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8、社会復帰は波乱含み  ⑨3つの“D”

8、社会復帰は波乱含み  ⑨3つの“D”
話は、私が大変お世話になったKデスクが倒れたという一報を受け、三鷹の杏林大学病院までその夜に車で駆け付けたところまで遡る。
Kデスクの病室を聞き入ろうとすると、廊下までKデスクの声が漏れていた。しかも、それは話声ではなく、「うううううっ」といったうめき声のようなものだった。一瞬、自分の身体が硬直するのがわかった。「何が起きているの?そんなに辛いとか、痛い症状なのだろうか」
病室に入り、カーテンで仕切られたKデスクのスペースに入ると、そこには看病で付きっきりの妻のMさんがいた。Kデスクが話してくれていたのだろう、
「ああ、神津さんね」と、すぐわかってくれた。少し安心して、道々買って来た花束を手渡した。
が、そこに横たわっていたKデスクの姿に、しばし私は凍り付いてしまった。自分が知る有能なデスクの姿はそこには無く、訳のわからない大きなうめき声、叫び声を挙げていたのだった。
「え、何が、起きたのだろうか」
状況が全く把握出来なかった。

Kデスクはくも膜下出血と、Mさんが話してくれた。それにしても、このような症状になるものなのだろうか。ずっと声を出し、ベッドの上で動いている。ひと時もその動きは止まる事はない。それでも、Mさんが
「神津さんのことが、わかるんじゃない?これでも、今までよりも叫び声とかマシで、おとなしい方よ」
ただただ驚き、言葉を失って立ち尽くした。人間はこんなになってしまうものなのだろうか。いや、なってしまうものなのだ。
Mさんにかける上手い言葉も見つからないまま、いたずらに過ぎた。

病室を出る時も、上手く足が動かなかったような気がする。
去り際に、Mさんが私に話しかけたのか、独り言だったのかわからないが、発した言葉は、今でも耳に残る。

「やっと会社は、主人を私に返してくれたと思ったら、こんな姿になってしまって…」

言葉を返す事も出来ず、その場を立ち去った。どのくらいの間、病室にいたかも覚えていない。病院を出て、駐車場に向かった。夜は深まっていた。辺りは真っ暗だった。自分の車を発進させようとしたら、どうしてそうなったのかも覚えていないが、隣に並んで停車していた車にぶつけてしまった。特に車間が狭かった訳ではない。それほど、見て来た光景を信じる事が出来ず、動揺していたのだと思う。その車の運転手が戻るのを、ただひたすら車の前で待ち続けた。ぶつけてしまった相手の車がVOLVOだった事は、痛かった。

Kデスクは、その後、元の仕事に戻る事はなかった。調査部に配属になり、仕事を全うした。大好きだった映画の解説のボランティアを地元でやっている事も、ずっと後で、後輩の女性記者Sのコラムで知った。『前にすすむということ』という、そのコラムは、今でも、我が家の冷蔵庫に貼り付けてある。

数年前、多摩支局出身の写真部のOらの声掛けで、東京駅近くで支局の同窓会が開かれた。嬉しい事に、Mさんに連れられてその集まりに、Kデスクも出席した。舌が上手く回らないなりに挨拶の言葉も述べていた。
「私のこと、わかりますか?わかりますか?」
何度か尋ねると、ニコニコ笑みを返してくれた。言葉は返してはくれなかった。
が、自分の事をわかってくれたと、信じたい。

Kデスクはその後、天に召され、多くの当時の社会部などの仲間が本社でMさんや息子さん出席のもと、お別れ会が開催された。Mさんは、本当に良く会社まで来てくれたなあと、心から安堵した。晩年は、あちらこちらに家族旅行されたらしく、その時の写真が多く掲示され、デスクの、ご家族の笑顔が溢れていた。

嬉しかった。

このように私が入社してからお世話になった多くの上司が、天寿を全うすることなく、早く旅立って行った。
入社時のH編集局長、社会部でお世話になった同期同士だったM、W部長、同じくその同期の多摩のA支局長、遊軍長として誰よりも原稿のノウハウを詳しく指導してくれたI遊軍長、サツまわりで一緒に夜回りしてくれた大学では同期、会社では先輩のM、宮内庁担当キャップだったKなど、本当に多くのお世話になった方々が驚くほど早く…。

そんな日本の新聞社の実態を知って欲しく、後に自分はカナダ・トロントに移り住むのだが、そこで毎日通学したトロント大学イングリッシュインテンシブクラスで、世界中から集まって来ているクラスメイト達の前で、スピーチしたことがあった。
“3つのD”。DESEASE、DEVORSE、DEATH。自分が勤めていた会社の中で、一般企業より多く起きていると。それは、個人的見解として新聞記者という、ストレスフルな職種に寄るのではないか、説明した。スペイン、フランスなどのヨーロッパ、韓国、日本などアジアの国々から本当に多くの人間が留学して来ていた。その多くの仲間が驚き、そのスピーチを絶賛してくれた。
「誰のスピーチよりも素晴らしかった!!」
西洋の人たちは、意見がストレートだ。そして、私自身にも大変興味を持ってくれるようになった。

複雑な気持ちにもなったが、そんな話を英語で皆に伝え、彼らの気持ちの中に何かしら響くものがあったのだから、良しとしようと思った。

<写真キャプション>
数年前の多摩支局の同窓会で、久しぶりに会ったKデスク。顔色も良く、元気そうだったので、その死は、しばらく受け入れがたかった。

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