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未来の働き方研究所Polarisの所長が50人以上と対談して感じた”幸せ”の意味

N.FIELD、Polaris、GRAPHICULと3事業を現在展開しておりますNocchiという者です。
未来の働き方研究所Polarisの方で、50人以上の方に生い立ちや価値観などを約1年取材して来ました。

適切な問いこそが対談の極意

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もともと人の話を深ぼるのが好きだったので幼少期からある意味慣れている行為ではありましたが、対談という行為は私にはゲームのように感じられ、とても興味深いフィールドワークの一つのように捉えています。

対談を好むようになった原体験は、「ハンニバル」という映画。
無類の洋画好きで幼少期から特にサスペンス、アクション系を好んで見てきましたが、とある犯罪者と、犯罪心理学者が登場する有名な作品です。

誰もが、その発言に至るまでの思考回路をもつー…
それを意識するようになったきっかけがその作品。

元々、自身の好奇心のまま行動するタイプだった私は、自我の目覚めと共に、自身の感情の発露に対しても、どういう思考回路を経由しているのか知りたくなり、人々の対話を通して、感情発露経緯を探るようになりました。

中でも気になるのは、やっぱり幸福感。
日本は幸福度が低いと言われますが、生きている意味などを重く考えようが考えまいが、生きている間幸せに生きたもん勝ちでは?と考えるようになりました。

では、みんなはどのように幸せを感じる思考回路をしているのか?
実はこれを知りたくてPolarisを始めました。

初期のインタビューから辿っていただくとわかるのですが、質問項目は回を経るごとに変化しています。

特に価値観の項。
当初は「どういう時に幸せを感じますか?」と聞いていました。
これが徐々に「ワクワクする瞬間」などに変わっています。

幸せとは何かと聞かれたら

あなたにとっての幸せとは、と聞くと、多くの人が
「自分や家族の健康」「平和」「朝日が美しく感じる時」などの生物的・恒久的平和、のような回答をしました。

これは確かにマズローの欲求段階的には、生存欲求を満たしていることへの確認行為なので、うん、まぁ、正しいのだけれども…

いやいや。待てよ。
今日も戦争に駆り出されることもなく、命を狙われることなく、屋根のある家で暮らし、病気もなかったとしても、満員電車に鬱々とした顔で乗っているサラリーマンたちが幸せですかというとちょっと違うような…

一方で、やりたいことを聞くと、これが、出てくる出てくる。
今すでにやりたいことをやってる!という人も多い。

すなわち、最初は「没入感」かなと思っておりました。
もうこれ以上ないくらい、没頭できるものがあると、幸せ?
しかしそうなると、趣味がないだとか、暇だと、不幸なのでしたっけ、という事になる…

いやいや、友達や恋人とくだらない会話をしていたり、まったりしていたって幸せなはずですし、一人でゆっくり朝寝していたって結構幸せな気がします…

やりたいことの有無

もう一つの分岐点が「やりたいこと」の有無でした。

私などは好奇心いっぱい、やりたいこといっぱい、やりたいことがなくなったら探しに行くし、なんなら目の前のもの全て研究対象、みたいな側面がありますが…

スタートアップ創業者などはやはり同様に好奇心いっぱいタイプが多く、「お金の心配がなくなったら、世界に旅に出たい!まだ見たことのないものを見たい!」という声が寄せられました。

お金が貯まったら、新しい事業へ投資をしたい!という声も。
これはおそらく、まだやったことがないからというのと、育てたり伴走するという経験は、常に自分では想像がつかないハプニング満載なので、そりゃ刺激的だし、成長へ寄与しているという満足感もかなり得られるということなのかなと。

本質的には子育ても然りなのでしょうけれども、命あるものだし、親として色々言われることもあるし、夜泣きやら思春期やら受験やらめんどくさいだとか、重たいことは満載で。そして何より、根本的に、一人でやりたいと思ってできるかというとそういうものでもない。

おそらくそういう背景もあって、投資や教育に携わりたい、という回答は割とよく見られました。

少しそれますが、この好奇心ドリブンタイプは私を含めてちょっと刺激中毒。これを多動と表現する人もいます。

大卒からの大手就職こそスタンダードなレール!みたいな高度成長期の名残の方がマジョリティの日本において、主体的に独立を選ぼうとする創業者勢はそのように表現されてしまうことがあります。

一方で、注意分散でタスク完了できない話と好奇心ドリブンで動く話は思考回路が違う気がするので、これはきちんと分類して呼んであげるべきでは…と個人的には思っています。
講演でもよく話しますが、数が少ないことと間違っているという話は全く別。どうかマイノリティで自分を信じきれず揺らいでいる人に、自信を強く持って欲しい。この話はまた別のnoteにて…

閑話休題。

やりたいことがないとダメなのか。
好奇心が強くないとイノベーターじゃないのか。
そもそもイノベーターじゃないと価値が低いみたいな話でしたっけ、と。

Polarisで働き方イベントをして私に相談くださる方は「副業をしてみたいが何ができるかわからない」「やりたいことも趣味も特にない…」という方が圧倒的に多い。

やりたいことが見つからなきゃ幸せになれない?
ちょっと違うような。
しっくりこない。

正直、自分が満足していればそれでいいのでは?
メディアや周りの情報に流されちゃって、実は他人と比較しちゃってるのでは?

そこでたどり着いたのが、幸福感とは、「自分で自分の生き方を肯定しているか」ということでした。

もっとも大事なのは「自己肯定感」

高度成長期、資本主義がまだマジョリティを占めてしまっているこの国においては、幼少期に自分を認めてあげる指標は、そのどれもが相対評価。

誰かよりテストの点がいい。
在籍校の偏差値が高い。
入社した会社の知名度が高い。
同期より昇進が早いとか給料高いとか、どこどこの誰かより職位が上だとか。

何より、生物として生まれてきた”子供”の自分が、他己承認を一番最初にしてくれるはずの”親”へ認められようと、目指すのが、これら。

あれれ。
ここに、あなた本人の幸せの指標って、あったかしら。

やりたいことは、なんだったか。
それは憧れでもいい。
仮面ライダーになるー!とかでもいい。

よく噛み砕いたら、なぜそれになりたいと思ったかは、きっと自分が知っている。

みんなにかっこいいって思って欲しい?
自由でいたい?
そういう欲望に、素直になってみると、見えてくるものがあるはず。

受け入れたら、実現方法を考えてみる。
それって、どういう状態なのだろう。
どうやったらそれが叶うのだろう。

生き方も、働き方も、何もかも。
まず自分が知らないと、それを満たしてあげられない。

けれど、日本の教育というのは、それを自分で考える練習機会がすごく少ない。今は私の時代よりは改善されているとは聞くけれど、それでも全校ではないのでしょう。
もしかしたら、他国よりいい水準かもしれないけれど、それこそどこどこよりマシとかいう話ではなく、きちんと仕組化すれば、多くの人の自己肯定感をあげる社会は作れるはず。

昔から、国を作ってみたかった自分にとっては一つのチャレンジ。
自己肯定感の高い人生を歩む最適設計の社会は、きっと作れる。

たった一人でもいい。
自己肯定感が前より上がりました!と言ってもらえたら、私が生きていて、その人と出会った意味があったと、私も思えるのだろう。
なので、これから活動するにあたり、目指すのはそこにしました。

会社化することも売り上げも目標ではなく、全ては、一人でも多くの自己肯定感を上げることを目指して。

HPに掲載するにはあまりにエモいので(笑)、創業者の個人ブログとして、事業理念と、その元になる価値観を、こちらに残しておきます。

事業理念

たくさんの人との対談で、様々な”個”の価値観に向き合う中で言語化された、生きていく上で大事なもの。
「自己肯定感最大」の景色を、あなたに見せてあげたい。
全ての私の源泉は、ここにあります。

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幸福とは「個として認められること」。
すなわち自己肯定感。

自分と関わる相手の中に、自身という存在を感じられた時。
感謝された時、喜んでもらえた時。
自分が幸せを感じるのは、きっと、そんな時。

それはきっと、あなたという存在が、相手に作用したことを目にしているから。

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愛とは「相手の望みを叶える努力」。
違うものを差し出して悲しませないように、時に、寂しさももどかしさも飲み込んで。
自己肯定感が幸せだとしたら、まずは相手を個として認めることから、その人を幸せにすることが始まる。

ちなみに、幸福物質が放出されるのは、愛されている時ではなく愛している時だそう。
実は、誰かに愛されている自分より、誰かを幸せにしようと頑張れる自分に対してこそ、自己肯定感が高まるものなのかもしれない。

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仕事とは「社会に影響を与えること」。
学業でも趣味でもなくて仕事が好きだという人は、きっとこの欲求を持っている。

受け身ではない、主体側として、誰かの何かを変えたい。
本当はそこに金銭対価がなくたって、自分の作り出した「影響」が、何よりも己を満たす。
プロボノワーカーやパラレルワーカーが生まれる理由は、きっと、社会に対して自分が影響を与えられる方法を模索しているから。

それ以上自身が新しく得るものがない作業や経験は「労働」と呼ばれる。
自分が日々行なっているそれは、果たして「仕事」と「労働」のどちらだろうか。

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趣味とは「何の見返りがなくても自分を癒してくれるもの」。
誰に言われたわけでもない、法外な対価が待っているわけでもない。

全ての時間をこれに費やすことはしないかもしれない。
それでも、それがあるから、今日も自分でいることが出来る。
仕事が趣味という人は、社会への影響を模索する行為こそが自分を癒している状態。

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人生とは「自己肯定を目指す旅の記録」。
資本主義社会の中では、誰かの何かと優劣を競う相対評価から始まる、それ。
やがて人々は、深層心理では自分という「個」を認めてもらう絶対評価を求めていることに気づく。
しかし、自分には変えられない誰かの中に自己を反映させることは難しく、誰もが生涯をかけて彷徨う。

経済的にも精神的にも保護者や社会の庇護下にある存在が「個を認めて欲しい」ともがくモラトリアムが、反抗期。
相対評価で来たが故に、「個」での存在意義を見失った時に訪れるのが、挫折。
人の目につかないところで刻まれた苦節と経験値に裏打ちされた、自分自身による「個」の承認が、自信。

全てのモノを手放してしまえば、自分に残るのは、ただひたすらな、もがいた記憶と、誰かとの思い出。
目を閉じて、自己肯定度と大事な誰かを思い浮かべれば、自分の中の「残りの未練」をきっと知れる。

大事なものは意外とシンプル

いろんなことに日々悩んでも、きっと、大事なことはとてもシンプルで。
今後も対談でわかった大事なことを、まとめて発信していけたらと思います。


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