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柔術界の偉い人にプチ恩返しができた話

8/6(日)のGroundImpactに出場して、ボコボコにされた話を書きました。

この試合の後に3つの出来事があったので紹介します。試合に出ないと経験できない貴重な思い出となりました。

①3年ぶりに試合に出たジムの仲間が準優勝

僕の試合は昼過ぎで終わり、仲間の試合まで会場をウロウロしていました。本大会にはうちのジム(ねわざワールド品川)からは僕とMさんの2名が出場しました。

Mさん(25歳)はアダルト紫フェザー級。10代の頃から柔術をやっていて、めっちゃ上手い。これまでMさんとのスパーは50回を超えますが、まぐれスイープが数回、パスガードは一度も成功したことがありません。

そんなMさんは3年以上、試合に出ていませんでした。

「こんだけ強いMさんなら激戦区のアダルト紫フェザーでも勝ち上がるのではないか?」という興味もあり、僕から強く誘って、一緒に出場することになりました。

難なく決勝へ進むも・・・

試合前、試合よりも道着チェックに不安だったようです。チェックが厳しくはなっていると言われて、道着の購入についてアドバイスしていました。

さて、Mさんの試合はというと・・・1,2回戦は1ポイント・アドバンも与えることなく、完封。さすがです。3年ぶりの試合とは思えないほど落ち着いた動きでした。

落ち着いてスイープ⇒マウント

しかし、決勝はバックチョークで敗退。準優勝。これには驚きました。Mさんが負けるなんて・・・ジムのグループLINEに速報を伝えたら、みんな驚いていました。

優勝したのは関澤翔選手(パラエストラ古河)。今春の全日本オープンで3位、ART4にも出場する凄腕でした。

https://youtu.be/RVdg8oo0PoI

ダブルガードから一瞬でリバースデラヒーバでバックテイク(ベリンボロの逆回り?)を狙うなど、こんな動きがあるのか!とめっちゃ勉強になりました。

試合直後ダブルガードからの展開(右側が関澤選手)
僕も次回は表彰台に立ちたい!

関澤さんは明日(8/20)、KIT7に出場するそうです。

応援チケットには関澤選手の名前を書きました。楽しみです✨

たまにしか試合に出ない強者もいる

Mさんは3年以上ぶりの試合(紫帯では初試合)でしたが、全く緊張もなく、1,2回戦は順調に勝ちました。

僕が対戦した方(青帯ライトフェザー/マスター2)は、ジム名も聞いたことがなく、ググっても情報が出てきませんでした。試合後にお話しした時は「試合にあまり出てなくて」と言いつつ、3戦とも実力差をつけて優勝していました。年季の入った青帯を巻いていました。

あまり試合には出ないけど、強い人って各地にいますね。東京のみで試合に出ていると「ここに集まっているのが日本の強い人たち」ばかりと思ってしまいますが、そんなことはないなと気づかされました。地方だと試合に出るのは大変ですし。

やっぱ試合はいいよな!と思った瞬間

試合後、Mさんを駅まで車で送っていると「デラヒーバ杯ってまだエントリー受け付けてます?」と訊かれる。どうやら今回の試合で火がついたようで、来月も試合に出るようです。やっぱ試合があることで練習のモチベーションも上がる。今回Mさんを誘って良かったなと思いました。

②僕のブログを読んでいる方から声をかけられる

試合後、会場を歩いていると「延藤さんですか?」と背後から声をかけられる。驚きました。僕のnoteブログを読んでいるという。グラップリングの記事も読んでいただいたそうで。

お名前をうかがったら、2回戦で当たる予定の方でした。試合前に僕の名前で検索したのかなぁと思っていたら・・・「Sとの試合のブログも見ました」とのこと。Sさんというのは、僕が初めて試合に出たときに当たった方です。なんと同じジム仲間でした。

(↑このサムネイルで僕に腕十字を仕掛けているのがSさん。今回声をかけてくれた方のジム仲間)

「なるほど!それで僕のブログを読んでいたのか!」と腹落ちする。勝手にブログ記事にしてSさんになんだか申し訳ないなと思いつつ(笑)

この記事も読まれるかもしれませんが、来月のデラヒーバ杯で当たった時はよろしくお願いいたします。Sさんとの再戦も楽しみにしてます🙂

③柔術界の偉い人にプチ恩返しができた話

※どこまで触れていいのかわからないので、今回紹介するお二人のどちらかから消してと言われたら、この項目は消すかもしれません。

今回のGroundImpactで『目撃ドキュン』的な場面に立ち会うことになりました。結論を先にいうと、10年以上も音信不通だった師弟をつなげて再会のきっかけを作ったという話です。

大人気番組だった『目撃ドキュン』

【目撃ドキュンとは?】
2000年ごろに放送されていたテレ朝系列のバラエティ番組です。1コーナーに「人探し」というのがあって、幼い頃に蒸発した父親との再会、命の恩人を探すエピソードがありました。
ネットスラング「DQN(ドキュン)」はこの番組名が由来でもあります。目撃ドキュンの親探しする人(依頼者)に育ちが良くないヤンキーが多かったところから。

Wikipedeiaより

時系列:延藤、浜島さん、Hさんの出会い

  • 今年2月、全日本マスター(JBJJF主催)にスタッフとして参加。JBJJF理事・浜島さんと知り合う。LINEを交換。たまにTwitterでコメントをする関係。

  • 5月、うちのジムにHさん(40歳男性)が新規入会。「10年前まで柔術をやって今回再開しました」というわりにめっちゃ強い。10年遠ざかっているとはいえ、10代(2000年ごろ)から10年以上も柔術をやっていたガチの人でした。2000年というと、まだ日本に黒帯が数えるほどしかいないような時期です。

ある日の練習終わり。雑談していると「延藤さんのTwitter見ましたよ。浜島さんと付き合いあるんですか?」と訊かれる。Hさんは当時、浜島さんに柔術を教わっていたという。

この時は特に何も驚きませんでした。浜島さんは20年以上も柔術の指導をしているので、その中の一人と知り合うくらいは普通にあるだろうと。

翌月、ふとHさんのことを思い出して浜島さんにLINEしました。「Hさんってご存知ですか?」と訊くと、こんな回答が。

まさかの一番弟子だったとは! Hさんは柔術外で怪我をしてそのまま柔術をやめたそうで。

弟子の消息を知るも余韻もなく人材集めに抜かりのない浜島さん(笑

柔術の良さの一つをあらためて発見

Hさんはうちのジムで柔術の練習を再開した当初は「そこそこ上手い」くらいな感じでしたが、その後ジムに来るごとに本来の実力を取り戻し、今ではまったく歯が立ちません。

柔術って理屈や原理原則がモノをいう競技ですね。長年遠ざかって筋力や瞬発力が落ちたとしても、ましてや10年もやってなくても動けるという。逆にいうと、それだけ上達が難しい競技だと言えます。柔術の魅力の大きな魅力の一つですね。

失礼ながら僕は浜島さんが柔術着を着ているのも見たことがなく、どれくらいの実力なのかもわからないのです。明らかにHさん(かなりほっそりしている)と体格が違いすぎて、当時の二人がどんな練習をしていたのかすごく気になります。

Hさん、試合会場に突如現る

今回の大会では僕とMさん以外のメンバーは来ない予定でした。・・・と思っていたら、Hさんが会場に突然現れる。びっくり。

ということで、浜島さんを見つけて「連れてきましたよ」と声をかけました。

師弟の10年ぶりの再会

「おー!元気やっとったか」と余韻に浸ったのは2秒くらいで、浜島さんはすかさず「今日、スタッフが4人も飛んじゃって大変なんだよ。ほんとに。で、今からスタッフ業務に入れる?」と誘う。

※この日の準備(特に会場関係)はかなり大変だったそうです。

20年前の柔術の試合とは?

昼飯はHさんにご馳走になりました。会場(エスフォルタ八王子)に戻る道中、Hさんはおもむろにこんなことをつぶきました。

「こんな会場で試合できるなんて今の人は恵まれてますねー。昔では考えられない」

Hさんが柔術をやっていた2000年代は柔術ジムも競技人口も少なく、会場は体育館を借りて、ビニルテープで試合スペースを区切っただけのものだったそうです。当時は現金書留に試合の申込書を送っていたそうで(現在は全てWeb)。

ちなみに、僕の最初の試合は横浜武道館でした。前回、5月の全日本ノーギオープン(大阪)は丸善インテックスが会場でした。なので、柔術ってすごいなと思っています。試合の進行もいつも時間通り。

昨年柔術を始めたばかりの僕にとっては、これが普通なので、Hさんは浦島太郎的な感覚になっていたことでしょう。(※2023年の全日本マスターのエントリーは1,400人!)

延藤「へー、そんなに今って恵まれてるんですね。浜島さんのStandfmを聴いていると、運営についてのクレームって結構来るそうですよ」

Hさん「まさか(笑) 恵まれていることに気づいてないんですよ」

というやりとりがありました。

JBJJFのスタッフの皆さんのおかげで、一アマチュアでも試合を楽しむことができます。いつもありがとうございます。スタッフ募集がある時はお手伝いに参加しようと思いました。

試合はさんざんな結果に終わりましたが、得るものが多い日でした。


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