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父ちゃんの決断(その8)いつもあなたの傍に。

前回は、子育て中のご家庭で必ず話し合いが行われるであろう酒飲みについて、私は「断酒」を決断したという記事でした(「父ちゃんの決断(その7)酒を断つ」)。今回は私の休日の過ごし方、また、父親としての在り方について自分なりの考え方を書きたいと思います。

子どもが生まれる前、私の休日の過ごし方と言えば、趣味のスキーに行ったり、波乗りに行ったりで、家に居ることはほとんど無かったです。20代、遊びたい盛りですからね。30代になって、長男が誕生。転勤、引っ越しを繰り返しているうちに、次男、三男も生まれていつの間にか家族が5人になっていました。結果として、子どもは皆、男の子。職場や友人との会話で家族の話題になると、男の子3人ということもあり、「スポーツとか、何かやらせるの?」と聞かれることが多いです。私も小さいころからスポーツをやってきた(ソフトボール→野球→バスケットボール)ので、おぼろげにですが、「何かスポーツやらせたいなー」と思ってはいました。カミさんもバスケ経験者なので、小学校に入ったら、ミニバスでもやらせたいねーなどと話したこともありましたね。

でも、長男が小学3年生になった今現在でも、スポーツを習わせたりしていません。これはカミさんとの話し合いで、「本人がやりたいと(本気で)言うまでは、習い事はやらせない」ということを決めていたので、現時点では本人から何かやりたいとは言われていないということです。休日は、庭や家の中で、兄弟3人、ワーワーキャーキャー遊んでおります。私は土日が休みなので、子どもたちを海や山、公園などに連れていくこともできるのですが、兄弟3人で楽しそうに遊んでいる様子を見ると、子どもたちが楽しいのであれば、無理してどこかに連れていくこともないなーと思って、ただただその様子を見守っています。我が家では、だいたいこんな感じの休日を過ごしております。

子どもたちの様子を見ながら、私は父親として、子どもたちの将来のために何ができるのだろうか、何か特別なことをした方が良いのではないか、なんて考えたりもしました。当たり前ですが、私自身も父親という役割は初めての経験。どうしたら良いかは、自分で考えなければならない。

じゃあ、自分自身がどうだったのかを思い出してみる。私が自分の父親にしてもらったこと。うーん、特別、何かしてもらった覚えはないけど、いつも家に居たなあ。母親は父親のことを「無趣味で、友達もいないから、いっつも家に居る」と皮肉交じりで言っていたけど、たぶん、それが私の父親のやっていたことなんだと思った。つまり、「とにかく、いつも家族と一緒に居ること」。そういえば、私の祖父もいつも家に居た。大正生まれの世代には珍しく、祖母は産婆さんとして働いていたからほとんど家に居なくって、祖父が農家の傍ら、ほとんど全ての家事をやっていた。今考えると、いわゆる「主夫」みたいな感じだったんだね。

そんなことを考えているうちに、私ができることはそれなんじゃないかと気が付いた。

「家族と共に在ること」

私は、父親のことが大好きな子どもではなかったけど、父親がいつも家に居ることによって、やっぱり安心感があった。何かあれば父親に話すことができたし、言葉には出していなかったけど、やっぱり父親のことを頼っていたのだと思う。今の私が人を基本的に信頼することができるというのは、父親の影響が大きいのではないのかということを、この歳になって、また、父親と言う立場になって分かってきたような気がしてます。


そんな理由で、私は可能な限り、家族と共に居ることにしています。休日は、何もせずに家に居る。そのことを子どもたちがどう思っているのか、また、それがどんな影響を与えるのかは分かりません。私と同じように、子どもたちが大人になっても、それを父親である私語ることは無いでしょうから。


ということで、「父ちゃんの決断」シリーズ(その8)はこれで終わりです。次回は、お金の使い方について。「お金は使うためにある」と思っていた私が、倹約家のカミさんと結婚してどのようにお金と付き合うようになったか、について書いていきたいと思います。

以上です。






サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。