧なのに、すぐに誰とでも言葉が通じなくてもコミュニケーションが取れているシーンをみたことがある人は多いはずです。


これってまさにノーコードでも同じで、ノーコードはあくまでツールの1つ。ユーザーとサービスのインターフェースを作っていくという点においては、コミュニケーションのツールとも言えて、英語と考え方は同じ。

実際に、このツイートではglideで作った学生のサークル紹介のアプリが16万PVを達成みたいです。

現状の課題に気がついて、それを実装した結果、多くの人たちに使われた。

つまりGlideを触れても、コーディングができても、adaloやbubbleでいくら高性能なものを作れても、単なる自己満。TOEICで900点取れますっていってるようなもの。(確かにすごいけど)

でもそれだけじゃ価値は産めない。


結論を記事の一番初めに書いてしまったので、どうやってこの記事を締めくくればいいか分かりませんが、要するにノーコードだとかプログラミングだとかの論争はもうよくないかな〜と個人的感想。

英語圏の人とコミュニケーション取るために英語を学んだり、でもそれだけじゃ中国の市場が取れないから中国語も学んでみたり、あとは旅行でちょこっとフランスにいく時は、わざわざ真剣にフランス語を勉強しなくてもガイドブックに載ってる「トイレはどこですか?」だけ覚えてみたり。現地ではGoogle翻訳使ってお店の注文してみたり。

これと一緒じゃないかな。目的があって、その手段・ツールとしてのノーコード・プログラミング言語。その時々で使い分ければいいし、人によって必要になるものも変わってくる。


声の大きなインフルエンサーの「絶対必要だ」「そんなの必要ないだ」に踊らされるのはもういいよ〜。あんなのYouTubeの数を稼ぎたいから極論を言ってるだけなんだからさ。


とぼやきながらタイムラインを読み飛ばしていく1日を今日も過ごしましたとさ。

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