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神奈川県社会福祉士会講演のQ&A

2023年7月30日 神奈川県社会福祉士会主催 公益社団化10周年記念講演において、みなさんが休み時間に書いて下さった質問状にお答えすることができなかったので、このNOTE でコメントさせていただこうと思います。
考える視点を下さった皆さんに感謝いたします。

コメントへの返信は、丁寧に対応すると、講演時間の何倍もの時間がかかってしまいますので、雑駁になります(すでに講演時間を超える時間で書いています)。あらかじめご承知おきいただければ幸いです(あんまり突っ込まないでください!!)

最初に、第二部の最後のコメントをまとめ、お伝えしたかった(けれど言えなかったことも含めて)ことも書いてみます。

つるの剛士さんのようにウルトラスーパーイクメンは、とてもうらやましいけれど、残念ながら、社会にはそんなにいない。イクメンナンバー1のつるのさんにあこがれて、そういう親を目指したら、親たちは辛くなるかもしれない。そういう父親に出会えない大多数の子どもたちのために、そういう親になれない親たちのために、生物学的親ではなく、社会的親という考え方が必要ではないか。もう生物学的親による子育てを支援する時代ではなく、みんな=社会的親が育てる時代ではないか。

つまり、子育てには村中の人が必要と言われるのに、母親にイクメンが一人ついて2人になってというモデルが考えられていて、でも、実際のところ、2人では子育てには足りないのである。父親の産後うつが出てきている。2人では、親にとっても子どもにとっても足りない時代である。

トリニダードのように、母親の役割は産むだけで、生み落としたら、誰かが育ててくれるという位のイメージが持てないか。そこまでいかなくても、3人以上の大人が数人の子どもたちに関われるようにするにはどうしたらいいかを考えなければならない。誤解を恐れずに言えば、誰かに責任が行かない位、ごちゃまぜにすることが必要だと思う。

一人で頑張っているから、子育てをほめてほしくなるのであって、ほめなくても、ほめられなくてもいいように、たくさんの人が少しずついい加減に関わればいい。ほめてほしくなったら、子どもたちがうまく育っているということもほめてほしくなる。それはやりすぎ教育につながってしまう。

一方で、大変だからと言って、保育園や学校や他人に子どもたちを預けてしまったら、大人が育たない。子育ての放棄を社会的に進めてはいけない
みんなが子育てできない大人になって、今よりもっと大変なことになる。
子育てを体験することで大人は学び成長する。だから、自分の子どもがいようといまいと、大人が子育てに関われる社会が必要。

スリランカでは貧困家庭の家に泊まらせてもらったが、抱っこひもなど持っていない。多くの人の手があるから、ひもを使う必要がない子育てをしていた。インドネシアの布は、日本円で2000円しない。それ一本でずっと使える。他の用途にも使える。日本では、今、3万円もする抱っこひもが売れている。子育て応援券を使って購入されている。最初の購入品に選ばれるためにできるだけ対象月齢を多くして、新生児から首を手で支えない縦抱きがOKということになっている。子育てのしんどさにつながる子どもたちの発達不全が心配だ。

農のある暮らしが必要。何かを育てるという経験を持って、失敗もして、その上で子どもを育てるという順番を守る。産前教室はもちろん、できれば子どもの頃から、赤ちゃん育ての体験をしておくことで、子育ての負担が大きく変わる。家事も、結婚してからでは遅い。家事育児を子どもの頃から体験できる社会が必要。そのための工夫が日常生活の中でなされるように(学校の負担をこれ以上増やさないで)できないか。

ゲームについては、火や車やお酒のように、効用もあるけれど危険もある。どちらか、ではない。そのことを子どもたち自身が知っていることが必要。そのために大人たちが安全に使うための情報を持っていなければならない。

価値観を変えていく必要がある。それは、とても長期的で大変なこと。それでも、私たちは、500年度、1000年後を考えて、今、行動しなければならない。カナダの先住民族のように七代先の子孫のことを考えて行動するのである。日本でも東北の沿岸の人たちは、1000年も前に、ここから海の方に家を建ててはならないと、碑を建てておいてくれたのに、言うことを聞かなかった私たちがいる。今度は私たちが、のちの世代のために、自分たちが何をすべきか、自分たちの取るべき行動を考えよう。

Q&A

1.何者でもない一人の大人が、今日からできること、とは何でしょうか。
本当は自分で考えなくてはならないのですが、ヒントを教えてください!


この質問を書いて下さったかたは、「質問する」というアクションを起こしました。まずはそこからだと思います。とにかく、いまできることをやってみる。あきらめない。「どうせ無理」と思いかけたとき、「だったらこうしてみたら」いいんじゃないか、と思っていたら、きっと「いいこと思いついた!」が出てくると思います。
みんな、いつの間にか、できない、とディスエンパワーされてしまっているのが日本人だと思います。だから、自分にもできるかも、と自分を疑う(笑)こと。大きなことでなくていいのです。今の自分にできることから始める。世界平和は、自分の身近な人との関係をよくすることから始まるのです。

「何者」でなければ何かができないとか、「何者」ならできるとか、思わないようになること。これが大事です。一国の首相には、目の前の一人の赤ちゃん、隣の家の子どもを幸せにすることはできないかもしれない。できるのはその赤ちゃんの横にいる人です。赤ちゃんに、大人たち、子どもたちの笑顔をたくさん見せることです。赤ちゃんはその情動を五感で受け止めて育つのです。人の基礎の安定した心は、周囲の人たちの笑顔によってつくられるのです。国の予算で、経済的支援で、幸せになるわけではありません

 たくさんの人たちが、自分のところでできることに取り組むことが必要です。取り組もうをしている人たちと、まずは、今日のように、笑顔で声かけあって、つながって下さい。

2.体と心と脳の違いについて。心と脳は似ているように思いますが、何が違いますか?

日本語は、感じる、と、考える、をごちゃごちゃにする言語です。
私は悲しいと考える、私は悲しいと感じる。
私はそれがおかしいと考える、私はそれがおかしいと感じる。
両方使いますよね。
ちょっと難しいですね。
悲しいと頭で考えているのと、悲しいと心で感じているのが、同時に起きていたりします。そして、最近は、考えていることを、感じると表現する人も多いので、余計にわかりにくいのだと思います。

私は脳神経科学の専門家でも、精神分析の専門家でもないので、適切に説明できるかあまり自信はないのですが、説明を試みてみます。

思春期で説明しましょう。
まず身体的発達、性的変化が急に亢進します。
ホルモンの働きが男女で変わってきます。
思春期の子どもたちは、自分の身体の急激な変化に驚き、他の人はどうなのだろうと、周りを見回すようになります。
男女の違いに気づくし、男でも、どうやら魅力的な男とそうでもない男がいて、女の子がかっこいい男にキャーキャー言っている、というようなことに関心を持ちます。
そうすると、が揺れます。
場合によっては、ほのかに好きな子ができたりして、その子はどんな子が好きなんだろうと思ったりします。そして嫉妬したり、うらやんだり、自分の方がちょっといいと思ったりします。
そうして、今度は、自分が少しでも良くなるように、おしゃれをしてみたり、知識を得てみたりし始めます。頭(脳)を使って、周囲との比較、過去との比較などをして、何とかよりよい自分を作ろうとし始めるのです。うまくいかないと悩んだり(心)もします。あきらめようとしたりもしますね。

次に赤ちゃんで考えてみましょうか。
寝返りができるまで、赤ちゃんは、あれが欲しい、とかあっちを見たい、とかいろいろな「世界を理解して生き延びよう」とする学びの欲求や心地よさによってを少しずつ動かして筋トレしたり、バランス感覚を養ったりしています。
できるとうれしいし、できないと悔しいし。それらはまだ漠然とした感覚ですが、大人の感情と連動(調律)するように、(感情、情動)が動き出すのです。そうして、ニコニコしたり、泣いたりします。心は、内臓や体の内部、自律神経が動く感じを脳が受け止めて、ドキドキワクワクソワソワざわざわキューンしんみりなどとする感じです。
そこに第三者がやってきて、いろいろと働きかけると、赤ちゃんは必死で、他者の行動や言葉や世界そのもののありかたを理解しようとします。少しずつ少しずつシナプスの電気信号がつながって、が発達し、思考の回路がつながっていくのです。次第に知識が増えて来て、知識と知識がつながっていき、関係性が理解できるようになって、予測の下に動いたりすることができるようになっていきます。

もう少し正確な説明ができるといいのですが、今日はこの位で。

3.一歳半の子どもが怒ると物を投げたり身体を叩こうとします、それもキレるという行動に入りますか?

一歳半の子どもは、まだ言葉がありません。自分の感情の扱い方も勉強中です。だから、何をすれば効果的かを探っています。物を投げたら、大人がびっくりした、あるいは思い通りに事が運んだという経験が続けば、それが効果的なのだと理解して、繰り返すようになります。また、大人や上の年齢の子どもたちがどのように怒るかを観察していますから、そういう場面を見れば、真似もするでしょう。
子どもたちには、社会で生きていくためには、どのような感情の扱い方が適切であるかを、大人たちが丁寧に教えていく必要があります
まずは、何に怒っているのか、感情を言語化して伝えたり、その場でどうすればいいかをやってみせたりしてみましょう。子どもが信頼している大人が繰り返し伝えていけば、子どもにはしっかりと学ぶ力があります。子どもは社会に受容されるように学習するからです。
また、もし子どもがキレるような行動をするとしたら、それは大人がその子どもに対してうまく対応できていないときに起きることですから、大人が行動を変えてみることが必要でしょう。甘やかすのではありません。対話をして、大人も子どももお互いに事情を説明して、主張して、折り合いをつけるのです。それは民主主義の基本であり、お互いの人権の尊重です。そのためには常日頃から、子どものことば(言語ではなく、子どもの身体が訴えている言葉のことです)を聴き取り、共感(すべて受容するということではなく、そういう気持ちなのだと理解)する努力を続けることです。
キレる、という行動が、感情を爆発させる、ということだとしたら、ご質問の答えは、ハイそうです、ということになりますね。でも、それは子どもの性質ではなく、性格でもなく(そうなりやすい生物学的条件、気質というのがある、と主張する方たちもいますし、事実そういう面はあるでしょう。でもそれだけでなく)、そうさせている大人がいるということだと思います。

4.実際に子育てボランティア(ファミサポなど)を募集しても人が集らず、(人々が)子育ての社会化、地域のつながりをやってみたいと思うようにする工夫はどうしたらよいでしょうか、

どうして人が来ないのだと思いますか?
繁盛するレストランには理由があります。人が来ないレストランには理由があります。その理由を一つずつ考えて、みんなが集って来るように、マイナス要因を取り除いていきましょう。
また、もしかしたら、自分は良いことをしようとしているのに、人が理解してくれない、と思っていませんか。こんなにおいしい料理を出しているのに、とか、これは社会に必要なのに、とか。一度立ち止まって考えてみましょう。人を動かそうとするのではなく、まず自分が変化してみましょう
でも、なかなかむずかしいかもしれませんね。
自分がやりたい、と思うことを、人がやりたいと思うことと繋げるには、それができている人のやり方から学ぶことが早いかもしれません。相手の立場に立つことが必要ですが、そのためにはどうしたらいいか、成功している人や場を見つけて、学びましょう。

5.ヤングケアラーの今日的な課題について、考えを聞かせてください。

私は、ある意味、ヤングケアラーだった時期があると思います。辛かったです。でも、そのおかげでいろいろな力をつけることができたのは事実です。長い人生を考えると、そんなことを引き受ける時期というのがあるかもしれませんが、そのことによって、自分や社会をよくすることができる場合があります。だから、ヤングケアラー=悪というふうに考えていいのかどうか、私にはよくわかりません。
何事も、度合いというものがあって、人を死に追いやったり、苦しくて動けなくなるまで追い詰めるようなことは、できる限りない方がいいと私も思います。でも、たとえば、みんなが高校に行くから、同じ時期に高校に行ったほうがいい、というのは本当でしょうか。年齢と学校が違ってもいい、と私は思います。だから、行けるときに行ければいい、みんな一緒のことを同じ時期にしなくてもいいような社会がいいなと思います。
ヤングケアラーの問題として、たとえば、ネットにはこんなふうに書かれていました。
・学業に影響する
・交友関係が希薄になりやすい
・睡眠不足や生活リズムが崩れるなど健康が損なわれる
・就学機会の制限がある
これって、ヤングケアラーの問題でしょうか。むしろ、学校や社会の問題ではないでしょうか。いつでも誰でも勉強できる機会がある社会、いろいろな場で人の関係が作れる社会でないことが、問題を大きくしているのではないかなあと思います。私にはその方が大きな問題であるように思います。

6 父親が厳しく子どもを指導する事例がある。このような父親に、熱心すぎるきつい指導は子どもが耐えられないと知らせる方法はあるか。

教育虐待ですね。noteにいろいろと書いている(「教育虐待まとめ」というタイトルで検索してみてください)ので、そこから学んでいただけるでしょう。その父親は子どもへの適切な接し方を「知らない」のですから、「知って理解すれば」変わるでしょう。そのためには父親に信頼されることがまず必要になりますね。ソーシャルワークや心理学を学んでいただくといいと思います。

7.子どもが生き辛さを感じないような社会を作るために、親世代にできるはじめの一歩は何だとお考えになりますか。

自分が笑顔になり、幸せに生きる姿を見せること。そういう人たちが集まっているコミュニティで子どもを育てること、自分にできることがあると信じ、未来に希望を持つことだと思います。あきらめないでください。
講演の最初に、笑顔の練習を入れたのは、そして、コミュニティという言葉を使ったのは、お互いに声をかけあいましょうと言ったのは、講演での経験が後で何かにつながってくれるといいなと思ってのことです。

8.抱っこの仕方について、前向きと後ろ向きのどちらがいいのか。

自分がされるとしたら、どんな抱っこがいいですか?まずは自分で考えて見て下さい。同じ姿勢でやってみるのが一番です。長時間か短時間かなど、いろいろと条件を変えてやって見て下さい、前か後かではなく、子どもの心身と脳の発達を考えて、どういう抱っこがいいか、を考えることが必要です。
ただ、もし、知識を身につけたいと思うのであれば、「だっこ room」 で検索してみて下さい。

9.5つの質問
① 先生或いは先生の周りで社会変革をしたことは何ですか。

 いろいろありすぎて、どれかをあげるのは難しい(時間がかかる)です。大きなことでなくていいのです。きっかけを作れば社会は動いていくでしょう。私は社会の進む角度を1度変えたいと思います。100年後には社会が少しは変わっているでしょう。
 もし、具体的なことを知りたい場合は、別の講演会を開いてくださいね!

② スライド資料はどこで見られますか。
 私がsnsで発信していたり、書籍を出したりしていますので、それらを参考にしてください。SNSをフォローしてください。また、一般社団法人ジェイスのウェブサイトを見ていただくといいでしょう。その際、まずは、「今、子どもへの社会的マルトリートメントを考える」をYOUTUBE で見て下さい。

③ 多様性のある社会でどのレベルで価値観を統一していけばよいのでしょうか。
 価値観を統一する必要はありません。みんなで対話しながら、合意を作っていく方法を拡げましょう。それが民主主義です。工藤勇一先生のおっしゃるように上位目標であれば、合意は可能かもしれません。現実にはそこから落としていかなくてはなりませんので、そのために対話が必要になります。

④ 学校教育でおかしな先生が出てくるのはなぜですか。
 人は追い詰められると変なことをします。余裕のある生活が必要なのでしょう。
 でも、そもそも、自分もあなたも、人は大体おかしいものです。誰から見てもおかしくない人というのは、普通ではないですよね。もし正しい先生だけの学校があったら、それは正しい学校ではないと思います。
 社会には、いろいろな人がいるので、子どもたちもいろいろな人に出会えるといいと思います。ただ、担任一人で、一年間全部の授業を担当する、そこに外部の目が入らないというのは問題だと思います。風通しのいい学校にすることが必要でしょう。

⑤ 軍隊教育を変えるためには?
 パウロ・フレイレの「被抑圧者の教育」新版が出ていますので、それを読んでいただくといいと思います。

 とても大きな質問を5つ出されました。講演の後の短い時間に到底答えることができる量ではありませんでした。一冊、本が書けそうです!!またの機会にじっくりお話ししましょう。

10
① 市民の立場から行政の総合計画策定に関わっています。行政が子育てのセーフティネットになるにはどうしたらよいでしょうか。

 市民が参画できる仕組みを作ることでしょうか。東京都世田谷区のように、子ども子育て会議に多くの市民が参加できるようにすることから始めてはいかがでしょうか。 
② M市では、学校でもない家出もない居場所づくりを行っていく予定です。どういう居場所・コミュニティがいいとお考えでしょうか。
 自分はどういう場所が居心地がいいですか。まずそれをしっかり考えてみて、実現するというのはどうでしょうか。
 自分の住んでいる地域の歩いて行ける、あるいは自転車で行けるところにあり、ゴロゴロできる場所。そこがいやになったり、居心地が悪くなったら、別のところに行ってもよく、戻っても来られる場所でしょうか。
 居場所については、別途、それだけで講演できますが・・・とりあえず、①5か所以上の②評判がよく③いろいろな種類の居場所に自分の足で行ってみて、そこに数時間ずつ居て、感じてみましょう。そうすると見えてくることがあると思います。

11。子どもを育てる場、というスライドには、教育委員会が書かれていません。教育委員会の活動は学校・幼稚園だけが活動の場でないことはご存じと思いますが、教育委員会の活動の「子どもを育てる場」における位置づけ、役割に関して、どのようにお考えなのか、ご教示いただければと思います。

 スライドは模式化したものですので、入っていない機関や機能がほかにも多数あることをご了解いただければと思います。全部入れてしまうと、モデルではなくなります。でもご指摘によって、教育委員会の機能がクローズアップされるとぃうことは大事ですね。ありがとうございます。

 教育委員会は、生涯学習や社会教育、スポーツなども管轄しています。図書館や公民館も入ります。図書館などは、特に最近、ずいぶん各地でいろいろな工夫がなされるようになっていて面白い動きがみられますし、社会教育や生涯学習も随分と頑張っておられます。
 ただ、日本中の教育委員会が「子どもを育てる場」としての機能を十分に果たしている代表的な機関であるかというと、そう言い切るのは難しいように思います。職員さんはとてもいい方が多いと思いますが、残念ながら、学校教育の力の方が強いので、なかなか広がっていないように感じています。
 その辺りの課題については、もう10年以上前になりますが、社会教育学会の書籍の書評(日本教師教育学会誌に掲載)にも書いたことがあります。その後、良い方向に変化しているように思いますが、現状において一番の役割はというと「先生たちの視野を広げ、頭を柔らかくする」ことではないでしょうか。一度、社会教育主事になられた先生方が、学校に戻っていくと、いい動きをなさるのではないかと思います。
 さて、デンマークのような生涯学習の考え方が日本でも導入されるといいと思いますが、まだまだ遠い道のりのようです。リカレント教育などが言われるようになりましたが、まだ産業ベースで、個人の人生ベースで考えられてはいないようです。ペダゴー的な人材の養成がなされたり、フォルケホイスコーレのような学校が増えたりするといいと思います。ユースワークももっと広がるといいですね。これからの可能性に期待しています。

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