さようならの持つ余白。
当たり前のように使っている言葉。それらの語源を調べてみると、新鮮な驚きや想像を膨らませたくなる余白に出会う。
例えば、物事の決着をつける時に使う「ケリをつける」という言葉。よくよく注目してみると、ケリって何なのか知っている人は少ないだろう。何となく蹴りではないことはわかる。
これは、詠嘆の助動詞の「けり」からきているそうだ。詠嘆の助動詞とは、〜なことだ。のように詩の最後につけるもので、そこから物事の終わりや区切りをつけるという意味に転じて使われるようになったそうだ。
このように、意外なところから意味が繋がっている言葉があるのだ。
最近知った中でいちばん面白かったのは、「さようなら」の語源だ。一日の中で必ず使う言葉の語源を、みんなは知っているだろうか。これは「左様ならば」の“ば”が省略されたもので、「そういうことならば、」という接続詞から来ている。
そういうことならば、ここでお別れですね。
なんとも余韻の残る言葉だと思った。これまでの道筋や、ここから先のことまで想像が膨らむ余韻のある言葉だ。こんなことを細かく書き残すのは無粋であるが、まぁそこは許してほしい。
他にも「幕を下ろす」や「山をはる」など、いろんな分野の言葉を語源として意味が転じたものが身近にはある。日本語の面白さがそこにあると思う。
普段、数学や物理を勉強していると、そう言った余白や含みといった面白さを感じることは少ない。これらはこれらでまた別の面白さがあるのだが。だからこそ普段の生活の中で、言葉の面白みを感じることがぼくにとっては心地いいのだ。
外国語にも同じようなものはあるのだろうか。人間が作り出した言葉って本当に面白い。人間が作り出しているからこそ、余白が生まれ、そこに物語を感じる。少しずつ変化しながら受け継がれてきた歴史が、言葉の余白の中に含まれているのだろう。
では、さようなら。
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*出会いと別れもおもしろい。
*歴史と伝統について。
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