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イチエンの重み

私はお金を稼いで生きてきた。

学生の頃、それなりに日銭暮らしでやりくりした経験はあれど、正直本当の意味でお金に困ったことはない。

初任給から数年の間で言えば、世間で言うそれなりには稼いでいた。

困らない道を選んで来た。

だから、自分でもお金にはあまり頓着はなかった。
お金はあるものだから。困らないように自分で選んで来たから。
そのための努力は惜しまなかったから。

大学では財務を学び、大学院では証券アナリスト養成ゼミで学んだ。

『引退して、投資で稼ぐ』

これが、人生楽に生きるコツか?
何てことを考えながら某外資証券会社の重役に登り詰めた方に師事した。

学びの中で感じたことは、肝心要は金ではない。
情報だ。
皆が知らない、とっておきの。
レポートには出ない、実態、噂、実情、感情。

証券市場はまるで生き物、バイタルだ。
人の心、感情の動き。

最終的な値動きなんて分かったもんじゃない。
どんなに分析しても、どんなに苦労して一生懸命やっても、どっかで、コロリと転ぶもの。
虚しいもんだ。

まるで人間の心を読むようなもの。
数字の読み合いではない、感情の読み合い。
簡単じゃない。正解はない。
いかにして自分が損をしないように、どううまく切り抜けるかの心理戦。
まるで社会の縮図。

私には、そんなように思えた。

もちろん、学べば学ぶ程、ロジックはあり、正解に限りなく近付けるような気になるものではあった。
それでも最後の1ピースが埋まらない。
完璧はない。
スルリと手からすり抜けていくようなそんな危うさがあって、私は証券の世界には足を踏みいれず、別の道へ進んだ。

就職を境に、勉強がてらに投資していた株式はすべて整理をつけた。

それから数年、IT企業に勤めながら、けれども、年金、保険、様々な形で金融は私の身近にあった。
自社の株をインセンティブで貰っていた。離れたと思いきや、株式は私に付いてきていた。

今の世界、金融は切っても切り離せない、身近なものであることを実感する。

人生100年時代なんて囁かれ始めて久しい。
お金はあるに越したことはないよなあ。

若い世代にも、もちろん、ご同輩、御年輩の方々にもお金の意味を考えてみてほしい。知ってほしい。

私はこう思う。

『金勘定は心の感情』

金はあくまで道具であって、使う者を選ぶ。
使う者が金の価値を決める。

『金は、どう使うか。』

がすべてだ。

私にとって、金は簡単なものの部類であった。そう思っていた頃のイチエンは軽かった。

けれど、新しい出会いがあった。
大切な人だ。大切な縁だ。

それからというもの、
私にとっての1円はとても、とても、大きくなった。
その人のために使うお金は、
その人とともに楽しむお金は、
その人と一緒に誰かのためになるお金は、
とても、とても、大きな意味を持つものになった。
手にとって、ずっしりと確かに重い、円となった。

誰かの明るい笑顔に繋がるお金は、素晴らしいと思えた。
ちょっとした日々の買い物ですら、とても楽しくなった。

すきあらば、よく店員さん等と話すようになった。ずっと忘れていたような、遠い昔の自分を取り戻した気がした。

私は、どこかで知っていた。
証券市場が云々ではなく、金融が云々ではなく、お金が云々ではなく、
自分は、ただ、心を、感情を、とても、とても大切にして生きてきたことを。

そう言う自分から目を背け、一生懸命に明るく、努力して、今の世の中で良いとされるものだと思って、必死にお金を追って生きていた。

なんだか虚しいなんて、
金融のせいにしていた。
お金のせいにしていた。
社会のせいにしていた。

違った。

心は難しかった。
ただ、心を大切にしたかっただけだった。
愛する人、真心、人の心を大切にしたかった。

その人と生活を共にして、苦楽を共にして改めて思うことは、

『お金はなくても幸せにはなれる。』

けれど、あった方がより幸せになり易い世の中だ。


数年遠去かった、株式投資を再開した。

この企業の、
この社長の、
こう言う所に惹かれて私は投資する。

私のお金は意志を持った。
私の思いをのせて、会社の役に立ってくれ。
私の思いをのせて、社会の役に立ってくれ。
私たちの思いをのせて、誰かの役に立ってくれ。
私の稼いだ私たちのお金よ、誰かの幸せに繋がってくれ。

このお金は応援の気持ちだ。
このお金は感謝の気持ちだ。

今、私の使うお金は、とても、とても大きな意味を持っている。

高いものが良いわけではない。
良いものだから高いものに、私は惜しまずにお金を使う。
安くても良いものに私は惜しみなくお金を使う。

『お金は尺度なだけだ。』

意味を持たせるのは自分なんだ。

お金が決めるのではない。
お金に使われてくれるな。
人間よ。
お金を上手に使ってやってくれ。

使うお金は、自分の感情を表すもの。
私はそう思っている。

良いものは、物事の価値は、自分で決める。
お金に決められるようじゃあ、まだまだだよなあ。勉強だ。

安いと思ったら、私は、出来得る限り私の決めた値段を渡したいと思っている。
出来ない時には心をこめる。

良い職人の良い品に、そして、無骨な手にお金を返す。
良い店員の素敵なサービスに、そして、良い笑顔にお金を返す。
良い料理人の、美味い料理に、そして、目にはうつらない厨房での一生懸命な姿にお金を返す。

『お金は、何かの対価だ。』

私は、物だけでなく、心や何かにお金を使うことを心がけている。そう言う風にお金を使いたい。

お金はとても、人の役に立っている。
けれども、物事に価値を与えるのはお金ではなく、人の熱意だ。人の思いだ。人の心だ。
お金はそれを分かりやすく表してくれているんだ。

そう思う。

これからも、誰かの喜びになることに私は惜しみなくお金を使って心を使って生きたいと思う。

私が出会った彼女との縁は、私の円に意味を与えて、意志を持たせた。

一縁は、一円を大きくし、さらなる縁を広げてくれた。

ありがとう。お金。

これからもよろしく。
私の思いをのせて、今日も誰かを幸せにしてくれ。







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