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まちサロンおきやんちができるまで【その3 準備】

いつか居場所を作りたい、居場所を作ろうとしている、という人もいらっしゃると思います。参考になるかどうか、もしかしたら、うまくいかないかもしれないけれど、これから立ち上げる東京都杉並区「阿佐谷北3丁目まちサロンおきやんち」ができるまでのプロセスを書き留めておくことで、なにがよくてなにがよくなかったかが、あとで検証できるのではないかと思い、書いておきます。

書いている私の今の立ち位置は、地元に住んでいたことはあるけれど、今は隣の区に住んでいるおきやんの娘がお手伝いしている、という感じです。

【その3 準備】
写真は、第一回の運営協議会です。
初顔合わせで、まだみんな、何をどうしていいのか緊張している感じです。阿佐谷北三丁目町会のコアメンバーを中心に8名が集まりました。
(正確に言うと、私が孫を連れて行ったので、9名です。そこに0歳の赤ちゃんがいたということは、いつかこの赤ちゃんが大きくなったときに、意味を持つかもしれないので、書いておきましょう)

何が始まるのか、まだおきやんの頭の中と書類の中にしかなく、
それも確定しているわけではなくて、
ここから先の流れが誰もわからない状態です。
まずは、おきやんからの説明があり、協力の依頼がありました。
事前にお一人お一人にお願いはしていたわけですが、
まだとても積極的に、とはなれない段階だったと思います。
まずは話を聞いてみようと集まっていただけたのが幸いでした。

今どきの『起業』のノリならば、
みごとなプレゼンをして感動を得て、その勢いでスタート、
ということもあるのでしょうが、
地域のごく普通の人たちの草の根の居場所づくりですから、
パソコンは、現場の写真をお見せするのに使う位、
静かなスタートです。

そもそも、おきやんのつながっている人たちは
すでに長く務めた仕事をリタイアした次の段階の方たち。
インターネットを日頃あまり使わない人もいる、という状況の中で、
どうやって、人のつながりをつくっていくかというと、
本当にこれから一軒一軒挨拶して回るしかないのかもしれません。

 私は30歳で勤務大学に学生相談室をオープンした際に、
 大学の先生方100人の研究室と各部署を全部回って、
 教職員に挨拶して回りました。
 新しいカウンセラーが来ると、一緒に回りました。

 それは師匠である小倉清先生が米国から10年ぶりに帰国して、
 病院勤務になったとき、病棟を回って看護婦さんたちに挨拶をした、
 という話を聞いていたからだと思います。
 小倉先生は日本の精神科病棟で初めて、看護婦さんによる患者さん一人ひとりの担当制を導入なさった方です。医師と看護師さんたちの関係性を変えたからこそ実現したシステムでした。

 同様に、トロントの若者支援をしていたアドニスは、
 地域の貧困層の家々全部のドアの下からユース新聞を滑り込ませ、
 浮浪者となっていた若者たちをユースセンターに引き付けて、
 彼らの人生を変えていきました。
 公園のバスケットコートで遊んでいる若者たちに
 声をかけて一緒に遊びつつ誘ったとも言っていました。

 そういう地道な方法が、地域にはあっているように思います。

  そう考えると、おきやんちから自転車で20分以上かかるところに住んでいる私は、やはり地域密着型のおきやんちには後方支援の形でかかわるか、
毎日、通勤?する覚悟が必要なのだと思います。後者は現実的にできないので、後方支援、つまりこのような文章を書いたりすることで、応援するという道を選択しています。

さて一方、集まって下さった方たちは、
地元で長く生活を営んできたというアドバンテージがあります。
長年の付き合いはその人とどう呼吸を合わせればいいかを教えてくれます。

彼(女)とは○○年の付き合いだ、とおきやんが言うたびに、
そういう歴史がある関係性が持てることのすばらしさを思います。
月日を重ねるということそのものの持つ重みを感じます。
それこそが、地域の宝であり、可能性なのだと思います。

初回は、おきやんがこういうことをやりたいので協力して欲しい、
という説明と依願の会でした。
皆さん、自分との距離を測りながら、やりますよ、と言って下さいました。

ちなみに会場となった杉並区立阿佐谷地域区民センターには、
杉並協働プラザが入っていて、
そこに私の知人や、この活動に関心を持ってくださる若手の方などがいて、お話しできたのはうれしいことでした。
じっくりゆっくり無理のない範囲で、
人とつながっていけたらいいな~位に思っています。

クラウドファンディングはこちらから。


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