【連載#20】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜
第二十話 もっと我儘になりなさい
「あ、タケル? 今電話大丈夫だか?」
「ああ、大丈夫。珍しいな、平日の夜に電話なんて」
「そう?」
母親のメグミからの電話は年に数回ほどしかない。タケルのこれまでの経験では、事務的な連絡か緊急の用事か。前回は後者で、昨年の6月23日だった。
「んで、用件は?」
「そっけないずね。お母さんだってたまにはタケルと話たいことだってあるわよ」
「あっそう。そう言えば、父ちゃんと姉ちゃん、あれからどうしてる?」
タケルは思いついたことをそのまま口にした。
「お父さんは相変わらず仕事場にこもりっきり。まあ、あたしも別に話すこともないしさ。レミがいたから夫婦を続けていたようなもんよ」
「ふうん。姉ちゃんは?」
「アカリは全然連絡よこさないわ。今頃なにしてんだか。まあ、お母さんとしては生きていてくれればそれでいいと思ってる。あなたはどうなの? そろそろ就職活動とかやる頃じゃないの?」
「普通はそうなんだろうね。今はまだ部活が第一優先かな」
「まだバスケやってんだ。そんなに好きだったっけか、バスケ」
メグミの問いにタケルは即答しない。
「バスケは……好きなんだと思う」
「そう。最初はあまり好きそうじゃなかったよね?」
「それは、母ちゃんが無理やりおれにミニバスをやらせたからだず」
「お母さんはタケルに明るいスポーツマンになってほしかったのよ」
メグミの希望には添えなかった、とタケルは思う。
タケルがバスケットを始めたのは小学校三年生のときだった。
それまでのタケルは外で友達と遊ぶこともなく、学校から帰宅するとずっと部屋で本を読んでいる子どもだった。友達と遊ばない内向的なタケルを心配したメグミが、3つ上の姉が入っていたミニバスケットボールのチームにタケルを入れた。そこにタケルの意思はなかった。
「ミニバスに入るの、嫌だった?」
途切れかけた会話を繋ぎとめるようにメグミが言う。
「うーん、どうだろう? 嫌ではなかったかなあ。姉ちゃんが楽しそうにやってたから、興味もあったし。それに、母ちゃんもその方が楽かと思ってさ」
「小学三年生がそんなこと思ってたの?」
「ん、まあそうだね」
今度はメグミが沈黙した。パソコンを置いた机の椅子に座っていたタケルは、スマホを持ったままベッドに移動して寝転ぶ。
「母ちゃん、レミの葬式の後、おれに『レミの分まで生きろ』って言ったよね?」
「そんなこと言ったような気がするわね」
「おれ、そんときは何となく頷いたけど、よく考えたら人の分まで生きるのって無理だって思ったんだよ。誰かの人生背負うなんて重すぎるし」
「まあ、それはそうね」
「だからせめて、自分の人生くらいはちゃんと生きようと思ってる」
「もちろん、それでいいと思うよ。お母さんだってあなたに重荷を背負わせたいなんて思わない」
電話越しのメグミの声が少し震えた。
「あなたは物分かりが良すぎる子どもだった。物心ついたときから体の弱い妹がいて、それを当たり前として育ってきた。気の強い姉には従順な弟で、体の弱い妹には優しい兄であろうとしてた。きっと無意識にいろいろなことを我慢していたんだと思うの。だからこれからの人生は、もっと我儘になりなさい。欲しいものは欲しいと言っていいんだからね」
タケルは「うん」と言って頷いたが、その小さな声がメグミに届いたかどうかは分からなかった。
通話を切ったタケルはベッドから立ち上がって玄関に向かい、ドアを開けて外を眺めた。大粒の雪が風で吹き込み、アパートの通路にまで積もっている。タケルは冷えた空気で肺を満たし、ハァーと白い息を吐きだした。
アパートの向かいに建っている大きな屋敷の窓からは、暖かそうな灯の光が漏れている。タケルはしばらくその光を眺めてからアパート内に戻り、羽毛布団に潜って目を閉じる。
すぐに寝付けなかったタケルは枕元に置いたスマホに手をかけたが、画面を見ることなくスマホを手放した。目を開けて天井の幾何学模様を眺めながら、タケルは自分の欲しいものが何なのかを考え続けた。
翌日、仙台市内には30cmほどの積雪があったが、タケルが部活に行く頃には道路の雪はほとんど融けていた。ただ、日陰や歩道には雪が残っていたので、タケルは自転車を諦めて徒歩で大学の体育館へ向かった。
練習開始時間の10分前にコートに着いたタケルは、急いで練習着に着替えてバッシュの紐を結ぶ。コート脇にはコーチの中村アヤノが腕組みをして立っている。
「菅野先輩。三年生とアヤノさん、何かあったんですか?」
シューティングに向かおうとしたタケルにマネージャーの山家ミドリが話しかける。
「いや、別に。なんでそんなこと聞くんだ?」
「だって三年生みんな、アヤノさんと目を合わせようとしないから」
「気のせいだろ?」
目を逸らしたタケルの顔をミドリはジッと見つめる。
「やっぱり何かありましたね。鈍感な男どもは騙せても、わたしのことは騙せませんよ」
「言いがかりはよせ。なんにもないし、騙してもいないから」
タケルはそう言って逃げるようにミドリから離れた。シュートを打ちながらアヤノの様子を窺うと、銀縁メガネの奥にある切れ長の目がいつもより鋭く見えた気がした。
練習は淡々と進み、3対3、4対4を経て、最後、ゲーム形式の5対5を残すのみとなった。アヤノの指示でチーム分けがなされ、三年生はタケルとサトシ、高橋と古川がそれぞれ同じチームとなった。二年生でスタメンの寺澤はタケルと同じチームだ。
ゲームが始まる前に、アヤノはタケルと高橋を呼んだ。
「今日から次の大会までの5対5では、お二人は必ずマッチアップするようにお願いします」
「え、おれが1番をやるんですか?」
タケルが驚いた様子でアヤノに確認する。
「はい。お二人で競い合っていただき、どちらかが1番としてのレギュラーになってもらいます」
「でもアヤノさん。おれはともかく、タケルは今まで1番の経験はないんですよ? タケルのシュート力を活かすには、2番で使ったほうが良いとおれは思うんですけど」
「確かに、菅野くんのシュート力は非常に高い。でも私が見たところ、菅野くんには1番の適性もあると思っています。それを試したいのです」
「まあ、アヤノさんがそこまで言うのなら、おれは受けて立ちますけどね……」
高橋は不満そうな顔をしながらもアヤノの提案を受け入れる。高橋の様子を見たタケルも納得して頷いた。
「あと一つ。古川くんには、5対5でいつもマッチアップする吉田くんではなく、寺澤くんをマッチアップさせて欲しいんです」
「寺澤を? でもそれじゃあ明らかにミスマッチですよ」
高橋が言うとおり、192cmの古川に見合ったサイズのディフェンダーは控えの5番である189cmの吉田以外には考えられないとタケルも思った。寺澤も185cmと小さくはないが、5番としては線が細すぎる。
「高橋くん。ミスマッチかどうかは、実際にやってみないと分からないものですよ」
アヤノは高橋を諭すように言った。
ゲームが開始して間もなく、高橋は自分の考えが先入観に囚われたものであることを自覚する。古川とマッチアップした寺澤は、オフェンスでは長年5番を務めてきたような動きを見せ、ポストアップから巧みなステップでシュートを決める。ディフェンスでもフットワークと長い手足を活かして古川に自由な動きをさせないクレバーな守りを披露した。
そして選手人生で初めて1番を任されたタケルは落ち着いたゲームコントロールでオフェンスを統率し、広い視野で味方へのアシストを重ねた。フリーになれば確実に決めてくるシュート力もあり、マッチアップした高橋は5分間のゲームが終わるまでタケルのオフェンスにアジャストすることができなかった。
「タケルと寺澤があんなにやれるなんて思ってなかった」
休憩時間に水分補給をしながら古川が高橋に感想を述べる。高橋はタオルで汗を拭い、呼吸を整えてから古川に言葉を返す。
「ヤベェな。これじゃあ1番のポジションをタケルに奪われちまう。本当に頭にくるな。タケルのセンスも、アヤノさんの観察眼も……」
古川と高橋の視線に気が付いたアヤノは二人に歩み寄って言った。
「私はチームの勝利のためならどんなことでもします」
「アヤノさん、そんな口調で言ったら冗談に聞こえないっす」
高橋の言葉に首を傾げるアヤノ。
「私、冗談を言っているつもりなんて全くありませんけど?」
その真剣過ぎる眼差しに、古川と高橋は目を合わせて笑うしかなかった。