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自分と向き合い続けること

自分と向き合うこと、見つめ直すことはどうにも軽視されがちな様に思う

とても時間がかかることだし
というか一生続けていかないといけないことでもあるし

そんなことよりも
「もっと効率よく」とか
「もっと合理的に」とか
「もっと認めてもらう(ステータス)ために」とか

そんな価値観が世の中、流布しすぎていて
真っ当で正しいように思える

もちろんそういった価値観で生きることを否定するつもりは一切ないけど

ただ、こんな風に上手く生きようとばかりすると自分の氣持ちを置いてけぼりにしてしまって

世界にたった一人しかいない自分への存在や価値といったものをどこまでも疑って生きるづけることになってしまう様に思う

それはどこまでも
「これで良いのか!?」
といった疑いや迷いが晴れない

どこまでも生きることに安心感を抱くことができない在り方の様に感じる


僕の例で言えば、最近になってようやく20年間、苦しんできたIBS(過敏性腸症候群)とガス症状を寛解させることができたのだけど

そのお陰で、よりいっそう「上手く生きてやろう」という氣が一切なくなった

でも振り返ってみると鶏が先か、卵が先かは分からないけど、「上手く生きようとしない」、「自分らしく生きる」と決めたから症状から解放された様にも思えてくる

要するに自分を偽って無理して生きてきたのだ

そしてサインとしてIBSやガス症状があって、「苦しい」、「無理してる」って氣づかせてくれる為に身体から表に現れていたのではないかと氣づいたりする

確証はないけど僕自身そのことに納得している、だから何か深い悩みや症状や病などかある時にも、まずはそれ自体ではなく生き方や自分自身と向き合うことが求められているのかもしれないと感じる

むしろ効率的に上手く生きようしすぎると、こういったことから自分自身を遠ざけて、むしろ悩みや病へと自らを傾けてしまうのではと思う

そして「上手く生きようとしない」ということを自分で自分に許していく為には、やっぱりどんなに非効率に感じられてしまっても

他でもない世界で唯一の自分と向き合っていく他にないのだと思う

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