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形だけの挨拶

日頃の行動の中で、形骸化してしまっていることはないだろうか。

形骸化とは、初めに持っていた本質的な意味や意義を失い、型や形式だけが残ってしまうことをいう。自分の行動を省みて、そうなっているものはないだろうか。すべての行動に意味を感じているかといえば、きっとそうではない。つまり、型で行動していることが少なからずあるはずだ。

例えば、誰かと会った時はどうだろう。その日に初めて会った人ならば挨拶をする。しっかりと相手の目を見て、気持ちよく挨拶できているだろうか。「今日もよろしくお願いします。」という気持ちがこもっているのか、それともただ発声しただけなのか。もし後者ならば、それが形骸化しているということだ。

生徒たちを見ていて気づくことがある。いつも校舎を出るときに「ありがとうございました。」と言って帰っていくが、その言葉はどこにも向かっていない。ただ、その11文字を発声してから帰るというルールに則った行動になっている。その姿は、まさに抜け殻のようだ。

しかし、決してその子たちが悪いと言っているわけではない。これは本質が抜け落ちたのではなく、先に型を教え込まれたため起きていることなのだ。逆にいうと、型はもうできている。そこに如何にして本質を注ぎ込めるかが、ぼくの役割であると感じている。

人の振り見て我が振り直せというが、自分の行動の中に型だけになってしまっていることがないか省みることは重要だ。なぜそうなってしまうのか。または、そうならないためにはどうすればいいのかを考えるべきだろう。

大きな一つの原因は、やはり『慣れ』だろう。良くも悪くも意識せずに出来てしまうようになる。これが悪い方に出た結果が、形骸化ということなのだ。

慣れていいものと、慣れてはいけないもの。両者を区別して常日頃から意識することが、本質的な意味や意義を保つ方法であると言えるだろう。

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*我が振り直せですよね。


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