フリーランスライター神津伸子

元産経新聞記者で、フリーランスライターの神津伸子です。現在はスポーツを中心に様々なノン…

フリーランスライター神津伸子

元産経新聞記者で、フリーランスライターの神津伸子です。現在はスポーツを中心に様々なノンフィクションを書いています。よろしくお願いします。

マガジン

  • 昭和女新聞記者物語

    元産経新聞記者で、現在はスポーツを中心としたフリーランスライターです。 産経新聞では編集局社会部、文化部です記者をしていました。 今まで朝日新聞社の本紙、AERA、4years https://4years.asahi.com/author/11002721 文藝春秋社Number web https://number.bunshun.jp/list/author/%E7%A5%9E%E6%B4%A5%E4%BC%B8%E5%AD%90 Japan in Depth https://japan-indepth.jp/?tag=神津伸子&paged=3 などに書いて来ています。 お仕事の依頼は175cumberland1501@gmail.comまでお願い致します。

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昭和女 新聞記者物語

☆2020年8月18日     はじめに   新型コロナウィルスの影響が、まだまだ私たちの生活に大きな影を落とし続けています。 時間が出来た今、改めて自分のここまでの仕事を振り返ってみようと思い立ちました。それを書いている内に、行く末に関しても考えがまとまって来るかもしれないと、思い始めました。 昭和62年2月1日。 自分は産経新聞社に入社して、新聞記者という仕事に就きました。 前年末、新卒から3年9か月間勤務したシャープ株式会社東京広報室を辞しての、転身でした。正直

    • 新たな足音  ⑥新聞に出ちゃったよ

      新たな足音  ⑥新聞に出ちゃったよ さて、1993年4月に満6ケ月になった長女を保育園に預け、職場復帰した。手がかからず、病気もほとんどしないまま、慣らし保育に突入。もっと、長男の時のように1年間ずっとその成長ぶりを眺めていたかったが、このゼロ歳児の新年度入園を逃すと、預ける事が至難の業になって来る。 良く当時、今もかもしれないが、空き状況によっては、まあそもそも年度途中で空きがあるなんて、奇跡的な事だったが、兄弟を別々の保育園に預けなければならないという事例は、ここそこで

      • 9、新たな足音  ⭐︎ウシ、モーモー

        9、新たな足音   ⭐︎ウシ、モーモー 念願の長女を秋に出産し、2度目の産休・育児休暇を取得することになった。しかも、育児休暇制度を会社に作って貰って、その1号も2号も自分になってしまって、申し訳ないと思う気持ちと、後輩たちも後を追って来てくれたら、全面的にバックアップしようと言う強い決意でいた。 そんな思いで取った子供たちとのひと時であった。が、出産直後から、大変な事が起きてしまった。出産までは順調だったのだが、産後、歩行が困難になってしまったのだ。一歩足を前に踏み出

        • 新たな足音 「神津クン、読書面、どうだ」「それが…」

          9、新たな足音  ⑤「神津クン、読書面、どうだ」「それが…」 産経新聞社の文化部には前から書いているように、文化班、生活班、読書班、囲碁将棋班に分かれている。長男を妊娠して、希望して社会部から異動させてもらい、既に文化面で演劇を書き、生活面で働く女性問題、育児、教育、街ネタなど様々書かせてもらって来ていた。お陰で本当に多方面に取材、出張に出かけて、順調に日々を送っていた。 それもこれも、全て長男がスクスクと健康に育ち、2歳を過ぎ、保育園にもすっかり馴染み、家族の協力、部のメ

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        • 昭和女新聞記者物語
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        記事

          柴田恭兵夫妻がカッコ良過ぎた

          9、新たな足音  ー柴田恭兵夫妻がカッコ良過ぎた 産経新聞社時代に国内出張は、北海道から九州までちょくちょく出掛けたが、海外出張は後にも先にも、一度きりだった。 それは、夢のようなロンドン・リバプールでの時間だった。 文化部に異動になって、最初は希望通りの演劇担当となり、出産まではずっと演劇記者会に所属して、歌舞伎の勉強もしつつ、演劇に関して書いていた。が、1年間の育児休暇が明けると、当時ではまだまだ珍しかったママさん記者と言う特性から、生活面に移る事になり、書き続けて来

          柴田恭兵夫妻がカッコ良過ぎた

          新たな足音  ー3Kが好きー

          さて、仕事をしていると、当然だが、苦しく辛い事も多いが、これぞ!!と、やり甲斐を感じる事も少なくない。だから、やめられないのだが。 生活面での連載企画は社会部から異動になって来たH生活面担当部長の意向で、当時は絶え間なく若い記者で回して、続いていた。 その中でも、山田かまちの連載に続いて、あ、どちらが先だっただろうか、文化部長賞をいずれもいただいたのだが、思い出の企画がある。 当時、リクルート社が発行していた、現場仕事を中心とした『ガテン』という求人誌がきっかけで、この中に“

          新たな足音  ー3Kが好きー

          9、新たな足音  ①保育問題はいつの世も大問題

          9、新たな足音  ①保育問題はいつの世も大問題 さて、女性が仕事を続けて行く上で抱える何よりも大きな問題は、やはり育児との両立だと思う。これは、いつの世も変わらないのではないだろうか。 現在、私の周りでも沢山の友人が既にバアバとして、孫の保育園の送り迎えを担当したり、ずっと預かったりして、奮闘している。親が子供たちが仕事を続けて行くための強力なサポーターである事は、今も昔も変わらない。 平成初期に小さな子供を抱えて仕事を続ける事は至難の業だった。私のように、実家の手が借り

          9、新たな足音  ①保育問題はいつの世も大問題

          8、社会復帰は波乱含み  ⑨3つの“D”

          8、社会復帰は波乱含み  ⑨3つの“D” 話は、私が大変お世話になったKデスクが倒れたという一報を受け、三鷹の杏林大学病院までその夜に車で駆け付けたところまで遡る。 Kデスクの病室を聞き入ろうとすると、廊下までKデスクの声が漏れていた。しかも、それは話声ではなく、「うううううっ」といったうめき声のようなものだった。一瞬、自分の身体が硬直するのがわかった。「何が起きているの?そんなに辛いとか、痛い症状なのだろうか」 病室に入り、カーテンで仕切られたKデスクのスペースに入ると、そ

          8、社会復帰は波乱含み  ⑨3つの“D”

          8、社会復帰は波乱含み  ⑧デスクの発病

          8、社会復帰は波乱含み  ⑧デスクの発病 産経新聞社に就職して、編集局社会部、支局、文化部で記者として走り続けて来た。出産をしても、育児休暇制度も作って貰い、活用第一号にもなった。本当に、夢のようにかけ抜けた日々。就職はするものの、結婚して、出産退職して子育てするのかしらと、漠然とイメージしていた、テキトーな女子大生だった。 大学を卒業する時に思い描いていた人生と、全く違う道を歩んでいた。驚くべき事だったし、とても幸せな事なのだと、噛み締めて日々を大切に送っていた。 そんな、

          8、社会復帰は波乱含み  ⑧デスクの発病

          8、社会復帰は波乱含み ⑦五輪と五輪の狭間で、アスリートは

          8、社会復帰は波乱含み ⑦五輪と五輪の狭間で、アスリートは いつも日本のスポーツ報道を見ていて、自分も現在もそれに携わるものとして反省も含めて、残念でならない事がいくつかある。 スポーツ偏重はその最たるものだが、報道とはいえビジネスなのだから仕方ないだろうと、あちこちから怒号が飛んで来そうだ。が、このテーマは自分が大学の卒業論文にも取り上げたテーマで、そんな昔から今に至るまで全く変わらないのも、どうかとも思う。 もう1つは、アマチュアスポーツが、いつも大きな大会の直前でな

          8、社会復帰は波乱含み ⑦五輪と五輪の狭間で、アスリートは

          8、社会復帰は波乱含み ⑦五輪と五輪の狭間で、アスリートは

          8、社会復帰は波乱含み ⑦五輪と五輪の狭間で、アスリートは いつも日本のスポーツ報道を見ていて、自分も現在もそれに携わるものとして反省も含めて、残念でならない事がいくつかある。 スポーツ偏重はその最たるものだが、報道とはいえビジネスなのだから仕方ないだろうと、あちこちから怒号が飛んで来そうだ。が、このテーマは自分が大学の卒業論文にも取り上げたテーマで、そんな昔から今に至るまで全く変わらないのも、どうかとも思う。 もう1つは、アマチュアスポーツが、いつも大きな大会の直前でな

          8、社会復帰は波乱含み ⑦五輪と五輪の狭間で、アスリートは

          8、社会復帰は波乱含み  ⑥愛すべきメダリストたち

          8、社会復帰は波乱含み  ⑥愛すべきメダリストたち 産経新聞社に入社以降、社会部、多摩支局、文化部と、記者として渡り歩いて来た私だったが、子供が出来て自分を取り巻く状況が変わっても、一貫してその希望は貫き通していた。 が、小さな赤ん坊を抱えての、週末のアマチュアスポーツの試合や、平日夜遅くまでのプロ野球の取材は、物理的に厳しいものがあった。 なので、社会部でも叫び続けたように、文化部に異動してからもスポーツ関連の記事を書く機会を虎視眈々と狙っていた。何度か、その機会に恵まれて

          8、社会復帰は波乱含み  ⑥愛すべきメダリストたち

          8、社会復帰は波乱含み  ⑤追っかけママ参上!

          8、社会復帰は波乱含み  ⑤追っかけママ参上! 産経新聞文化部生活面の連載記事は、好評だった。私たち記者もまとまったものを書く力をつけろ、という当時のH生活班担当部長のお陰で、とても良い場を得たのだと思う。 新聞と言う限られたスペースでは、なかなかまとまったものを書く機会はなかった。いかに端的に要領よくまとめるか、そんな方向を求められていた気がする。 特に若い記者でも、多くの書くスペースを貰えたので、本当に良い鍛錬の場となった。私も 連載を好んで書いていた気もする。今、思い

          8、社会復帰は波乱含み  ⑤追っかけママ参上!

          8、社会復帰は波乱含み  ④山田かまち 大人にならない彼

          8、社会復帰は波乱含み  ④山田かまち 大人にならない彼 文化部での仕事の話を続ける。 文化部には、社会部から多くのデスクや部長クラスの人間が異動して来た。W文化部長警視庁サブキャップとしてお世話になったO、文部省担当だったKなど。社会部ではデスクとしてお世話になったH生活班担当部長が、ある日の生活班の企画ミーティングで提案した。 「若い記者たちに書く力をつけさせたい。だから、生活面で、どんどん連載企画を展開して行こうじゃないか」と。 実に素晴らしいアイデアだと思った。考

          8、社会復帰は波乱含み  ④山田かまち 大人にならない彼

          8、社会復帰は波乱含み  ④諦めない心

          8、社会復帰は波乱含み  ④諦めない心 職場での通称使用、保育行政など、少しかたい話が続きそうなので、保育行政の変革に対しての、我ながら感心する一手について書くより、少し楽しくリラックス出来る話を書きたい。 妊娠した事で、ハードな社会部での仕事の継続が難しくなり、比較的、仕事の計画が予め立て易い文化部に異動を希望した。そして、異動後、最もやりたかった演劇担当記者となった。が、長男の出産、育児休暇を終えて戻ると、ママさん記者であった自分は、その力がより発揮出来るであろうと、生

          8、社会復帰は波乱含み  ④諦めない心

          8、社会復帰は波乱含み  ③あああ、また呼び出しが…

          8、社会復帰は波乱含み  ③あああ、また呼び出しが… いわゆるママさん記者となった自分が異動になった生活面は、毎日2ページ見開きの紙面を展開していた。10人弱の兵隊しかいない陣容で良くもまあ、作っていたものだ。 紙面はフリーなテーマで書けるページと、日替わりで、教育、子育て、ワーキングウーマン、家族、シニアなどテーマごとに展開している面があった。それにプラス、当時、産経が顔の1つとして売り出していた毎日のレシピを紹介するカラーの料理面もあった。かなりの負担ではあった。 毎週

          8、社会復帰は波乱含み  ③あああ、また呼び出しが…